12/14 いろいろあって、昨日12/13ついに実現、ショートステイ。 家族、友達にmail,lineで報告してみた😊 リハビリもできるし、自由時間もある。快適。(12/18まで iPad iPhoneで細々と編集)

12/15(sun). Mail to Mr. Uet

ショートステイ3日目となりました。上げ膳据え膳、お掃除の人も来てくれて、やることがありません。今日はセラピストさんのリハビリもないので、施設の廊下にあるサイドバーを使って自主歩行練習などしています。

施設はやや古いのですが、スペースがゆったりしていて、個室も思ったより広く、大きな窓はすぐ前が円海山の山裾です(海から山に移動です。)。日当たり良すぎて温度計を見たら33度になってたので、カーテンを引きました。

10:30になり、インドネシアの女性の介護士さんが、「mmさんお茶ですよー」と呼びに来てくれるので「何のお茶ですか?」、「コーヒーですよー」というのでホールに出てお茶してます。家で淹れてもらうコーヒーとは違って、敢えて言えば、銭湯に置いてあるコーヒー牛乳を生暖かくしたみたいなものです🤣 なかなか、愉快です。

⭐️日曜日なので、廊下の手すりで自主トレ4回。バック歩きは習っていなかった。

12/16 風景

12/17 夫の白内障手術無事成功。見え方は変わらないらしい。良い眼を持っていたのだろう。

Komorebi, 2Fのリハビリ担当タオさんと杖歩行ができるようになったので良い。暇つぶしにも😅 お隣になんと親友?mr shimが入所。こちらも暇つぶしになるかな?彼のペースを乱さなように気をつけよう。でもちょっと嬉しい。

Seong-Jin Cho, Schostakovich

12/18. いよいよあと1日となった。今日は、SSの良さ、嫌さを数えてみた。全体としては80点。今の状況を助けてくれる制度としては100点。「ここに居たいか」といわれたら-50 点、居たくはない。でも、今日は朝のMr. Nishikのリハビリのお陰で気分が良く楽しい。あの人は私にとってはSuper manだ。心理を読む専門家だ。「尊敬してます」と歩行訓練中だったけどお礼を言った。

円海山雑木図鑑 at Komorebi

12/17_18 いっぱい描こう、描けると思ったが、1枚がやっとだった!でも出来た❣️

12/19 無事に帰還。ブロムシュテットを聴きながら忘れたかもしれない歩行の訓練。大丈夫だった。歩くのが楽しい!


John’s fevorite books

12/19 鎌倉のソヨゴの実と海が待っていてくれたように思えた。

🛏Komorebi Short Stay (private) ←その他情報はこちらに

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そっと 静かに
明け方の歌  韓江

明け方に目覚めて  空を見上げた  闇が晴れて  青い光が滲んだ  もくもくと立ち上る雲は  どこへ流れゆくのか  一つ、また一つと目覚める木々  枝を伸ばす

こんなにも美しい世界が  私のそばにあったなんて  あなたの目元に宿る  眉みたいな有明月  私も青い翼を広げ  後について飛び立つの  青々とした花火みたいな木々  枝を伸ばすとき  生きているってなんだろう  生きていくってなんだろう  答えは必要ない  あの青い花火のように

麦畑  作詞:パク・ファモク 作曲:ユン・ヨンファ  보리밭 麦畑

麦畑のあぜ道を歩いていくと  誰かの呼ぶ声がして  歩みを止める  思い出が苦しくて  口笛を吹くと  美しい歌が耳元に聞こえてくる  振り返ると誰も見えず  夕焼け空だけが目の前に広がる
[함께 부르는 가곡] 보리밭麦畑 (Song. 유채훈) | 예술의전당  歌手ユ・チェフンさん
보리밭  사잇길로 걸어가면
麦畑 間の道を 歩いていけば

뉘 부르는 소리 있어
誰かの 呼ぶ 声が あって

나를 멈춘다
私を 止める

옛 생각이 외로워
昔の 思い 心細くて

휘바람 불며
強い風 吹き

고운 노래 귓가에 들려온다
美しい 歌 耳元に 聞こえてくる

돌아보면 아무도 뵈지 않고
振り返ると 誰も 見えなくて

저녁놀 빈 하늘만
夕日 がらんとした 空だけ

눈에 차누나
目に 満ちる

ハングルを楽しみながらお勉強

車椅子ダンス  涙はもう日常になりました  でも それが私を完全に破壊することはなかった  悪夢も もう日常になりました  全身の血管を  燃やし尽くすような夜も  私を完全に打ちのめすことはできない  見てください 私は踊っています  燃え立つ車椅子で  なんの魔術も秘法もありません

ただ、いかなるものも私を完全に破壊できなかっただけ  見てください 私は歌っています  全身で燃え立つ車椅子  見てください 私は踊っています  全身で火を噴く車椅子  どんな記憶も  罵りや墓場、あのひどく冷たいみぞれすらも  最後の私を打ち砕けなかっただけ  ただ、いかなるものも私を完全に破壊できなかっただけ  見てください 私は歌っています

全身で火を噴く車椅子  見てください 私は踊っています  全身で燃え立つ車椅子     <車椅子ダン>



金 素月(キム・ソウォル、1902年陰暦8月6日 – 1934年12月24日[1])は、大韓帝国の詩人。本名は金 廷湜(キム・ジョンシク)。素月は号。김소월 Kim So-wol 裕福な家庭であったが素月が2歳のとき父が日本の鉄道敷設工事に従事中、日本人による殴打により精神に異常をきたす。

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『メモリー Memory』は、ブロードウェイミュージカル『キャッツ CATS』劇中歌。

劇の中で歌うのは、かつては魅力的な猫だったグリザベラ(Grizabella)。しかし今や老いて美貌を失い、唯一残ったのは美しい思い出(メモリー)だけ。歌詞の中には、彼女の哀しい心情が切々と歌い込まれている。原作者T.S.エリオット(Thomas Stearns Eliot/1888-1965)の未完の遺稿を基に、演出家のトレヴァー・ナン(Sir Trevor Robert Nunn CBE/1940-)が作詞した。作曲は、ミュージカル『オペラ座の怪人』を手がけたイギリスの作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバー (Sir Andrew Lloyd-Webber/1948-)

Cats Musical – Memory
‘Memory’ Elaine Paige | Cats The Musical – Royal Albert Hall Celebration
Memory – Elaine Page (Lyrics)
Memory (歌手によって変わることあり)
Midnight
Not a sound from the pavement
Has the moon lost her memory?
She is smiling alone
In the lamplight
The withered leaves collect at my feet
And the wind begins to moan
Memory
All alone in the moonlight
I can smile at the old days
Life(I) was beautiful then
I remember
The time I knew what happiness was
Let the memory live again

Every street lamp
Seems to beat
A fatalistic warning
Someone mutters
And a street lamp sputters
And soon it will be morning

Daylight
I must wait for the sunrise
I must think of a new life
And I mustn't give in
When the dawn comes,
tonight will be a memory too
And a new day will begin

Burnt out ends of smoky days
The stale, cold smell of morning
The street lamp dies,
another night is over
Another day is dawning

Touch me
It's so easy to leave me
All alone with my memory
Of my days in the sun
If you touch me
You'll understand what happiness is
Look, a new day has begun
『Memory』

作詞:トレヴァー・ナン(Sir Trevor Robert Nunn CBE/1940-)


思い出
月明かりに振り返り
思い出に導かれるまま
その戸を開き 身をゆだねるの
そこに幸せの意味を見出せば
新たな人生が始まる


思い出
月明かりに一人きり
古き日々に微笑みかける
私は美しかった
あの頃を思い出す
幸せとは何か知っていた頃
思い出の日々よもう一度


くすぶった日々に疲れ果て
生気が無く冷たい朝の匂い
街灯が消え また夜が終わり
また一日が始まる


陽の光 私は夜明けを待つ
新たな人生を考えなければ
くじけたりなんかしない
夜明けが来れば
今夜さえも思い出になる
そして新しい日が始まる


陽の光が夏の木々からこぼれる
終わりなき虚構の日々
夜が明けるにつれ
花のように 思い出は色あせてゆく


私にふれて 簡単なのよ
輝く日々の思い出に
私をたった一人取り残すのは
私にふれたら
何が幸せか分かるはずよ
見て 新たな日が始まったわ

Other songs

ムーンリバー とても広い川  堂々と渡ってみせる いつの日か
夢をくれたり 心を傷つけたり あなたが行く所どこへでも 私はついていく
2人の流れ者が 世界へ旅立つ  まだ見ぬ世界が広がる
私達は目指す 同じ虹の終わりを
待ち合わせましょう あの曲がり角で 私の大切な友達 ムーンリバーと私

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田中熙巳(てるみ)さん(92)を追うサイト

この中で現地で演説を行う田中煕巳 代表委員は「今回の受賞をきっかけに世界中の核兵器をなくさないといけない、なくすために活動しないといけないという思いを持ってもらい、大きな運動になることを期待したい」と述べました。

また、すでに完成したという演説の内容について「中身を考えるのに頭のほとんどを費やし、夢の中まで出てくるほどだった」と振り返ったうえで、「原爆が人間にどういう被害を与えるかよく知られておらず、『非人道的』といっても必ずしも頭に浮かんでいるわけではないと思うので、どういう被害をもたらすのか、ことばだけでなく中身が伝わるようにしたい」と述べました。

12/9 オスロ空港

田中 熙巳 TANAKA Terumi (peace boat site)(日本被団協代表委員埼玉県原爆被害者協議会会長)

1932年中国東北部(旧満州)生まれ。東京理科大学物理学科卒業。博士(工学)。1938年父の死亡により、父母の姉たちがいた長崎に移住。1945年8月9日、県立長崎中学校1年在学時、爆心地から3.2キロの地点で原爆被爆。爆心地付近にいた二人の伯母を含む親族5人の命を一挙に奪われ、母方の伯母を野原で荼毘に付す。1972年から被爆者運動に関わり、宮城県原爆被害者の会や日本被団協の役員を歴任。2000年6月より、日本被団協事務局長を務める。2017年6月より日本被団協代表委員。<元東北大学工学部助教授、博士(工学)(東北大学、1993年)>


nhk 【全文】ノーベル平和賞授賞式 日本被団協 田中熙巳さんの思い12/9 NHKの単独インタビュー

日本被団協 きょうノーベル平和賞授賞式 田中熙巳さんが会見  <全文>

質疑Q.ノーベル平和賞は日本被団協にどのような影響を与えますか。将来にどのような期待をしますか。

A.正直申しますと、日本被団協は、核の廃絶、今のことばで言うと、核のタブーの確立のために貢献してきたと私どもは自負をしていました。
ノーベル平和賞をいつかは、遠くない将来にいただけるんだというふうに期待していた年が結構ありました。それが叶わないできたという、諦めていた時に、先ほど申しましたように今年の思わない受賞でありましたので、本当に私どもの運動の経過が初めてと言いますと申し訳ないんですけども、ノーベルの委員会にも認められたし、それを通して世界の人たちに認めていただけることになったんだというふうに思っています。

なぜ、特に私どもの受賞が今年与えられたかということになりますと、やはり、今の世界の核情勢、2年前のロシアのウクライナに対する侵攻、しかも核兵器を威嚇に使うというような状況での侵攻、それからイスラエルのガザに対する、なんて言いますかね、私どもからすると申し訳ないような、申し訳ないようなと言うのは変ですけれども、残虐な行為が繰り返されていることに対しての怒りというのもあるんですけども、そういう全体の中で、やはり核がまた軽く語られる、核兵器を使うことが軽く語られるような時代になったということは大変私どもにとっては遺憾なんですね。ある種、悲しい思いがいたします。

Nagasaki atomic bomb survivor speaks ahead of Japanese Nobel Peace Prize winner’s

A Japanese organisation of atomic bomb survivors from Hiroshima and Nagasaki has won the Nobel Peace Prize for its “efforts to achieve a world free of nuclear weapons”. The group, known as Nihon Hidankyo or Hibakusha, which is a Japanese term to describe the survivors of the atomic bombings, was awarded the prize in the Norwegian capital of Oslo on Friday morningThe Norwegian Nobel Committee, announcing the award, said in its citation: “Hibakusha is receiving the Peace Prize for its efforts to achieve a world free of nuclear weapons and for demonstrating through witness testimony that nuclear weapons must never be used again.”

♬授賞式、受賞スピーチ furi-

代表委員 田中熙巳さんの演説全文 in English  フリードネス委員長のSpeech

(asahi)ノルウェー・オスロで10日にあったノーベル平和賞の授賞式で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)を代表してスピーチした田中熙巳(てるみ)さん(92)は、日本政府が原爆の犠牲者に国家補償をしていないことに繰り返し言及した。あえて強調したのはどんな思いからなのか、どう受け止められたのか。 《もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい》


直野章子京大

――田中さんは授賞式で、なぜ「国家補償」を強調したのでしょう。

 「補償」とは、「お金がほしい」ということではありません。死者の無念を代弁し、放置されてきた人たちを忘れないでと訴え、国に「償い」を求めたものです。そうした田中さんの強い思いを感じさせるスピーチだったと思います。

[戦後補償を拒み続ける政府の真意とは]

今年もおせっかい「統計」が届いた。(2023は;Dataでみる私の”2023″)Audibleの統計が届いたら追加しよう。

写真から見ると「グルメrを堪能、アウトドア大好き、景色を楽しむ」となる。AIのデータ収集なんてこんなもの・・・・。

<でも本当の私の行動・日々はこちらにあり!>

Walking Record   ハイムガーデン散歩日誌   New life  Komorebi Song List  my own「理論集」(24の追加,1件)   <自力歩行・リハ日誌>

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気にしないようにしててもこのごろ腹の立つこと、腹が立つ人たち。「Abe」よりましかなとは思いつつ、、、。Old Girlと言われようとも。

🌸 プロ広報&PRの目で見た 兵庫知事選 問題の本質は?|フリーランス広報&PRの藤井セイラの眼で見た兵庫県知事選

ポリタスTV 12/1
1️⃣折田楓さんの広報ぶりの長所と短所
2️⃣斎藤元彦&立花孝志は刑事罰の対象では?
3️⃣自治体にもネットのプロが必要な時代

なぜ若者は斎藤氏、国民民主、石丸氏に投票したのか その2つの争点>  伊藤昌亮1961年生成蹊大学教授。

1.高齢化社会における「弱者の新自由主義」   

2.「過激化する中道」と学歴エリート

  •  ――今回の衆院選の結果、特に国民民主党が若い世代の支持を集めたことをどう見ていますか。

本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)2024年11月27日16時9分 投稿 👈良い

【視点】 関心を引かれたのは、記事内の「ただ、従来のポピュリズムと違うのは、反エリートという要素が薄いことです。石丸氏は京大卒の元銀行員で、国民民主の玉木雄一郎氏や兵庫の斎藤氏は東大卒の元官僚です。いわばエリート主導の反既得権益であり、ポピュリズムなのです」という部分である。 確かに彼らは出身大学だけから見れば「エリート」と言ってよいかもしれない。しかし、そもそも「エリート」とは何か。斎藤氏のように公益通報のルールも踏みにじり、公選法違反疑惑の渦中にあるような人間は「エリート」か。玉木氏のように不倫や問題発言が相次ぐ人間は「エリート」か。肩書だけは立派かもしれないが、浅ましいとも言える言動や認識を垂れ流す人間は「エリート」なのか。 彼らが受けてきた、難関とされる教育機関での教育内容を含め、日本における「エリート」のありようについて根底から検討が必要のように思う。

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長年、知りたくて知りたくて、何度も挑戦し、やっと見つけた(でも、見つからなかった)中学の時の文通友達ジャン・スケースの家。「スキヤキ」のレコードを送ってもらったこともあった。きれいな字だった。80歳前後か、生きているのだろうか?Janがくれた手紙は残っていないが、届いた手紙の封筒の文字を画像で保持していたのが良かったようだ。

Jessica撮影の15142 Moorpark st.

今年の夏急に親しくなったJessica。彼女が11/13自宅から30分かけてJan Scaceの家を訪ねてくれた(この、記憶力・注意深さに感銘)。信じられないほど人に頼まれたことを大切に守る人だと思った。本当に、元の意味の通り「有難い!!」

Nov 13 Jessica : Today, I went to the address you gave me for your pen friend Ms. Jan Scace. There was an apartment building there. I talked with its owner, and learnt he bought the lot from a builder who had built this new building in 1988.

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