Vermont 旅行 2012
2012年8月11日
変更に次ぐ変更の、2012バーモント旅行記(1)
(涙の)United Airlines Burlington行き航空機遅延の待ち時間に:at D.C. Dulles
7/26
旅行の前日、東京神楽坂で親しい友人が主催するコンサートがあるので、いつもより早目に(といっても前日ぎりぎりに準備を終えただけの話だが)荷物をまとめ、東京四谷に住む娘の所に前泊し、東京駅から成田空港へ順調に出発。横浜金沢ー成田の「長距離」旅行が不要だったので喜んで出発のつもりだったが、、、
旅程 | 成 田 ―ワシントンD.C. | 全日空直行便 | |
D.C. ―バーリントン(Vermont) | (乗継)United Airlines | ||
<最初の番狂わせ>
前兆は、全日空機の後部中ほどの自席に着席しようとした時、隣の中国人の若い女性に「家族と同席したいから席を替って」と言われてOKしたことか?
機体の、荷物を入れるあたりの窓側席だったので何とはなしに機内から外を見ていると、グラウンドスタッフが猛暑の中、少々焦り気味にすでに収納したはずの荷物の入れ替えを始めた。作業がどんどん大掛かりになるのを見て「遅れるな」と思っていたら、結果として1.5時間の出発遅延。到着時刻での挽回ならず10:40の到着が11:40の到着となった。バーモント州バーリントン空港への乗継便出発時間は12:17。たった37分しかない。困った、多分無理と観念。
<二つ目の番狂わせ>
ANAだったので乗継便への便宜を図るためいろいろ工夫していたのは、UA便の無愛想さに慣れている私には嬉しく、説明が日本語なのも安心できた。道を間違ったりせずまっすぐに急いで進み、搭乗口に到着したのが12:15。以前なら乗継便が待ってくれたので「何とかなるのでは」と甘く考えた私の期待が見事打ち砕かれ、12:07分にclosedし、何と航空機は出発した後だった!まだ間に合うのではと前例を勝手に信じて、乗れると思っていた私に手痛い衝撃がきた。
~閑話休題~
ANAの乗務員の日本語と英語両方の発音の悪さにはがっかり。ワシントンD.C.ダレス空港につく前の機内アナウンスでのこと。日本語で「乗継についてANAの”キジョウ”スタッフが、、、」と言っているのか「ANAの”チジョウ”スタッフが、、、」と言ってるのかが聞き取れない。英語で「Our ground staff will help you.」と言ったので、空港にいる人が助けてくれるのかなと、やっと理解できた。でも、そのgroundの発音が早口でハッキリせず、聞き苦しいことこの上ない。何とかして欲しい。もっとも「キジョウスタッフ」とは言わないかと思うので理解できる人には問題ないのかもしれないが、、、。
(右)快適だったHotel
(左)韓国人女性が持っていた地図をiPhoneで撮らせてもらって確保したD.C.の地図
<三つ目の番狂わせ>
乗継便のカウンターに全日空の応援スタッフらしい人がいて私を助けてくれるという。カウンターのスタッフに次便の手配をしてくれ、15ドルの食事券をくれた。バーリントンで待ってくれている友人への連絡に、その応援の女性の(会社の)電話を使わせてもらえたのが一番助かった。日本から持ち込んだvirginの携帯電話機をactivateできないでいたから。
次便の16:20発で席を確保してホッとしたのもつかの間、次の難問が。
機内に着席しいよいよ出発という時になって、「NY上空が悪天候のため一旦降りてください」と。隣の席の人の話ではジェット機なら雲の上に出られるので途中が荒天でも大丈夫だが、プロペラ機はそれができないとのこと。
それから、約1時間ごとの遅延が繰り返され、 午後8時過ぎあろうことか欠航となったのだ。
乗継便が遅れた時はまだ日本人の同様の仲間がいて慰めあったりできたが、バーモントへ行く人はさすがにいなく、私一人UA customer serviceの長蛇の列に携帯電話もなく立ったのだ。幸いだったことは、私の友人とメールで連絡が取れたこと(大丈夫?がんばってねと励ましてくれた)、iPhoneとiPadを両方持っていたのでバッテリーの心配があまりなかったこと、最後はiPhone で連絡ができると思えたこと。
Customer serviceの順番がきたのが夜の11時過ぎ、2日後の航空券とホテルの割引券だけ渡されて、夜中のダレス航空に放り出された。D.C.は1年半前にきたので土地勘はあるが、滞在予定はないので地図もガイドブックも何なし。空港内の案内図もない。(UAのバーリントン行きは、シャトル列車を乗り継いで行くいっちばん端!)
ネットでホテルの予約がわりとすんなり取れたのでホッとひと安心。場所はどこだか知らないが、航空機内ではいつもより眠れず、そのあともハプニング続きで仮眠どころでなく、とにかく睡眠確保のためタクシーでホテルへ。
思い出すと、友人に会えなかっただけでなく、迷惑かけたし、その友人と出かける約束だった楽しい集まりにも行けなかったのが、ホントに悲しく悔しかった。
それもこれも全日空の荷物管理のスタッフの不注意が原因だ。本当に怒り心頭!
(ここからは、到着後に追記)
<四つ目の番狂わせ>
タクシーの運転手さんにホテルの名前だけ言ったが、そのホテルはちょっと前に名前が変わったばかりらしく、似た名前の別のホテルに到着。フロントで間違いがわかり別のタクシーを手配してもらったが、待つこと40分。お金もかかり大失敗。タクシーの運転手には住所も告げること必須なり。
やっと到着したホテルは、広くて清潔、ホッとしてようやくシャワーして就寝。2:00amなり。
<五つ目の番狂わせ>
次の日は、キャンセル待ちでの搭乗はリスクが大きすぎるので諦め、ワシントンD.C見学へ。ちょっと嬉しくて早起き。
スミソニアンの航空博物館見学と携帯電話購入を優先して、あとは街を歩く。前回が、冬で -11度だったのとは大違いで、猛暑で埃っぽい感じがした。でも、大きなプラタナスの並木と百日紅の濃いピンクが美しく、さすが大都会だなと感動。
さて、携帯電話探し。ホテルのコンシェルジュに聞いたとおりにタクシーの運転手に「○○(ヨドバシみたいな量販店)へ行って」と頼んだら、遠いと言われた。黒人のその運転手に言われたセブンイレブンへ行って見たのが間違いのもと、ちょっとスリリングな感じになった。
まず、そのセブンイレブンが街から遠く、以前行ったダウンタウンのビジネス街とは反対方向に行く。入ったセブンイレブンに携帯電話はあったが高価で購入は無理。そこのスタッフお勧めのCVS Storeへ向かってはっと気づいたあたりの風景の見慣れなさ。女性、白人、子供の姿なく、太った黒人さんとパトカーはいっぱい。
歩き始めて引き返し、帰ろうとしがそのStore付近にあるというメトロの駅へも歩く勇気が出なかった、いや出してはいけなかった。以前聞いたことのある「あまり行かない方がいい地域」はきっとこんな所かと思い退散することに。 to the page top
ところが、待てども待てどもタクシーの空車なく、15分ぐらいして焦り始めたところにバスが来た。焦っている顔を見せてはいけないし、乗るしかない。幸い方向はスミソニアンの方だ。飛び乗ったバスの中はアル中で眠っているような老女を含む黒人ばかり。親切に私に帰り方を教えてくれた人もいた。
ホワイトハウスからほんの1キロか2キロしか離れていないのに、リバプールの労働者住宅をさらに貧しくしたような住宅街が続き、街には華やぎが少しもなかった。セブンイレブンの客も女性や白人は皆無だった。何という差、日本とは全く違うのだ。
〜再び閑話休題〜 バスの料金について
セブンイレブンがあった(1622 7th St. NW, 帰ってから調査) 地区からのバスでは、運転手が「料金は不要、次のバスに乗る時に払え」という。(え? it doesn’t make sense.) そういえば他に乗車していた人も誰も払っていなかった。私の前に降りた人も同じことを言われてスタスタ歩いてった。不思議、”福祉バス”とかがあるのかナァ?
ちょっと一休み;< スミソニアン「航空・宇宙博物館」へ>
skip Smithsonian Photos
入口です
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誰でも触れる「月の石」 |
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ライト兄弟の飛行機模型 |
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1階展示室 | ||
またまた月の石 |
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私が持ってるのはUSA TodayとiPad。彫刻の男性が持てってるのまさかiPadじゃないよね、通信機? |
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Food CourtはMac(のみ) |
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「セロ戦」も展示 |
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東京大空襲のパネルも |
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単なる航空・宇宙技術の誇示だけでなく、”戦争(の惨禍)”をみつめた展示も多かった(写真は日本兵の装備) |
(〜再び閑話休題〜 楽しかったこと、良かったこと)
昨日バスの中で会った7,8歳ぐらいの可愛い白人の男の子。
黒人の大人の女性に “You must be a boy.”と言って譲らなかった。
私はただおかしいと笑ったが、私の話を聞いたアンは、専門家としてその子と、一緒にいたその子の祖母の対応について、別の見方(発達の遅延があるのでは?と)。興味深い話となった。
スミソニアンで一緒に写真を撮った黒人の男の子、キュート。
ダウンタウンの携帯電話ショップの若い黒人男性の素早い対応。
あとで、フィードバックの依頼メールがきた。なるほど!
成田からの航空機の中でとなりの席になったアメリカ生まれのベトナム人の若い男の子。
いろいろ話をしてるうちに仲良くなり、私がジュースを欲しそうにすると、さっと貰ってくれたり、まるで家族にするように親切にしてくれた。ありがとう!
<六つ目の番狂わせ>
28日、バーリントンへ。またしても遅延があったが、もう書かない。
でもまたハプニングが。やっと着席した途端、乳児を抱えた夫婦からまたまた席を替わって欲しいと。なぜなら酸素マスクの数が列により制限があるからと。成田での交替からはじまった悪夢がふと頭をよぎるが、そんなことは誰にも通じない。ただの頑固おばさんと思われては困ると、運を天に任せて笑顔で「ハイどうぞ!」さいわい、ハプニングはこれで最後だった。
<七つ目の番狂わせ>
こちらは、お人好しかもしれないが、ちょっと良いハプニング。
ワシントンD.C.の滞在費について、私の友人はもちろん旅慣れた日本の友人達も「弁償してもらうべきだ」というのでANAサービスセンターへ電話して弁償してくれるよう交渉。時間とエネルギーと電話代のロスは嫌だったが、帰りのワシントンD.C. Dulles空港で、ホテル代、食費、通信費ほぼ全額をキャッシュで返金してもらえた。交渉には段取りがあるようで、最初は日本語のできない人が出てきたり、いろいろあったが、無事面接を通過(みたいに感じた)、最後に日本人のマネージャーさんが出てきて解決。スッキリした気分で帰国できた。「さすが全日空」と思った。
(ちなみに、unitedの補償は、26日はホテルの割引券のみ、28日の荒天遅延で3000点のmileageをプラス)
2日間ロスし、アンには大迷惑をかけてとても気を揉んだが、考えようでは、費用なしで素敵な&ちょっと危険な大都市ワシントンD.C.見学ができて楽しかった! to the page top
バーモントの日々が楽しく、快適だったことは言うまでもない。
今回の特におもしろかったことは; (詳細はこちら)
アンのスケートがとっても上手だったこと!ジョンが「メイン州のロッジが大好きだ」といったこと。
お隣の家でのパーティーに招かれたこと。
サリーと映画(Woody Allenのローマの話)に行ったこと。
ハリエットと遊んだり、買い物に行ったりしたこと。ハリエットのオフイスで会った州知事秘書の人も素敵だった。タイ料理が激辛だった。Nathanに通りで2回もバッタリあって、ちょっとだけ話。14歳になった。かわいい!
将来、夏期短期滞在用の物件(!)もチェック。右の写真「Arsenals」
Ann’s Room <main page>
Montpelier バーモント州モントぺリエ<州都です>(Click to enlarge the photos)
The City
小学校(折り紙教室)Elementary School
家のすぐ裏の草地・初秋 Backyard pasture in early fall
yy/mm | the US | japan |
1927 | The house was built | |
1996 or 7 | Ann came to Japan (Soon after she came, we met.) | |
1998 | Ann moved to the house (by Peter) (John: 1999) | |
2002 | 14 Jan 2002 Simon was born (age of 17?) ★ I saw Simon as an infant, milk baby! | |
2003-2004 | :: | Akemi in UK |
2003 | Met Ann in Dublin (you help make my life more adventuresome and enriched. plus, i feel especially favored to have your friendship.) | Dublin |
2007 | 2007年9月15日(土)16:50発⇒18:35着 ワシントン/ダレス国際空港 ⇒バーリントン(バーモント) 9/23 | |
2011 | Summer Vacation in Maine, 2011 | Maine with Kumi |
2012 | Travel to Vermont 2012 | Vermont |
2015 | Vermont Visit, October 2015 | Vermont with Ken |
2016 | Trip To London, Nov 2016 | London |
2018 | Vermont Visit, Nov 2018 | Vermont |
福島原発「国会事故調」報告
2012年7月12日
このごろ、ほとんど唯一”腑に落ちた”原発事故についての、田中三彦氏の「見解」
7月5日の発表記者会見において、国民の多くが気付いているのに、政府・政治家・原子力規制機関・東電・「原子力村」学者・大新聞が口をつぐむ「地震による格納容器の配管破損」の可能性について、国会事故調が事故原因(のひとつ)として、発電所作業員の発言などをもとに明らかにした。
一番の驚き・怒りは、東電の意図的としか思えない「ウソ」。東電は「津波による全電源喪失」が事故原因と主張するが根拠となる津波第二波の時刻(15:38ごろ)は、全電源喪失(15:36)の後だった。!
発表の日は、TV番組では足りず、U-STREAMを深夜まで見た。
政府・東電は国会事故調報告を無視している。それでも、数は少ないがTV局や新聞社は事故調査委員会のメンバーを招いて報告書の内容についてインタビューしたり、新聞で特集したりしている。その中のひとつがこれ。
今日7/12の東京新聞見出し「東電発表の『ウソ』を暴く」は、田中さんの怒りを表現している。(東京新聞7月12日朝刊「特報版」)。
東京新聞7月11日朝刊
これとは別に委員長のDr. Kurokawaは英文に日本語とは違う”個人的見解”を発表して物議を醸している。黒川さんが英語ができるのは”世界への発信”の点では良かったけど、こんなセンスしかないのかとがっかりし、他の事故調のメンバーは黒川さんの独走を批判できなかったのだろうかと、かなりいぶかしく思っている。
FTの記事
July 5, 2012 4:07 pm
Fukushima crisis ‘made in Japan’
By Mure Dickie in Tokyo
The chairman of an investigation ordered by Japan’s parliament into last year’s failure of the tsunami-crippled Fukushima nuclear plant has declared that it was a crisis “Made in Japan” resulting from the “ingrained conventions of Japanese culture.”
Kiyoshi Kurokawa, chairman of the Diet’s Nuclear Accident Independent Investigation Commission, said the crisis was the result of “a multitude of errors and wilful negligence” by plant operator Tokyo Electric Power, regulators and the government.
In a message prefacing the English language summary of the commission’s final report, Mr Kurokawa blamed the plant’s failure on “our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to ‘sticking with programme’; our groupism; and our insularity”.
“What must be admitted – very painfully – is that this was a disaster ‘Made in Japan’,” he wrote. “Had other Japanese been in the shoes of those who bear responsibility for this accident, the result [might] well have been the same.”
In his preface to the Japanese version of the report, Mr Kurokawa offered a more measured critique of the cultural background to the crisis, blaming the mindset created by postwar effective one-party rule, seniority systems and lifetime employment rather than the nation’s culture as a whole.
初夏の鎌倉・光触寺大巧寺
光触寺はアジサイが終わり少し静かでした。
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それでもまだこんなにきれいな色のアジサイが。 |
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鎌倉郵便局前の歩道に咲いていたカンナの花 |
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「おんめさま」大巧寺は様々な花がきれいに咲きます。 | ||
初めて見た花。「インドハマユウ」とありました。 |
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ききょう |
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女郎花は私の大好きな花のひとつ。 to the page top |
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小さい庭の隅に野原のような風景が・・ | ||
今日のカメラはEOSの一眼レフでした。 |
木村邸のヤマユリ 2012
金沢八景駅のすぐ裏50mとは思えない場所に咲くヤマユリ
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木村邸の紹介<円通寺客殿について><“お花見サイト”>からも見えます |
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東屋の近くで陽ざしをに浴びて咲くヤマユリ |
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誰も見ていなくてもこんなに美しく咲いていました。 |
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後ろ姿も豪華で、しかも可憐です。 |
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木村邸の書院のすぐそばで咲いています。 to the page top |
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かぐわしい香りの大きな花に圧倒されました。 |
三浦市妙音寺のヤマユリ 2012
数年前から思っていて、やっとヤマユリの咲いている ときに行ってきました!
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山の斜面に自生のヤマユリが咲いています。 |
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山の中腹で、陽ざしを一杯に浴びて咲くヤマユリ |
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道祖神たち |
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新しく建立されたのが多く、モダンなお顔立が多い(?) |
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あじさいとのコントラストが楽しい。 |
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ヤマユリにもまして見とれたのがアジサイと 道祖神たちの静かなたたずまいでした。 |
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色鮮やかなアジサイが・・ | ||
ハンゲショウ(陽ざしが強い斜面に咲いていました) |
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ききょう |
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黄花コスモスでしょうか? |
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かわいいダリア! |
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山頂付近から見た景色(車は私の1台だけ) |
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木村さん宅のヤマユリの豪華さはないが、自然の中で静かに咲く野生の美しさがありました。 to the page top |
学習院大学内・日比谷「松本楼」
学習院大学キャンパス(大学HPより)
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※メニュー <お店の公式メニューチラシはこちら> |
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6/25 実際に食べたステーキランチ(1,150円)はこちら!very good. |
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東京の風景(赤坂方面) | ||
構内もおしゃれ |
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6/29 Careの歓迎会ランチで行った「風見鶏」のランチプレート(ビシソワーズ、ポークソティ、パン、コーヒー。料金?でお味は”可” |
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オフィスに一番近いカフェ・レストランPom Ponnette |
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仕事は順調。 ウェブの更新もどんどん進むようになった。6/29の作品はこちら。 |
Marie 「ダンゴムチ」の話
保育園から帰ってきたMarieちゃんが、食卓に座って何やら一生懸命描いている。
「何描いているの?」と訊くと、びっくりしたように「え?」と言って、しばらく迷って答えてくれたのが「ダンゴムチ」。
保育園のみんなと公園に行った時に発見したようだ。
公園で”生まれた”ダンゴムシは、”チィーサイ大きさ“で、”黄色い色“をしているのだと。可愛い観察力。
都会のど真ん中に生まれ育っても、子供はやっぱりダンゴムシを見て大きくなっていくのだ。