自力歩行へ(リハビリ_10)

<Index> 2/15 音楽の勉強   2/18 友人と    2/20 Santa Lucia♪   2/22 誕生日!  2/24 土曜日の介護help   2/26 杖なし歩行&「普通歩き」?   2/29 音楽の勉強2   3/3 3月だ!  3/7 宮芳平の本「野の花として生くる」   3/8 Komorebi, long”Short Stay“  3/12 左足の痛み  3/21 Extended Family and Friend  3/23 「国際派」友人たち  3/24 「正しい」ヘルパーさん利用   3/25 若草夜間休日往診開始  4/1 腿上げ歩行で(平潟湾周辺Drive)!   4/1 Haruちゃんの旅立ち

2/15 音楽の勉強について:このごろは家ではHaru-chan医学部挑戦に意識が集中。あとのことはどちらかと言えば「どうでもよい」感じ。私の関心事「音楽」について言えば、Komorebiのカラオケに力を注ぐのは「エネルギーの無駄遣い」だと悟った。2/14Ohnoさんが「遥かな友へ」を伴奏無しで歌ったときの他の人の「それ、なんの歌?何の歌なの?」(「聞いたこともない曲だわ、なんで歌うの?」の意味)の大合唱でショックというか、あきらめの境地になった。2/14は私のピアノ練習の時も演歌か流行歌が大きく鳴っていて、私にピアノに集中できる神経はなかった。(途中でやめた。その選択肢しかないのは知っている。)そこで、私はkomorebi では他の人のことを考えて誰でも知っている曲のメロディを弾く時間を短くし、力を自分の好きなシューベルト、メンデルスゾーンなどに向けることにする。メンデルスゾーンの「春の歌」始めようっと!Score  2/16 このことを訪問看護師さんとMr.Shim氏に打ち明けたらMr.Shimは「いろいろあってもGoing Mywayで行くのが正しい」と諭してくれた、その通りだ。納得。メンデルスゾーンの「春の歌」始めたけど難しい!!

誕生日祝いの句「梅が枝も喜寿を祝って香りたち」ありがとうShimさん。

2/18 親友Matsuさん。いつも私の近くで相談に乗ってくれ、一緒に勉強し役に立つことばかり教えてくれる大事な人。忙しいのに来てくれるやさしい人。家族のこと、沖縄のこと、歌のこと、健康のこととと介護のこと。何を話しても楽しく役に立ち元気になる。家でご飯も食べてくれた。一緒にサンタルチアを歌った!次は♪Aux Champs-Elysees だ。

2/17 の孫の受験はやや足踏み。国立も頑張ってもらうことになった。大変だけど頑張ってもらうしかない。最後は理科大薬学部がある。でも諦めるな、Never Never Give Up

少々皺加工!

2/19 2週間ぶりの訪問理学リハ。わりとうまく歩けた。そのほかの筋トレもうまくこなせた。長い目で見れば、良くなっていると思う。右足の訓練で車椅子歩行時の足の使い方、歩行の前の準備運動など、だいたい正しかった。良かった。

昨日のMatsuさんの話でも、「2年で左手が動くようになった人がいる」と聞いたように思っていたが,よく確かめたら「5年ぐらいで、少しは(ものが持てるほど?)動くようになった。」とか。

2/20 歩行練習は左足を踵からつま先までべたっとついて歩くようにしてみている。今日の成果は「Santa Lucia」。立って歌ってみた。(カラオケでやってみようか‥とか、まだ少しは拘っている)高音は「レ」まで。歌の練習YouTubeに合わせて歌ってみた。ほんの3分ぐらいなのに膝が疲れて車椅子に戻るのが難しかった。部屋には花がいっぱい咲いていて、水仙の香しい香りも素晴らしい!(こちらも)

Santa Lucia 練習用音
誕生日カード

2/21 こもれび浴室でリフトから滑り落ちる事故。傷はなく打撲感少々、麻痺している左足のダメージがイマイチわからずやや不安。”精神的不安”は以前より耐性ができた。入浴後の歩行リハ、ピアノ練習、その他「誕生日会」も普通に過ごして帰宅、誕生日会は楽しかった。Daycareではこの頃私の親しい人たちにお休みが続くのが心配だけど。2/22 リフト滑り落ち事件はもう大丈夫だ。誕生日ケーキは甘かった。水仙の芳香を楽しみながら歩行練習も3回。Hyacinthusも美しく咲いた。の水仙・ヒヤシンス、のハイビスカス、の菊、のシクラメンが全部咲いてる不思議な空間だ。

3月Calenderぬりえ
土曜有料介護サービス

2/24 なぜか少々体調不良。Komorebiの友Niinohさんの病気のことが心配で(自分の未来も不安になって)。病気や老化は世の常、受け入れるしかないのだ。今日は初めて土曜日の臨時介護サービス依頼。とても良かった。楽しみにしているFelipeの訪問は難しいのかな?

2/26 杖なし歩行? 先週の浴室事故から寒い日も続きやや不調だった。土日、KenとHitosと話しても、疲れたりした。でもSimonのSlypeはうれしい。2/25のHaru入試は良くできたらしく安心し、2/26は晴れて暖かく体調も戻ってきた。足の痛みはフットレストが当たるのを放置していたせいだとわかったし。浴室事故も完全に問題なく、今日はPT Watanさんと将来杖なしでも歩ける準備(ちょっとオーバー?)を開始したから。補装具なしで立ち、左足に重心をかけ手すりに置いた手を(ちょっとだけ)放す練習、楽しかった。補装具を変えるのではなく、補装具なし、杖なしで歩く方針?よくわからなかった。ただ、今日の訓練では、補装具なし、杖なしの訓練だった。 3/6 Haru passed the test!

3/6 She passed the test!
Lovely Simon
新、金色の釣り船

2/27 今日も気持ちのいい朝。歩行訓練を始めたら「あれ?昔のようにフツーに歩いてる??」の感覚。楽しく嬉しかった、だが・・・長続きしない。2周ぐらいすると疲れて歩行が乱れる.はーはーする。でも、面白く歩いたので良しとしよう。大成功! 昼ごろからグリム歯科通院、ららむーぶの送迎車から、少し春の風景を楽しんだ。2/29 朝の歩行、最初の2周は「普通に歩いてる!」だけどそのあと急に忘れる、なぜ?身についてないから・・・。


2/29音楽の勉強_2」では成果があった。「春の歌」も練習した。3曲追加した。曲は、鱒(Die Forelle Op.32 D 550 Franz Peter Schubert)、朧月夜、春風(Steven Foster)の3曲。ピアノも少し上手になった。♪Aux Champs-Elysees

3/1雛祭りランチ
3/1 他に人がいない!

Junkoさんが私を撮影しLineで送ってくれた写真(画期的・・・娘さんに頼んだのかな?・・・ご自分で送った!

3月!早くも3月。3/2Dr. Oのブログ更新、Mr.Shimの動画編集・送信に忙しいので予定を入れない土曜。でも親友Matsuさんが来てくれた。(こちら) いつも楽しく嬉しく有難く頼もしい。一緒に歌をうたい、コロッケとお菓子を頂戴し、「めまい」の本を見せてもらい、左手麻痺回復術(?)について教えてもらい、沖縄の情報、介護サービスの現状、終活についても話した。

3/6 Haru-chan passed the test!

3/7 宮芳平の本(古本で210円!)を買った。画集を買ったのは久しぶり、本を買うのも久しぶり。素敵な本で良かった!歩行訓練は順調。記事はこちら「野の花として生くる」

Line Message w/Setsさん

3/8 私の仲良しNo.2 Junkoさんと「もしも具合が悪くなり自宅での生活が難しくなったら、KomorebiのShort Stayに頼ろう。」で合意、心強い!今日は98歳Aiさんも来なかったし、Niinoさんも療養中で寂しい。

ちひろ「春のはなとこぎつね」1964

3/12 左足の痛み:いろんなことが起きるものだ。今度は麻痺から回復中の左足(足裏の付け根)が時々、踏み出すのも困難なほど痛くなった。あれこれ相談(PT, 訪問の看護師さん、岩澤医師)実験の結果、今日現在、左足の外反母趾の手当てが不十分だったことが主な原因のようだ。  足底腱膜炎について  

※外反母趾ガーゼは良かったが、歩行訓練中小指のほうが痛む。困った。(下へ3/13

それにしても、日本の医療保険・介護保険のお蔭家にいてもたくさんの人が来て助けてくれる。素晴らしい!!守ってもらっている。「至れり尽くせり」だ。

I receive the best possible services through Japan’s medical care system and long-term care insurance system. I am grateful for the help I received from this excellent system.

3/13 運動を控え安静気味にして小指の痛み回復。3/13こもれびリハ(w/Ms. Onodera)は普通に実施。友人たちからは「よく歩いてるわね」と言われたので大丈夫っぽい。帰宅後の歩行は5分ほどで中止。土踏まず用insoleは右足で試行中。3/15 「小指外側に”角質の核”(ウオノメのようなもの)」ができている(Komorebi Fujiwara 看護師)、小野医院へ行くことにした。


3/19 小野医院受診。先生がいきなりウオノメを取り、すぐ終了。薬も無し、バンドエイドも貼ってなかった。看護師さんに訊いたら「再発したらまた来てください」と。気分は良好、帰りに帰帆橋の桜を見せてもらった。土曜日の青空ケアサービスは、毎週でお願いすることに。

3/21 (左足その後)3/20Komorebiリハ歩行は臆病風が吹いてやや難航、3/21 訪問リハでは、PT MS.Watがmake-upで来てくれたので歩行練習。痛みがなくなったを喜び合った。「歩行も前に戻った」とのこと。そうでもないけど、励ましだと思っている。3/20 Komorebiの成果はカラオケ「横須賀ストーリー」の”成功”。家の練習では息が上がっていたのに無事間違いなしで歌った!上手だと言ってくれた人が多かった。

3/12 その他のニュース

「君たちはどう生きるか」記事

3/21 Extended Family and Friends 連絡するとすぐ返信が来る友人・知人は私の宝だ。

3/23(土) 「友人たちとの楽しい時間」(「車椅子で普通の生活」の実践)

私が元気で精神的にも余裕をもっていられるのは、家族・介護の人たちのほか、良い友人に囲まれているからだと改めて思う素敵な土曜日だった。これからは土曜日を楽しいSalonの日にしたいのだけど・・・。とりあえず次週も友人2人!

(詳細こちら

再掲3/24>💜土曜日のヘルプを頼むヘルパーさんに遠慮するのでなく、自分の人生を自分らしく努力して楽しく生きるためだ。ヘルパーさんのお仕事の目的にも叶うはずだ。…いいことに気が付いた。これからは土曜日を楽しいSalonの日にしよう!友人Sachiさんは「Salon Akemi」と名付けてくれた。ずっと前からのRetire後の鎌倉でのSalonの夢をいったん断念したのだが、よく考えたら実現できるものなのだ!

3/28 次回のロシア民謡「道」練習開始 (こちら) 原語歌詞

3/25 楽しい生活で身体も好調になるのが感じられる。歩行も左脚の動きが良く(横からの回り込みが少なく)なり、自然な歩きになるような気がする。 若草hp夜間診療開始チラシ

4/1 腿上げ歩行で:リハビリは行ったり来たりの曲がりくねった道をトボトボ歩くようなものだ。少し弱気になるとすぐ後退する。元気を出して前に踏み出すしかない。ロシア語の練習ハイム友人とのサロン子供たち二人が来ての楽しい時間と待ちに待った外出。。。と続いて疲れも出たりして家族には不機嫌な顔もしてしまった。みんな忙しくそれぞれ家族のこともあるのに。。。でも、4/1のリハで脚の状態は悪くないので、いろんな歩き方はあるけど「腿上げでいくように」と励まされて、俄然元気が出た。やっぱり「歩行」が私の課題の中心だ。ぶれずに挑戦しようと思う。4/1夕方、かなりな腿上げ歩行、やってみた。楽しかった!

3/31大船植物園に行くのを楽しみにしていたが、混雑とKenの長時間運転を配慮して近所のドライブに変更。桜は全然咲いてないし。。海の公演ではヤマザクラが白くさき、街路樹のコブシがきれいだった。良かった!

 4/1_2 Haruちゃんの旅立ち 「実家出るの嫌すぎる」らしい彼女が出発した!めでたい、私も心が震える。彼女が医師になるまで6年生きていたいものだ。そうだ、いい目標だったのだ。Haru-chanもこんな風に咲いてほしい!おめでとう💜

Ken’s Interview

https://youtu.be/uZ17JBK0rL4?si=gIMvwEUzK41DvTum
小澤征爾さん(88)死去 “世界のオザワ”佐渡裕に聞く 報道ステーション 2024年2月9日 指揮者・小澤征爾さん死去88歳 日本のクラシック界をけん引

1935年生まれ、満州・奉天出身。幼いころからピアノを学び、桐朋学園で故齋藤秀雄に師事。59年、ブザンソン指揮者コンクールで第1位を獲得。その後、カラヤン、バーンスタインに師事。ニューヨーク・フィル副指揮者、シカゴ響ラヴィニア・フェスティバル音楽監督、トロント響音楽監督、サンフランシスコ響音楽監督を経て73年にボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任。2002~10年、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務める。日本ではサイトウ・キネン・オーケストラを組織し、92年より国際的音楽祭“サイトウ・キネン・フェスティバル松本”の総監督に就任。

Berliner Philharmoniker

Mourning for Seiji Ozawa Feb 9?, 2024
The honorary member of the Berliner Philharmoniker has died at the age of 88

Seiji Ozawa
(Photo: Holger Kettner)
The Berliner Philharmoniker mourns the death of honorary member Seiji Ozawa, who died on 6 February 2024, at the age of 88. Eva-Maria Tomasi and Stefan Dohr, orchestra board members of the Berliner Philharmoniker, said: “For us as an orchestra, Seiji Ozawa was more than a highly-esteemed conductor. His great technical skill, his perfect knowledge of the score and his friendly, modest, honest and humorous manner made him a close friend and companion to the orchestra since his debut in 1966. We are very grateful that we were able to make music with him once again in April 2016, and we bow our heads in respect for this great conductor and wonderful person. Our thoughts are with his family.”

In 1966, Seiji Ozawa made his debut with the Berliner Philharmoniker – at around the same time as Claudio Abbado. Both conductors were “discovered” by Herbert von Karajan; the press was full of praise for the maestro’s unerring instinct for talent. Seiji Ozawa, winner of the conducting competition in Besançon, winner of the Koussevitzky Prize, and former assistant to Karajan and Leonard Bernstein, had only been Music Director of the Toronto Symphony Orchestra for a year at the time, and had recently made his acclaimed debut in Salzburg. His “creative energy” – according to the press after his Berlin debut – was remarkable, and he was celebrated as a “conducting Paganini”. He conducted Beethoven’s Symphony No. 1, Schumann’s Piano Concerto and Hindemith’s Symphony Mathis der Maler – a programme that was to become typical of future concerts.

Classical, romantic, modern
Whenever Ozawa stepped onto the podium of the Berliner Philharmoniker – as he did regularly from then on – the programme was always both classical and romantic, often spiced up with a pinch of modernism. Over the years, he has also introduced Berlin audiences to works by his Japanese compatriots: Takemitsu’s November Steps and Requiem as well as Ishii’s Polarities for orchestra; but also Messiaen’s opera Saint François d’Assise, which the conductor premiered in Paris in 1983, presenting excerpts from the work with the Berliner Philharmoniker three years later. Seiji Ozawa was the first Japanese conductor to achieve world fame. He gained a profound understanding of Western classical music from his teacher and mentor Hideo Saitō, who taught him at the Tōhō Academy of Music in Tokyo. According to Ozawa in an interview for the Digital Concert Hall, he owed a great deal to Hideo Saitō. At a time when there was virtually no knowledge of Western music culture in Japan, Saitō, who had studied in Germany, taught his pupil the essentials of classical music. More than anyone else, Herbert von Karajan helped him in the development of a representative repertoire.

Permanent guest conductor
Ozawa was head of the Boston Symphony Orchestra for 29 years, and music director of the Vienna State Opera from 2002 to 2010. Despite his many international commitments, he always found time for guest appearances with the Berliner Philharmoniker. Before cancer forced him to cancel his planned concerts in 2009, and caused him to largely withdraw from musical life, he often came to the Berliner Philharmoniker twice per concert season. Of the many concerts that Ozawa conducted, a few events stand out as musical beacons: the commemorative concerts to mark the 100th anniversary of the Berliner Philharmoniker in 1982 and Herbert von Karajan’s 100th birthday in 2008; the Philharmoniker’s first concert in the newly-opened Suntory Hall in Tokyo; the New Year’s Eve concert in 1989; and the Waldbühne concerts in 1993 and 2003.

Seiji Ozawa gave his last concerts after a seven-year break in April 2016. Weakened by his illness, but still full of passion, he conducted a half-concert programme with Beethoven’s Egmont Overture and the Choral Fantasy [after a performance by a chamber music ensemble]. It was a moving event for the conductor and the orchestra, which Ozawa made an honorary member during this performance. What made the Berliner Philharmoniker so special for Seiji Ozawa? “Every member plays like a chamber musician. That is very important. I think that’s what makes up the tradition of the orchestra.”

To mark the occasion, the Digital Concert Hall is making the concert with Seiji Ozawa from 17 May 2009 available free of charge.

「指揮台でバレエのような優雅さ」「東アジアの偏見を払拭」…小沢征爾さん死去、海外からも追悼 2024/02/10 読売新聞

ウィーン・フィル伝統の「ニューイヤー・コンサート」で指揮を執る小沢征爾さん(2002年1月1日)=AP

 世界的指揮者の小沢征爾さんの死去を受け、かつて小沢さんが音楽監督を務めた米欧の名門楽団は哀悼の意を表明した。海外メディアも相次いで悲報を伝え、小沢さんの業績をたたえた。

小沢征爾さん「日本初」「東洋初」世界に挑戦続けた人生…ボストン交響楽団「親切で思慮深い人道主義者だったウィーン・フィル伝統の「ニューイヤー・コンサート」で指揮を執る小沢征爾さん(2002年1月1日)=AP

 米国のボストン交響楽団は「伝説的な指揮者としてだけでなく、将来世代の音楽家たちの情熱的な指導者としても記憶している。親切で思慮深い人道主義者で、指揮台でバレエのような優雅さと驚異的な記憶力を併せ持った音楽の天才だった」とする声明を発表した。

 ウィーン国立歌劇場は「最も重要な国際的指揮者の一人だった。国立歌劇場の歴史の一端を築き上げ、発展に貢献した」と弔意を示した。劇場支配人は「カリスマ的、衝撃的、本物で、無尽蔵とも思えるエネルギーを蓄えていた。彼に心を奪われないことなど不可能だった」と振り返った。劇場には弔旗を掲げるという。 また深い関係にあり、小沢さんが名誉団員だったベルリン・フィルハーモニー管弦楽団も「私たちにとって高く評価される指揮者以上の存在で、親密な友人であり同志であり続けた」と楽団員代表がしのんだ。

 米紙ニューヨーク・タイムズはその業績を紹介し、「東アジアのクラシック音楽家への偏見を 払拭ふっしょく することに貢献した」と伝えた。AP通信は「しなやかな表現力で観客を驚かせた」と評価した。 中国メディアは、小沢さんが現在の遼寧省瀋陽で生まれ、中国を何度も訪れたと報じた。SNSでは「小沢先生は中国人の古い友人だ」と惜しむ声が相次いだ。(ベルリン 中西賢司、ニューヨーク 山本貴徳、瀋陽 出水翔太朗)

わたしが子どもだったころ 小澤征爾

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Peter and Abby are not very close, but they are my fond friends. I remember the day I met Peter for the last time in 2015, probably, in front of Ann’s Sabin house. I also remember the time I met Morry, their daughter, long time ago. She was with Emily and was very pleased to have a Japanese toy, Origami Mobile. I think I visited their house, but not sure.

Peter became short, because of his age, like anybody else! Morry looks so beautiful! I am very pleased to know that everybody has been having good and happy life.

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 2018〜22年に自民党安倍派の議員10人が、派閥主催のパーティー券の売上金を税務署に申告せずに脱税したとして市民グループの12人が2月1日、所得税法違反の疑いで東京地検に告発状を提出。   


「制度疲労の解決策」藻谷氏   自民派閥の政治資金問題」上脇教授   ★「少数の金持ち支配」プルートクラシー野口教授  ◆「裏金は脱税ではないのか」三木教授


キックバック(還流)手法は、
(1)議員が派閥に納めたパーティー券の売上金のうちノルマ以上に売り上げた分の金額を議員の政党支部に還流
(2)ノルマ以上の売り上げ分を派閥の収支報告書に載せず、議員側にも記載しないよう念押しし還流
(3)ノルマ以上の売り上げ分を、議員が派閥に報告せずそのまま「懐」に入れる。  の3通り。

一般社団法人の34業種とは?34事業には具体的に、物品販売業、不動産販売業、製造業、運送業、請負業、料理店業その他の飲食店業など、社会通念上ほとんどの営業行為が含まれます。

法人税上の「収益事業」とは、下記34業種に該当する事業で、かつ「継続して」「事業場を設けて」行われるもの(法人税法2条13項、法令5条1項、法基通15-1-1~8)。収益事業に「付随して行われる行為」も、収益事業に含まれます(法基通15-1-6)。逆に言うと、「上記34業種に該当しない場合は、法人税がかからない」

政治資金パーティーは課税対象の34事業に該当するのか?

これまでは該当しないとされてきたが、リクルート事件を踏まえた1994年の政治資金規正法改正で禁止された政治家個人への献金に代わって企業・団体による政治資金パーティー券購入が政治家の集金手段の主流になり、キックバックが慣例化するほど集金システムが完成。立正大法制研究所の浦野広明特別研究員(税法学)は「利益率が8〜9割にもなる政治資金パーティーが課税対象に認められないのはおかしい。形式的ではなく、実質的に見ないといけない」と指摘し、パーティーを34事業のうちの「興行業」に含めるべきだと訴える。東京新聞記事

2/20追加「制度疲労の解決策」藻谷氏

2/27追加◆上脇教授      2/27追加★日本の政治カースト    3/18追加◆裏金は脱税ではないのか

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2/2 こもれびに飾ってあったかぐわしい梅と水仙。送迎バスの中からも紅梅、白梅、蠟梅を見るが、外歩きはまだ。。。腿を上げて歩行練習をすると、バラ園を自分で歩くイメージが近づくような気がして楽しい。

2/2Komorebiにて

1/30 瀬戸神社の蠟梅、安立寺・龍華寺の梅

3/1 瀬戸神社の玉縄桜・河津桜、龍華寺の河津さくら/熱海桜

3/2 鎌倉段葛のそばの桜(Picture Thisではソメイヨシノ) 友人の撮影

3/9 「鎌倉ブログ」より

称名寺の春の風景 4/3

4/4 近所の桜・三つ葉躑躅・花海棠

4/7 近所でお花見!こちらも)

4/17 市大正門前・・最後の桜( こちらも)・・・葉桜だけど、私にとっては特別なのだ。

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今回の演奏は、以前のステージや音響機器での演奏よりずっと思索的でありつつ人間の存在についての基本は暖かく以前のイアンさんより声に緩やかさと幅が増した気がした。声楽家としての鍛錬、芸術家としての成長、年齢の持つ意味を考えた。その美声と繊細さと強靭さが交互に輻輳的に表われる音楽に心を揺さぶられた。「戦士の予感」のGute Nacht のピアニッシモ、「Atlas」の壮大な構図、「漁師の娘」の美しい旋律、「DopperGenger」の恐ろしい静寂、「鳩の便り」の”あこがれ”、どれも素晴らしかった。(ドレイクのピアノは時にキンキンしてやや違和感があった。)

Beethovenももちろん素晴らしかった。Schubertの曲との違いがくっきりとしていて驚いた。Ianは天才、すばらしい芸術家だ。

Ian Bostridge, “Schwanengesang” 

programme

当日のstage

photos

ほりっぺ(堀 朋平)san 美学・音楽学(福岡在住)▼住友生命いずみホール音楽アドバイザー:最近の表現主義的な傾向からすると、すごくマイルドに声を使ってた。でも深まった中音域の肌理時に瞑想的なまでの緩いテンポが愛の孤独もえぐる。

Taimama san: 今日のホールはよく響いた。繊細且つ雄弁な表情、身振りと共に美声に乗って全身から苦悩や喜びが飛んで来る。

竹内一樹さんComposer/作曲家:イアン・ボストリッジ、シューベルト「白鳥の歌」拝聴。音楽が自然に浮き立ち、弱音での引き寄せ方、言葉に寄り添った音楽、イメージの膨らまし方から一人芝居を見ているかのように世界も色も変わる。内側に引き込まれて、いつの間にかその世界の中にいる感覚。

室田尚子さん:NHK-FM「オペラ・ファンタスティカ」レギュラーパーソナリティ。 オペラを中心に執筆やレクチャー:「リート」、つまり詩の内容を音楽で表現することの可能性の最高峰を聴いたと思う。一体どうしたらあんなことができるのか。異次元の凄さとしか言いようがない。早くも今年のベスト1かもしれない。I agree with her!

木村元さん:2019年以来、5年ぶりのボストリッジ様〜 私の大好きな美声健在で、それどころか益々素晴らしかった。心待ちにしていたボストリッジとドレイクのリートリサイタル。シューベルトの「白鳥の歌」を半分に分けてベートーヴェンの「遥かなる恋人に」を挟む構成。Doppelgängerに極まる緊張と恐怖。それと対局に最弱音から無音に至る息を飲む美しさ。ついに夢が叶いました。横浜まで来てよかった!

「ボストリッジがシューベルト「白鳥の歌」を歌う。英国のテノール特有の繊細な響きで陰影豊かに彫琢するドイツ歌曲。魔女研究で博士号を持つ彼のアカデミックな探究心も音楽を支えるやや表現のディテールにこだわりがちだった旧盤と比べて、13年後の新盤の語り口はけっして大袈裟でない自然な息づかい。前掲書で彼は、言葉と旋律の関連づけに関してクラシック歌手はもっとボブ・ディランやビリー・ホリデイ、シナトラらの歌の説得力に感化されるべきだと説く。その柔軟さに潜む凄み!宮本 明(ぶらあぼ2023年11月号より)

(ブログ di Lunaさん 第一曲を歌い始めたボストリッジは、以前のように体を大きく揺らしながら歌う独特のスタイルが健在でした。ある意味うろうろと不安定に体を動かす感じで、時にはピアノにもたれかかることすらあります。一見こんなにうろうろする感じだと、歌に悪影響がありそうなのですが、それが全くなく、むしろその表現にピッタリとあっているようにすら見えるのが毎回不思議です。ボストリッジの歌は、まず言葉が明瞭です。以前はすこし「籠る」ところもある、と書いていましたが、今回聞いた限り、あまりそのようなことは感じられず、とても美しい綺麗なテノールです。確かに、イタリア的なのびやかさではありませんが、きれいに広がる歌で、最初のレルシュタープの詩による歌曲は、美しく、軽やかで、スタイリッシュな歌唱がとても見事です。
 続くベートーベンの「遥かなる恋人へ」は、6曲からなる連作歌曲ですが、曲の切れ目もなく、全部で1曲とも聞こえる不思議な作品です。 ベートーベン的なしっかりした構成ですがでも甘さにみちた曲で、これは、ボストリッジのような全身で歌う歌い方にふさわしいかもしれません。 ここまでも素晴らしいのですが、この後のハイネの詩による歌曲が、とてもコントロールされていて見事です。このハイネによる作品は曲としても見事ですが、ボストリッジの歌は、本当に美しい声で、ささやくようにも聞こえるピアノと、会場も割れんばかりに深く響くフォルテの響きのダイナミズムが非常に明確で秀逸です。特に、ボストリッジのフォルテは今回初めてその真髄を聞いた気もしますが、テノールですが、本当に深く「割れる」ような響きも伴う深い声。 「アトラス」のように激しい曲でも見事ですが、これは特に「彼女の肖像」「海辺で」「影法師」のように、ピアノ(弱音)との組み合わせで展開されるフォルテが、実にすばらしく、全宇宙をも包み込むような広大な世界を作り出していました。

アンコールが3曲(曲選びでのピアニストとの親密な話しぶりが笑いを誘った。)


1.「さすらい人の月に寄せる歌」

シューベルト:さすらい人が月に寄せて · Dietrich Fischer Dieskau · Gerald Moore

Der Wanderer an den Mond

Ich auf der Erd’,am Himmel du,
Wir wandern beide rüstig zu:
Ich ernst und trüb,du mild und rein,
Was mag der Unterschied wohl sein?

Ich wandre fremd von Land zu Land,
So heimatlos,so unbekannt;
Berg auf,Berg ab,Wald ein,Wald aus,
Doch bin ich nirgend,ach! zu Haus.

Du aber wanderst auf und ab
Aus Ostens Wieg’ in Westens Grab,
Wallst Länder ein und Länder aus,
Und bist doch,wo du bist,zu Haus.

Der Himmel,endlos ausgespannt,
Ist dein geliebtes Heimatland;
O glücklich,wer,wohin er geht,
Doch auf der Heimat Boden steht!

2. F. Schubert: Das Zügenglöcklein
(弔いの鐘) Op.80-2 D 871シューベルト作曲 Wigmore Hall Live

Das Zügenglöcklein, D.871「弔いの鐘」

Kling’ die Nacht durch,klinge
Süßen Frieden bringe
Dem,für wen du tönst!
Kling’ in weite Ferne,
So du Pilger gerne
Mit der Welt versöhnst!

Aber wer will wandern
Zu den lieben Andern,
Die voraus gewallt?
Zog er gern die Schelle?
Bebt er an der Schwelle,
Wann Herein erschallt?

Schubert: Im Abendrot, D. 799 「夕映えの中で」

3. Im Abendrot (Karl Lappe)夕映えの中で

O wie schön ist deine Welt,
Vater, wenn sie golden strahlet!
Wenn dein Glanz herniederfällt
Und den Staub mit Schimmer malet,
Wenn das Rot, das in der Wolke blinkt,
In mein stilles Fenster sinkt!
Könnt ich klagen, könnt ich zagen?
Irre sein an dir und mir?
Nein, ich will im Busen tragen
Deinen Himmel schon allhier.
Und dies Herz, eh es zusammenbricht,
Trinkt noch Glut und schlürft noch Licht.

 おお、なんと美しいのだ、御身の世界は、 父よ、世界が金の光を放つ時!
  また、御身の輝きが降り注ぎ、  ほこりを微光で色づける時、
  雲の中でちらついている紅が  私の静かな窓辺に沈み込んでくる時!

Im Abendrot, D. 799 · Christa Ludwig · Geoffrey Parson

Song and Self: A Singer’s Reflections on Music and Performance (Berlin Family Lectures) (English Edition) Kindle版

Award-winning singer Ian Bostridge examines iconic works of Western classical music to reflect on the relationship between performer and audience.

Like so many performers, renowned tenor Ian Bostridge spent much of 2020 and 2021 unable to take part in live music. The enforced silence of the pandemic led him to question an identity that was previously defined by communicating directly with audiences in opera houses and concert halls. It also allowed him to delve deeper into many of the classical works he has encountered over the course of his career.

As a performer reconciling his own identity and that of the musical text he delivers on stage, Bostridge unravels the complex history of each piece of music, showing how today’s performers can embody that complexity for their audiences. As readers become privy to Bostridge’s unique lines of inquiry, they are also primed for the searching intensity of his interpretations, in which the uncanny melding of song and self brings about moments of epiphany for both the singer and his audience.

ソング&セルフ: 音楽と演奏をめぐって歌手が考えていること 単行本 – 2024/1/25

ジェンダー、人種、死……
歌と自己が混じりあい、音楽は啓示となる。
英国を代表する世界的テノール歌手が音楽の「隠された歴史」にせまる! 「自分はこれらの曲を演奏すべきなのだろうか?
自分にははたしてそんなことをする権利があるのだろうか?
自分自身のアイデンティティは、ことばや音楽になって提供されている数多くのアイデンティティにどのようにつながっていくものなのだろう?

また作曲家や詩人のアイデンティティにどうつながるのだろう?」(本書第2章より)  歌をうたうとき、歌い手の自己はどのように変容するのか──。「音楽の解釈者のなかでももっとも才能ある文筆家」(アルフレート・ブレンデル)と評される英国随一のテノール歌手イアン・ボストリッジが、「ダフ・クーパー賞」(すぐれたノンフィクション作品にあたえられる英国の権威ある文学賞)を受賞した前作『シューベルトの「冬の旅」』(小社刊)に続いて世に問う音楽論。ジェンダー、人種、死をめぐり、モンテヴェルディ、シューベルト、シューマン、ラヴェル、ブリテンなどの作品を考察し、音楽の「隠された歴史」にせまる! 

◎本書に登場する音楽作品モンテヴェルディ『タンクレディとクロリンダの戦い』
シューベルト『冬の旅』
シューマン『女の愛と生涯』
ラヴェル『マダガスカル島民の歌』
ブリテン『カーリュー・リヴァー』『戦争レクイエム』『ヴェネツィアに死す』ほか

<音源>

Ian’s An die ferne Gelibte
アンコール終わりの2曲
アンコール3曲

イアン・ボストリッジ、シューベルト  大阪公演

(評・音楽)イアン・ボストリッジ、シューベルト――約束の地へVol.5 影ある歌声、もたらす芳醇さ 有料記事文化・芸能評 2024年1月25日 16時30分

演奏曲目  郷愁 D456/あこがれ D879/戸外にて D880/あなたと二人きりでいると D866-2/さすらい人が月によせて D870/臨終を告げる鐘 D871/真珠D466/みずからの意志で沈む D700/怒れるディアナに D707/とらわれた狩人の歌 D843/ノーマンの歌 D846/さすらい人 D493/ヒッポリートの歌 D890/リュートによせて D905/わがピアノに D342/小川のほとりの若者 D300/オオカミくんが釣りをする D525/眠りの歌 D527/友たちへ D654/緑のなかの歌 D917/孤独な男 D800/夕映えのなかで D799

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ヴォータンの別れのシーンと、ジークリンデとジークムントの恋の幸福。ワルキューレ(解説) アリア:「冬の嵐は過ぎ去り」  ※関係ないけどIan Bostridge, “Schwanengesang” 

ハイライト ♪ Ein Schwert hiess mir der Vater ♪ Der Männer Sippe ♪ Winterstürme wichen dem Wonnemond ♪ Nothung ♪ Nun zäume dein Ross, reisige Maid! ♪ Nun zäume dein Ross, reisige Maid!

Jonas Kaufmann ⭐ “Winterstürme wichen dem Wonnemond” aus ‘Die Walküre’ いい音!
Wintersturme – Valquiria – Wagner 2:55~
Die Walküre (Act 1) – Wagner in Vermont 2022

上の写真 2023/12/31 Berlin Phil New Year’s Eve Concert with Kirill Petrenko and Jonas Kaufmann

2018/04/05 Jonas Kaufmann singt die Siegmund-Arie: “Winterstürme wichen dem Wonnemond” aus der Oper “Die Walküre” von Richard Wagner.

Opera details:

Opera title:Die Walküre
Composer:Richard Wagner

Texte original Traduction en français
SIEGMUND

Winterstürme wichen dem Wonnemond,
in mildem Lichte leuchtet der Lenz ;
auf linden Lüften leicht und lieblich,
Wunder webend er sich wiegt ;
durch Wald und Auen weht sein Atem,
weit geöffnet lacht sein Aug’.

Aus selber Vöglein Sange süss er tönt,
holde Düfte haucht er aus :
seinem warmen Blut entblühen wonnige Blumen,
Keim und Spross entspringt seiner Kraft.
     ★
Mit zarter Waffen Zier bezwingt er die Welt ;
Winter und Sturm wichender starken Wehr :
wohl musste den tapfern Streichen
die strenge Türe auch weichen,
die trotzig und starr uns — trennte von ihm.

Zu seiner Schwester schwang er sich her ;
die Liebe lockte den Lenz :

in unsrem Busen barg sie sich tief ;
nun lacht sie selig dem Licht.

Die bräutliche Schwester befreite der Bruder ;
zertrümmert liegt, was je sie getrennt ;
jauchzend grüsst sich das junge Paar :
vereint sind Liebe und Lenz!

Winter Storms gave way to the Merry Moon
SIEGMUND


Winter storms gave way to the merry moon,
Springtime gleams in mild light;
On bland airs, gentle and lovely
He* sways by doing wonders;
Through woods and meadows blows his breath,
His eye laughs widely apart: –

He chimes from overjoyed bird’s sweet singing,
He exhales lovely fragrances;
Delightful flowers reflourish his warm blood,
Germ and sprout arise from his strength.
     ★
With tender weapon’s ornament he conquers the world;
Winter and storm gave way to the strong fight:
Even the rigid door
Which defiantly and rigidly seperated us from him

Had do give way to the brave strokes. –
He came here to his sister;


Love tempted springtime: It** hided deeply in our bosom;
Now it smiles overjoyed at the light.

The brother unchained the bridal sister,
Whatever seperated them lies in ruins:
The young couple welcomes each other with jubilation:
Love and springtime are united!

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Klaus Florian Vogt sings “Winterstürme wichen dem Wonnemond” from “Die Walküre” by Richard Wagner”

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