子どもの頃の思い出 (母が残したもの)
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母の詩 ::::: ねがい:::::: (少女新聞より) 1955年ごろ
樫の木は高いなあ- 足もとに大きな黒い影を落して こんなにしっかり 地球にまたがっては こわい物なんかないだろうなあ 木陰はずい分涼しいなあ- 音もない風なのに そよ、そよ、そよ、とかずかな梢まで 樫の木の葉がゆれているよ
たくましくそしてやさしい 樫の木の様な人になれたら どんなにいゝだろうなあ-
2021/3/15 どこかから出てきた昔の絵をここへちょっと
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母の詩 ::::: ねがい:::::: (少女新聞より) 1955年ごろ
樫の木は高いなあ- 足もとに大きな黒い影を落して こんなにしっかり 地球にまたがっては こわい物なんかないだろうなあ 木陰はずい分涼しいなあ- 音もない風なのに そよ、そよ、そよ、とかずかな梢まで 樫の木の葉がゆれているよ
たくましくそしてやさしい 樫の木の様な人になれたら どんなにいゝだろうなあ-
2021/3/15 どこかから出てきた昔の絵をここへちょっと
無題ドキュメント
就学前のある日満3歳の時の弟誕生の日の記憶を除き、私が最も古い記憶としてはっきり憶えている風景は、小学校へ入学する前、学校の教室なのか廊下なのか、明るい陽ざしが輝く板敷きの室内で、うれしいようなコワいような緊張の中で、何かを待って友だちと並んで座っていた時間。きっと先生のお話しを待っていたのだろう、もう思い出せない。でも、晴れやかな楽しいことが始まるのを感じていた。 |
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習字コンクールで「特選」となる小学校は(たぶん,きっと,かなり)のんびりしていた。小学校2年生の姉がやっている二桁の算数の問題は解いてたけど、のんびりした字を書いていた。母は私のひらがながおお~きくて、名前の最初の字”ひ”が「下へどんどん延びて上へ戻ってこない」と言って心配して、でも笑った。 |
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鉛筆の思い出毎日学校へ持っていく鉛筆は、いつもきれいに削ってありました。母が、子どもたちが寝静まってからきれいに削ってくれたのです。子どもころは当たり前のように思っていましたが、母の勤勉さと愛情を感じました。 |
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定期購読は「少女ブック」小学生の時、父が毎月買ってくれた懐かしい少女雑誌です。内容は歌手などアイドルの写真やマンガ、読み物。テーマは、バレエ、家族のものがたり、古典など。定期購読の届け先は自宅ではなく父の職場でした。3日ぐらい前から楽しみに待ち、発売日当日は父の帰宅を首を長くして待ちました。その父は、「あ!(届いたのに)持ってくるのを忘れた!」とよく言いました。私がどんなに落胆したことか!!なのに父は何だか嬉しそうだった気がします。きっとあまり多くない”楽しみ”を大きくしてくれたのかもしれません。 |
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小学校高学年の時の先生私が出あった先生の中で最も尊敬し好きだった村越栄子先生。聡明で字が素晴らしく上手で、ふっくらした体格でした。明るい学校の裏山での野外観察(&ちょっと勉強)がユニークで好きでした。5年生のころ、先生の長男が脳炎に罹り、数カ月後教室に戻ってきたとき、黙って黒板に「ウィルス性脳炎・・」と書いて悲しみをこらえて私たちに説明しました。悲しさが胸に響きました。後年、母の無二の親友となりました。 |
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集団就職で旅立った友中学を卒業すると集団就職のために上京する友人が多くいました。その友人たちが宮内駅からみんな同じような白っぽいスプリングコートを着てその中はまだ学生服のまま、応援団の応援歌と家族・先生・たくさんの友人に見送られて旅立ちました。それぞれの歴史があったことでしょう。私は知らない・・。でも、あの見送りの時の別れの悲しみと何とも言えない奮い立つような思いの春は忘れられません。 |
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