Audible で中西進による万葉集の「貧窮問答歌(びんぐうもんどうか)」についての研究解説を2度じっくり聞いた。「清貧」に甘んじることを美徳とする日本についての憶良のものの見方について、目からうろこの内容だった。「子等を思ふ歌」の解釈も学校で勉強したこととは全く異なり、子をいとおしむ歌などではなく、逆に「Logosを重んじ自分を律して生きる『士(男の子)』のとるべき態度がそれでよいのか?」と問う歌だった!

講演 歴史社会

「貧窮問答歌」で生き方を説いた゛知”の万葉歌人山上憶良

中西進(奈良県立万葉文化館館長)

異端の万葉歌人・憶良を知る

「清貧」に甘んじることを美徳とする日本において、憶良はまったく反対の考えを持っていた。恋愛の歌が多い万葉集の中で、「貧乏」をテーマとした憶良という特異な歌人について中西先生が語る。「万葉歌人・山上憶良。その原点は朝鮮半島生まれの「在日」という生い立ちにあった。「貧窮問答の歌」など貧困・病苦・老い・生死を見つめたリアルな社会派詩人—-憶良の歌う悲しみは、現代に通じる悲しみである。」(「悲しみは憶良に聞け」中西 進著 単行本:解説より)

「小学館」のページより

貧窮問答歌」をご存知でしょうか? 日本最古の和歌集「万葉集」におさめられている山上憶良の歌。『万葉集』巻五所収の長歌と反歌1首。奈良時代初期の歌人山上憶良作。貧しい者とそれよりもさらに貧しい者とが,貧乏生活を問答の形で述べ合ったもの。そこに示された貧窮の様相は写実的で,班田制下の農民の姿を余すところなく伝えている。


貧窮問答歌の代表的な部分

竈(かまど)には 火気(けぶり)吹きたてず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く

此(こ)の時は 如何(いか)にしつつか 汝(なんじ)が世は渡る

世間(よのなか)の道 世間を憂(う)しと恥(やさ)しと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
貧窮問答歌の「答え」にあたる歌の最後の部分。

貧窮問答歌の作者、山上憶良とは

「小学館」編集のサイトでは「生まれたのは、660年ごろといわれていますが、具体的な日時は不明」としていますが、中西進ははっきりと朝鮮百済からの渡来人(4歳で渡航)としての identity とConpitency (abilityとは異なる”対応力”(適応能))を持った人物としていて説得力があります。

山上憶良が「貧窮問答歌」「子等を思ふ歌」など異色の歌を作ったのはなぜか?

2022/5/25 2022/10/29 芸術・科学技術・芸能(テレビ)・文化

山上憶良

山上憶良と言えば、「銀(しろがね)も金(くがね)も玉(たま)も何せむにまされる宝子に如(し)かめやも」という「子等を思ふ歌」が有名で、万葉集にも多くの歌が収録されていますが、「貧窮問答歌」など他の歌人とは違った思想性・社会性を帯びた異色の作風です。

なぜ彼はこのような歌を作ったのでしょうか?

1.山上憶良とは

山上憶良(やまのうえのおくら)(660年~733年頃)は奈良時代の官人・歌人で、出自については不明ですが百済系渡来人説など諸説あります。「百済系渡来人説」を唱えたのは、「令和」の元号考案者として有名になった万葉学者の中西進氏(1929年~ )です。憶良は、天智・天武両天皇の侍医を務めた百済人の憶仁の子で、百済の滅亡に際して父とともに日本に渡来し、近江国甲賀郡山直郷に住みつき、山上氏を称するようになったということです。

702年、42歳の時に遣唐使の随員(無位山於憶良)として唐に渡り、704年に帰国後は伯耆守・東宮侍講を経て筑前守となり、大宰府で太宰帥(だざいのそち)の大伴旅人(おおとものたびと)(665年~731年)らと交わり「筑前歌壇」を形成しています。遣唐使の随員に選ばれたのは、漢文学の学識を認められたからだと思われますが、官位もなく、下級役人でした。

しかし、唐で最新の学問を修めて帰国した彼は、伯耆守に任じられ、さらには皇太子(後の聖武天皇)に学問を教える東宮侍講に抜擢されています。聖武に仕えた彼は出世のパスポートを手に入れたように見えます。しかし、何かの失敗をしたのか、天皇や藤原氏から嫌われたのか不明ですが、聖武天皇が即位直後の726年頃に筑前守として九州に左遷され、中央政界から遠ざかります。

一般的に官人は地方で蓄財して都に戻るものですが、彼は後に都に戻っても貧困のままだったようです。彼の清廉で真面目なところが藤原氏に嫌われたのかもしれません。

余談ですが、菅原道真は学者一族出身ですが、出世意欲・上昇志向が強く、藤原氏と競って右大臣にまで上り詰めますが、藤原氏の讒言によって太宰府に左遷されました。憶良は道真ほど出世することもなく、大宰府に左遷され、都に戻った翌年に不遇のうちに亡くなったようです。

2.山上憶良が思想性・社会性を帯びた異色の歌を作った理由

彼の歌は哀愁の漂うしみじみとしたものが多くなっています。病気や貧困、老いや死など庶民の苦難をテーマにしたものが多く、「相聞歌」(恋の歌)や「雑歌」(儀式の歌)は作っていません。彼は律令体制下の重圧に喘ぐ人々に、門閥もなく出世の道を閉ざされた不運な自分の境遇を重ね、思うように行かない現実と知識人としての自負と苦悩を表現したかったようです。

彼は柿本人麻呂(660年頃~724年)や山部赤人(?~736年?)を中心として花開いた万葉の世界にあって、人麻呂のような儀礼的な歌を歌わず、赤人のような叙景的な歌も詠みませんでした。万葉集に多い恋の歌もありません。それよりも世の中の貧しい人々のため息、子を思う気持ち、老残の身の苦しみこそ、彼が歌を通じて訴えたかったことです。

「貧窮問答歌」は地方役人として農民たちの生活の困窮ぶりを間近に見て、それを貧者とさらに貧しい貧者との問答とした長歌と反歌一首です。朝廷の地方役人の立場の彼が、民の側に立ったこのような歌を詠んで大丈夫なのかと他人事ながら心配になりますが、このように訴えなければならないほど庶民の困窮はひどいものだったということでしょう。

3.山上憶良の歌

(1)子等を思ふ歌

瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ   ・銀も 金も玉も なにせむにまされる宝 子にしかめやも

(2)貧窮問答歌

(3)秋の七草の歌

なお、彼の歌で異色なものに2首の「秋の七草」の歌(2首目は「旋頭歌(せどうか)」)があります。 ①秋の野に咲きたる花を指折り(およびをり)かき数ふれば七種(ななくさ)の花 ②萩の花尾花葛花瞿麦(なでしこ)の花姫部志(をみなへし)また藤袴朝貌(あさがほ)の花

※ 山上臣憶良には七夕を詠んだ歌があり、万葉集巻八にまとめて載せられている。人生の苦悩を歌い続けた憶良にしては、めずらしく風月や伝説を詠んだものであるが、いづれも自発的に作ったものではなく、官人たちの宴の席で、求めに応じて歌ったものと思われる。

※ (中西)憶良は(子を思うような)「凡庸」を否定した。憶良の周りにある「社会」(約束事)の存在を意識し、その中でも「(律令)官僚」の存在を意識し、その中心になろう、理想的な存在になりたいと欲した。

”士(をのこ)やもむなしくあるぺき万代に語り継ぐべき名は立てずして                        

士であるためにはConpitency(応答能) をもち世の中の名声を得ることが大切だと思い憧れていたのではないか。百済経由の大陸文化を身につけた知の人新しい時代が生んだ歌人であった。

風雑(まじ)り 雨降る夜の 雨雑り
雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば
堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆさけ)
うち啜(すす)ろひて 咳(しはぶ)かひ 鼻びしびしに
しかとあらぬ 髭掻き撫でて 吾(あれ)をおきて
人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば
麻衾(あさふすま) 引き被(かがふ)り布肩衣(ぬのかたきぬ)
ありのことごと 着襲(そ)へども 寒き夜すらを
我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ
妻子(めこ)どもは 乞ひて泣くらむ
この時は いかにしつつか 汝が世は渡る

【訳】風まじりに雨が降る夜、雨まじり雪降る夜はどうしようもなく塩を舐めながら糟湯酒をすすり、咳をしながら鼻をすする。

少しはでているヒゲをなでて、自分より優れたものはいないだろうとうぬぼれているが寒くて仕方がないので、麻の布団をかぶって
麻衣を何枚重ねても寒い夜だ。

私よりも貧しい人の父母は飢えてこごえ、妻子は泣いているだろう。どうやってあなたは暮らしているのか。

天地(あめつち)は 広しといへど 吾がためは
狭(さ)くやなりぬる 日月は明しといへど
吾がためは 照りや給はぬ 人皆か
吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを
人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の
海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ
肩に打ち掛け ふせいおの まげいおの内に
直土(ひたつち)に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に
妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ
竈(かまど)には 火気(ほけ)吹きたてず 甑(こしき)には
蜘蛛の巣かきて 飯炊(いひかし)く 事も忘れて
ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を
端切ると 言えるが如く しもととる
里長(さとおさ)が声は 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ
かくばかり 術なきものか 世の中の道

世間を憂しとやさしと思へども

飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

【訳】天地は広いというが、私には狭い。太陽や月は明るいというが、私のためには照らしもしない。他の人も皆そうなのか、私だけなのか。

人として生まれ、人並みに働いているのに綿も入っておらず海松のように破れて垂れ下がったものばかりを肩にかけて、つぶれかかり曲がって傾いた家の中には、地面に藁を敷いて、父母は枕の方に、妻子は足の方に、私を囲むようにして悲しんだりうめいたりしている。

かまどには火の気もなく、米をにる器には蜘蛛の巣がはって飯を炊くことも忘れてしまったようだ。

かぼそい声を出していると、「短いもののはしを切る」とでも言うように鞭をもった里長の声が寝床にまで聞こえる。

世の中というのはこれほどどうしようもないものなのか。この世の中は辛く、身も痩せるように耐え難く思うけど、飛んでいくこともできない。鳥ではないのだから。

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この2年ぐらいで初めて紙で買った「本」!大笑いの万葉集だ。

1300年前に奈良で生まれた万葉集を、現代の奈良弁で訳した本。奈良時代の若者の恋歌を“令和の若者言葉”や “奈良の言葉”を使って訳しています。

佐々木良「愛するよりも愛されたい 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集」 SNS的感性が共感を呼ぶ
  • 『万葉集』と聞けば、遠い存在に感じてしまう。古典の授業や日本史の教科書に登場した、なんだか難しそうな歌集。それが万葉集の世間一般のイメージなのではないだろうか。しかしそんな印象を一変させる本がある。高松で出版社を立ち上げた著者による、『万葉集』を現代語に訳した本書である。
  •  たとえば「白栲(しろたへ)の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも(巻12・3182番)」の和歌を本書はこう訳す。「あんたに別れ話をされたとき『ほな別れたるわ!!』って即レスしたけど正直やってもうた!て思てる」……たしかに「白栲の袖」「思ひ乱れて」などの古語では伝わりづらい感情も、「即レス」「やってもうた」などの現代語を使われると、なるほどそういうことか、と微笑(ほほえ)ましく感じられる。万葉集の歌が、これまでになく身近に迫ってくる。そして「和歌って、現代のSNSやLINEの文面みたいなものなんだな」と気づかされる。
  •  私は2019年に『妄想とツッコミでよむ万葉集』(大和書房)を出版したのだが、その際も「美しい景色を詠む和歌は、きれいな景色にポエムを添えて投稿するInstagramのようなもの」「何首も続けて詠まれている和歌は、LINEを連投する心情と同じ」と説明した。本書はまさにSNS的な感性をふんだんに使った言葉遣いで、『万葉集』の和歌を現代語訳してくれている。だからこそ現代の私たちが『万葉集』を身近に感じられるのだ。
  •  本書が売れている理由は、まさにSNS全盛期の現代において、「和歌も現代のSNSを見るような感覚で楽しむことができるんだ!」と多くの人に気づかせたからではないだろうか。SNSを通して、言葉で自らの感情を伝えようとする現代。そんな時代に読むからこそ、1300年経った今、共感できる歌たちが『万葉集』にたくさん存在する。そう、『万葉集』には、現代のSNSのヒントが詰まっているのだ。=朝日新聞2023年4月8日掲載
  •  万葉社・1千円=6刷6万部。昨年10月刊。「ふざけて書いた本なので『こんなん誰が買うねん』と初版は500部。だんだん注文が増え、今では刷っても刷っても間に合わない」と著者。2023/4/11
  • 三宅香帆書評家

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4月    5月   6月

4月

◆ 友といて眺めん青き平潟の湾(umi)
◆ 懐かしき歌をうたいて春の午後
◆ 良き友のいる幸せ海静か

4/7 入浴しているとき窓の外に見える円海山の山裾を見ると,先週までピンクだった桃の花がすでに葉っぱ色になり、山には雨をもたらす風が時折強く吹いていた。季節が移っていく・・・。

◆ さくら過ぎ円海山に春驟雨
◆ さくら散り里山は今日嵐なり
バイカオウレン

4/11 春の風が吹く平潟湾、ベランダにはいくつもの野の花。運んだものもあればいつからかどこからか来たものもある。

◆ ベランダに野の花咲くやふたつみつ
◆ そっと咲くすみれカタバミほとけのざ
◆ 海の調べ今日の曲はラフマニノフ

川幅に水が窮屈きんぽうげ (岡本 眸)

水量の増した小さな川。水が溢れるように流れていきます。川のほとりに、鮮やかな黄色の金鳳花が、春の日射しを浴びて輝きます。いきいきと弾むような春の情景です。(季語=金鳳花)

4/21 円海山のすそ野にあるKomorebiは、施設が山裾に広がり野の花がそのまま咲いている。山からの風が涼しく入ってくる。

🌸山裾にポピーが二輪風に揺れ
◆ 山の端に赤いポピーが風に揺れ
◆ 山からのそよ風ポピーを揺すりをり
◆ 春の風ポピーを揺らし渡りゆく

4/28 Daycareへの道にハナミズキとヤマボウシが咲く季節

🌸Daycareの道に真白きハナミズキ
◆ 春風に揺れるや白きハナミズキ
◆ 風に揺れる小さき花よハナミズキ
 ———————————–
◆ 鎌倉の庭のヤマボウシいつ咲くや
◆ ヤマボウシ咲く水無月は鎌倉へ

4/28 毎週金曜日にいつも楽しく歌ってくれた「専属歌手」 Hirosさんがもうすぐ施設に移ると聞いて“これも人生”と思う。Hirosさんの好きな歌が「山小屋の灯」だった。4/28は家で大切にされているらしいその歌が入った歌詞集を持ってこられた。 

◆ 「山小屋の灯」歌い別れゆく

5月

5/17 円海山のふもとに薫風が吹き、木々の若葉を揺らしています

◆ 山裾の野に葉を揺らすくるみの木 
◆ 栗の木の若葉を揺らす五月風

5/24 このところの歩行訓練はいつも順調とはいかず行きつ戻りつの試行錯誤。戸外をしっかり歩いたのも久しぶりだった。

◆ 戸外へと勇んで足を踏み出しぬ
◆ おぼつかぬ歩みのわれに風すがし
◆ 重い足一歩ずつ前ただ前へ
🌸我が歩み励ます友のドレミの歌

6/9 俳句を作る時間があるKomorebiは、たいていいつも楽しく忙しく俳句を作るのを忘れる。無理矢理(?)作ったのでダメかな?この日はMr.S氏と話をして私のピアノが話題になった。

🌸降る雨にピアノの音よ溶けてゆけ
◆ ピアノ弾く窓を見やれば紫陽花の青

梅を干す真昼小さな母の音 (飯田龍太)

静かな真昼、母が梅を干す小さな音が聞こえています。毎年この時期に繰り返されてきた、そのやさしい音に心が安らぎます。(季語=梅干す)

komoreniの梅の実

6/18 ハイム花壇散歩で中庭まで歩き、車椅子を取ってきてもらうまでに作った俳句

◆ 海風を受けてベンチに休みおり
◆ 庭に咲くアジサイ・コスモス・グロリオサ   <Gloriosa 和名:キツネユリ(狐百合)>
◆ 中庭のベンチに脚を伸ばしおり

6/28 Seong-Jin Choさんの東京文京区(Civic Hall)コンサートの日

◆ 東京に行って聴きたしSeong Jin Cho
◆ Cho Seong-Jinのコンサート希望にリハビリへ

6/30 白鷗会報で白鷗句会の作品を見て作ってみた(ちょっと”力”入れて)。部外者は投稿できないのかな?次回は7/17らしい。誰かに見てもらわないと。とんでもない句ばかり作ってるから・・・。

◆ レース地へ湾を進みゆくヨット二艇
◆ 狭き湾の釣船すり抜けカヌー走る
◆ 日曜昼前の湾は忙し釣船帰る

 

Haiku, poem

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保土ヶ谷区にある市の施設の中にあるそんなに大きくない図書館で「新しい人よ眼ざめよ」を見つけ,書架から取り出した時の新鮮な感激は今もはっきり覚えている。

『新しい人よ眼ざめよ』は、ブレイクの後期預言詩のひとつ『ミルトン』の序の一節「Rouse up, O, Young men of the New Age !」からインスピレーションを得ている。また各短編のタイトルもブレイクの詩行や絵画のタイトルに由来する。

Bring me my Bow of burning gold;
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!

★障害を持つ長男イーヨーとの「共生」を、イギリスの神秘主義詩人ブレイクの詩を媒介にして描いた連作短編集。作品の背後に死の定義を沈め、家族とのなにげない日常を瑞々しい筆致で表出しながら、過去と未来を展望して危機の時代の人間の<再生>を希求する、誠実で柔らかな魂の小説。大佛次郎賞受賞作。講談社の紹介文

(Jerusalem)

And did those feet in ancient time,
Walk upon Englands mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On Englands pleasant pastures seen!
And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?
Bring me my Bow of burning gold:
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fi re!

 知的な障害とはまた別に、まじめな性格の光は、歩行訓練をする間、しゃべりません。私も、読んでいる本のことを思い出したりしています。足を高くあげない光は、つまずきやすいし、てんかんの小さな発作を起こすことがあります。後の場合、抱きとめておいて、地面に座らせることができれば五分ほどじっとしています。その間、周りから声をかけられることがあっても、光の頭を支えている私は応答できません。それが相手をムッとさせることは幾度となくありました。さて、今度の歩行訓練で、私がつい頭のなかの散漫な思いにとりつかれている時、転っていた石に足をとられて、光がバタンと倒れたのです。てんかんの発作ではなく、意識がはっきりしているので、かえって気持ちを動転させています。自分の失敗を責めてもいるようです。

 私にできることは、自分よりずっと重い光の上体を抱え起こし、遊歩道路の柵まで寄らせて、頭を打たなかったかどうか調べるくらいですが、私ら二人のモタモタした動きは頼りなく見えたにちがいありません。自転車でやって来た壮年の婦人が跳び降りると、―大丈夫?と声をかけながら光の肩に手をあてられました。光がもっとも望まないことは、見知らぬ人に身体をさわられるのと犬に吠えられるのとです。こういう時、私は自分が十分に粗野な老人であることは承知の上で、しばらくほうって置いていただくよう強くいいます。

 その方が、憤慨して立ち去られた後、私はある距離を置いてやはり自転車をとめ、こちらをじっと見ている高校生らしい少女に気付きました。彼女はポケットからケータイをのぞかせて、しかしそれを出すというのじゃなく、ちょっと私に示すようにしただけで、注意深くこちらを見ています。 光が立ち上り、私がその脇を歩きながら振り返ると、少女は会釈して、軽がると自転車を走らせて行きました。私にとどいたメッセージは、自分はここであなたたちを見守っている、救急車なり家族なりへの連絡が必要なら、ケータイで協力する、という呼びかけでした。私らが歩き出すのを見ての、微笑した会釈を忘れません。

     *

 さきの大戦の終わりに抗独戦線に参加している一人として死んだ、🌹フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの、🔹不幸な人間に対して注意深くあり、――どこかお苦しいのですか? と問いかける力を持つかどうかに、人間らしい資質がかかっている、という言葉に私は惹(ひ)かれています。 ヴェイユの不幸な人間の定義は独特ですが、突然の転倒に動揺している私らも、この場では不幸な人間です。こちらが受け入れられないほど積極的な善意を示してくださった婦人も、ヴェイユの評価する人間らしさの持ち主です。🌹むしろこういう時にも自分にこだわる(そこからの解放をヴェイユは説くのでもあります)私を変えねばなりません。その上で、不幸な人間への好奇心だけ盛んな社会で、私はあの少女の注意深くかつ節度もある振る舞いに、生活になじんだ新しい人間らしさを見出す気がします。好奇心は誰にもありますが、注意深い目がそれを純化するのです。

 大江さん 小説を書いている人間、その人間自身が、世界、日本、社会の中でどのような存在であるか。いつもそういうことが頭にある。僕のように小さな村、そして森を題材にしつつ、現代の東京に生きている人間として、同時代の中で七転八倒しながら書く。戦後文学を担った多くの作家はそうしてきました。

 ――大江文学を流れる最大のテーマに「森の思想」があるといわれる。これはどういうものですか。大江さん 僕は四国の愛媛県で生まれました。子供のころは台風、大水が多かった。森は何か恐ろしいと同時に魅惑的だった。魂を癒す故郷を森に求めたのです。半分は架空の森で、同時に神話も実話もある。安保闘争に苦しんだ男が、森にかえる、それが「万延元年のフットボール」です。森と谷間の村に材を求めてきましたが、その集大成が「燃えあがる緑の木」です。二部まで出て、最後の三部を推敲(すいこう)していますが、結局悲劇に終わる。未来へ受け継ぐものは暗示させたい。

 二十八歳の時、長男が生まれた。脳に障害を持って生まれた光と共に生きて行くことが、僕の文学を変え、人生を変えた。僕のように早熟で、それまで頭だけで小説を書いてきた人間は二十代の終わりで行き詰まり、自殺してしまったかもしれない。必ず行き詰まった。大変だったけれども夫婦で(純粋な心をもつ)光に勇気づけられることは多かった。三十八年間小説を書いてきて、そのうち三十一年間は光と共にいる。人間らしさとはどういうことか。どんなに暗い人間、性格、状況を描いても文学は人間を励まし、勇気づけ、活気づけるものであることが、光と生きて分かったということでもあるでしょう。

大江健三郎さん 高校時代の文章や詩見つかる 愛媛 内子町

大江健三郎さんは、愛媛県内子町の大瀬地区に生まれ、昭和25年に地元の県立内子高校に進学し、文芸部に所属しながら1年間在校しました。13日、大江さんの訃報が報じられたことから、高校が校内の資料室でゆかりの品を探したところ、73年前に当時1年生だった大江さんが校内で発行する生徒会誌に寄稿した文章や詩が見つかったということです。シェークスピアの「ハムレット」について記した文章では、ハムレットの生涯から人間の運命を思索しつつ、「前進することは悩みの連続であろう。しかし人間は前進するように運命づけられている」と人生への決意ともとれる記述があります。

「ハムレット」について記した文章
「赭い秋」

The Nobel Prize-winning Japanese author Kenzaburo Oe has died at the age of 88.

Strongly influenced by French and American literature, he was known for his powerful accounts of the atomic bombing of Japan and coping with his son, who has learning difficulties. He won the Nobel Literature Prize in 1994, with judges praising his “darkly poetic” novels for their “disconcerting picture of the human predicament”. The whole Article by BBC, March 14

Rouse Up, O Young Men of the New Age!

Kenzaburō Ōe

“K is a famous writer living in Tokyo with his wife and three children, the oldest of whom was born with a brain anomaly that has left him mentally disabled. A highly cerebral man who often retreats from real life into abstraction – in this case, the poetry of William Blake – K is confronted by his wife with the reality that this child, Eeyore, has been saying and doing disturbing things – behaving aggressively, asserting that he’s dead, even brandishing a knife at his mother. As the days pass, various events – K’s hapless attempts to communicate with his son, Eeyore’s near drowning during a father-son trip to the swimming pool, a terrible hurricane that nearly destroys the family’s mountain cottage and the family inside it – K is forced to question his fitness as a father.” K reconsiders his own life – his relationship with his father, his rural upbringing, his relationship with a well-known dissident writer who committed suicide, the responsibilities of artists and writers in Japan generally. In the end, in part through his obsessive rereading of Blake, K is able to see that things are not always what they seem, especially where his son is concerned, and to trust his heart as well as his mind.

新しい人よ眼ざめよ/Rouse Up O Young Men of the New Age!
個人的な体験/A Personal Matter
静かな生活/A Quiet Life
人生の親戚/An Echo of Heaven
性的人間/Seventeen and J: Two Novels
取り替え子/The Changeling
宙返り/Somersault
ピンチランナー調書/The Pinch Runner Memorandum
万延元年のフットボール/Silent Cry
芽むしり仔撃ち/Nip the Buds, Shoot the Kids
われらの狂気を生き延びる道を教えよ/Teach Us to Outgrow Our Madness


 3/21 大江さんが大江さんが新しいスタイルの小説を書くことはもうない。難解な小説は、いまでも私には難解なままだ。それでも、大江さんはこんな風にして、いつでも語りかけてくれる。最後の小説になった「晩年様式集」の最後の詩のような、希望をつなぐ深く優しい言葉で。小さなものらに、老人は答えたい、/私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる高津祐典)  Full Text  

3/14 大江健三郎は「戦後」に君臨しないまま統治した ikezawa

おおえ・けんざぶろう  なんと美しい名前だろう。やわらかい母音が三つ連なり、それをKという子音がしっかり受けて、更にごつごつしたZが乱して、「ろう」で丸く収まる。音節の数は軽く七五調を逸脱している。こんな名前を持った男が詩人でないはずがない。FULL TEXT

大江文学の価値・広さ/大きさ

日本人の連帯感・・「個人の深みに根ざしている静けさ」

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  good English translation付
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百人一首の歌番号順に並べた一覧です。歌と作者名をよみがな付きで記載。各歌の歌番号から、詳細ページにリンクしています。詳細ページでは、意訳などのほか、歌の読み上げも聞けます。
表の最後に、競技かるた序歌の「難波津に~」も加えました。

ほかに、むすめふさほせ(暗記グループ)と、種類順、決まり字と語呂合わせの一覧もあります。(上記の水色部分)

番号作者
001秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ天智天皇
てんぢてんのう
002春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山持統天皇
じとうてんのう
003あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を 独りかも寝む柿本人麿
かきのもとのひとまろ
004田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ山部赤人
やまべのあかひと
005奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき猿丸大夫
さるまるだゆう
006かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける中納言家持
ちゅうなごんやかもち
007天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも阿部仲麿
あべのなかまろ
008我が庵は 都の辰巳 しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり喜撰法師
きせんほうし
009花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に小野小町
おののこまち
010これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関蝉丸
せみまる
011わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟参議篁
さんぎたかむら
012天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ僧正遍昭
そうじょうへんじょう
013筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる陽成院
ようぜいいん
014陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに河原左大臣
かわらのさだいじん
015君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ光孝天皇
こうこうてんのう
016立ちわかれ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む中納言行平
ちゅうなごんゆきひら
017ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 唐紅に 水くくるとは在原業平朝臣
ありはらのなりひらあそん
018住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ藤原敏行朝臣
ふじわらのとしゆきあそん
019難波潟 短き芦の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや伊勢
いせ
020わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ元良親王
もとよししんのう
021今来むと いひしばかりに 長月の 有り明けの月を 待ち出でつるかな素性法師
そせいほうし
022吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ文屋康秀
ふんやのやすひで
023月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど大江千里
おおえのちさと
024このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに管家
かんけ
025名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな三条右大臣
さんじょうのうだいじん
026小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今一度の 行幸待たなむ貞信公
ていしんこう
027みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ中納言兼輔
ちゅうなごんかねすけ
028山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば源宗于朝臣
みなもとのむねゆきあそん
029心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花凡河内躬恒
おおしこうちのみつね
030有り明けの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし壬生忠岑
みぶのただみね
031朝ぼらけ 有り明けの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪坂上是則
さかのうえのこれのり
032山川に 風のかけたる 柵は 流れもあへぬ 紅葉なりけり春道列樹
はるみちのつらき
033久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ紀友則
きのとものり
034誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
藤原興風
ふじわらのおきかぜ
035人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
紀貫之
きのつらゆき
036夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ清原深養父
きよはらのふかやぶ
037白露に 風の吹きしく 秋の野は 貫き止めぬ 玉ぞ散りける文屋朝康
ふんやのあさやす
038忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな右近
うこん
039浅茅生の 小野の篠原 忍れど あまりてなどか 人の恋しき参議等
さんぎひとし
040忍れど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで平兼盛
たいらのかねもり
041恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか壬生忠見
みぶのただみ
042契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは清原元輔
きよはらのもとすけ
043逢ひ見ての 後の心に 比ぶれば 昔は物を 思はざりけり権中納言敦忠
ごんちゅうなごんあつただ
044逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし中納言朝忠
ちゅうなごんあさただ
045あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな謙徳公
けんとくこう
046由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな曾禰好忠
そねのよしただ
047八重葎 茂れる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり恵慶法師
えぎょうほうし
048風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ くだけて物を 思ふ頃かな源重之
みなもとのしげゆき
049みかき守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ大中臣能宣朝臣
おおなかとみのよしのぶあそん
050君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな藤原義孝
ふじわらのよしたか
051かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを藤原実方朝臣
ふじわらのさねかたあそん
052明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな藤原道信朝臣
ふじわらのみちのぶあそん
053嘆きつつ 独り寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る右大将道綱母
うだいしょうみちつなのはは
054忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな儀同三司母
ぎどうさんしのはは
055滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ大納言公任
だいなごんきんとう
056あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今一度の 逢ふこともがな和泉式部
いずみしきぶ
057めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな紫式部
むらさきしきぶ
058有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする大弐三位
だいにのさんみ
059やすらはで 寝なましものを さ夜更けて 傾くまでの 月を見しかな赤染衛門
あかぞめえもん
060大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立小式部内侍
こしきぶのないし
061いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂ひぬるかな伊勢大輔
いせのたいふ
062夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関は許さじ清少納言
せいしょうなごん
063今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな左京大夫道雅
さきょうのだいぶみちまさ
064朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木権中納言定頼
ごんちゅうなごんさだより
065恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ相模
さがみ
066もろともに あはれと思へ 山桜 花より外に 知る人もなし前大僧正行尊
さきのだいそうじょうぎょうそん
067春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ周防内侍
すおうのないし
068心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな三条院
さんじょういん
069嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり能因法師
のういんほうし
070さびしさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ良暹法師
りょうぜんほうし
071夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く大納言経信
だいなごんつねのぶ
072音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ祐子内親王家紀伊
ゆうしないしんのうけのきい
073高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ前中納言匡房
さきのちゅうなごんまさふさ
074うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを源俊頼朝臣
みなもとのとしよりあそん
075契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり藤原基俊
ふじわらのもととし
076わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波法性寺入道前関白太政大臣
ほっしょうじにゅうどう・・・
077瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ崇徳院
すとくいん
078淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守源兼昌
みなもとのかねまさ
079秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ左京大夫顕輔
さきょうのだいぶあきすけ
080長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ待賢門院堀河
たいけんもんいんのほりかわ
081ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有り明けの 月ぞ残れる後徳大寺左大臣
ごとくだいじのさだいじん
082思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり道因法師
どういんほうし
083世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる皇太后宮大夫俊成
・・ぐうのだいぶしゅんぜい
084ながらへば またこの頃や 忍ばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき藤原清輔朝臣
ふじわらのきよすけのあそん
085夜もすがら 物思ふ頃は 明けやらで 閏のひまさへ つれなかりけり俊恵法師
しゅんえほうし
086嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな西行法師
さいぎょうほうし
087村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ寂蓮法師
じゃくれんほうし
088難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき皇嘉門院別当
こうかもんいんのべっとう
089玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする式子内親王
しょくしないしんのう
090見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず殷富門院大輔
いんぷもんいんのたいふ
091きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む後京極摂政前太政大臣
ごきょうごくせっしょう・・
092わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし二条院讃岐
にじょういんのさぬき
093世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも鎌倉右大臣
かまくらのうだいじん
094み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり参議雅経
さんぎまさつね
095おほけなく うき世の民に 覆ふかな 我が立つ杣に 墨染の袖前大僧正慈円
さきのだいそうじょうじえん
096花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり入道前太政大臣
にゅうどう・・・
097来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ権中納言定家
ごんちゅうなごんさだいえ
098風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける従二位家隆
じゅにいいえたか
099人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は後鳥羽院
ごとばいん
100ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり順徳院
じゅんとくいん
序歌難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花王仁博士
わにはかせ

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 1月 ★ 2月 ★ 3月    

1月

幾霜に心ばせをの松飾り (松尾芭蕉)


「心ばせを」は、心の動き向かうところという意味の「心ばせ」と芭蕉を掛けています。幾霜を経ても緑を失わない松の気骨を持った庭の芭蕉をもって、松飾りとするのです。新年にあたっての、芭蕉の新たな決意が感じられます。(季語=松飾り)

オリオンの盾新しき年に入る(橋本多佳子)
・初夢に翼を思い切り使う(月野ぽぽな)
人類に空爆のある雑煮かな(関悦史)
・大空に羽子の白妙とどまれり(高浜虚子)


あおぞらにふれたる水面氷りけり (津久井健之) 

真っ青に澄んだ冬の空。池の水面が氷っているのは、あの青空に触れたから…..(季語=氷る)


1/6 Daycare通所2回目 晴天が続き、海も川もdaycare大浴室の温水もみんな光っている。

 ◆ 冬の陽を受けて水面の光りおり

12/29平潟湾に菜の花

夢殿の赤に世の冬永きかな (松瀬青々)

「夢殿の赤」は、法隆寺夢殿の柱や棟に塗られたべんがら(暗い赤みを帯びた茶色)の色。この世の冬は永く春はまだ遠いことよ。夢殿に安置された、この世の苦しみを救う救世観音への願いが込められています。(季語=冬)

1/16 英語のTextだけど俳句みたい!Twitted by Annie Lennox

I wish I had a river so long I would teach my feet to fly… 

<長き川 あればこの身で 飛ぶものを>  かな?

Song by Joni Mitchell

I wish I had a river so long
I would teach my feet to fly

Oh, I wish I had a river I could skate away on
I made my baby say goodbye
長い長い川の上/ 足を動かして/ そのまま空まで飛び上がりたい/

凍った川の上を滑ってみたい/ ベイビーにさよならを言わせてしまった

River (Singer: Joni Mitchell)

It’s coming on Christmas
They’re cutting down trees
They’re putting up reindeer
And singing songs of joy and peace
Oh I wish I had a river
I could skate away on

◆ 浴槽に冬の木漏れ日きらめきぬ
◆ 窓外の冬の陽(ひ)明(あか)く春近し
◆ 山裾に冬の陽射すをうれし見ゆ
◆ ジャズピアノ響くホールのランチタイム         
1/20 komorebi にて

 ◆ 冬雲の紅色鈍く横たわる(1/21)

冬の空は青く澄みわたり美しい。夕焼け空はことのほか。でも赤い色が終わりに近づくと思わぬ暗い鈍色を示す。

 ◆ 夕焼けの空にひとときミナレッツ(Minarets)

冬の空に美しい夕焼け。海も夕焼け色に染まる。遠くの山を見ると、トルコのミナレットのような景色が浮き出て面白い。

kindleで読んだ俳句歳時記「冬」より(勉強用)

  • 時ものを解決する や春を待つ   高浜 虚子  
  • 旅人と我名よばれん初しぐれ   芭  蕉
  • 初しぐれ猿も小蓑をほしげなり  芭  蕉
  • 淋しさの底ぬけてふるみぞれかな  丈  草
  • 是がまあつひの栖か五尺    一茶
  • いくたびもの深さをたづねけり 正岡子規
  • 降る雪や明治は遠くなりにけり  中村草田男
  • 美しき生ひ立ちを子に雪降れ降れ 村上喜代子
  • 夕暮れは物をおもへと冬の虹   中山純子

  • 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る  芭蕉
  • 吾が影の吹かれて長き枯野かな  夏目漱石
  • 遠山に日の当りたる枯野かな   高浜虚子
  • よく眠る夢の枯野が青むまで   金子兜太
  • 舞ひあがるもの何もなき枯野かな 白濱一羊
  • 雪野来て雪野を帰る訃の使ひ   小畑柚流
  • 雪の野のふたりの人のつひにあふ 山口青邨

寒牡丹おのれの色をしぼり出す (三嶋隆英)

厳しい寒さにさらされながら健気に咲く寒牡丹。自らの体を痛めつけ、絞り出して、これほど美しい色に咲かせているのでしょうか。(季語=寒牡丹)

Kindleで「季語」の勉強をしていると、ふと句が浮かんでくる。今日は「角巻」。

  • ◆ 角巻の母と二人の雪の道
  • ◆ 雪の夜の母の角巻握った手
  • ◆ 雪の日はえんじの角巻ひょいと広げ
母の「詩」

角巻を展げて雪を払ひをり   原田 青児

2月

2/2 蠟梅の季節、でも見に行けないもどかしさ。Daycareに行くとき締め切った車窓から小さな黄色い花を見てその香りを想像するだけ。よし、来年は蠟梅の香りを見にいく!!

◆ 蠟梅の小さき花に春を知る
◆ 垣根越し蠟梅の香り懐かしむ

◆ 節分や鬼もかじかむ冬霰 (季語が3つも入ってるのはダメ?)
◆ 節分や鬼のパンツは黄色なり

さざなみのごとく春来る雑木山 (青柳志解樹)

今日は立春。いよいよ春です。さまざまな木々が芽吹きはじめ、生命が響き合う雑木山。遠くから、さざなみのように、優しく静かに春がやってきます。(季語=春来る)

まんさくは頰刺す風の中の花 (日原 傳)

早春、他の花に先駆けて「まず咲く」ので、なまってこの名がついたという満作の花。まだ、頰をさすような冷たい風が吹くなか、明るい黄色が輝きます。(季語=まんさく)

ゆるゆると児の手を引いて春の泥 (杉田久女)

ぬかるんだ道を、汚れないようにそろそろと歩きます。雪解けや雨にぬかるんだ泥の道、都会ではあまり見なくなりましたね。わずらわしいけれど、「春の泥」は、春が訪れたことを実感させる趣のある季語です。(季語=春の泥)

2/8 daycareの大きな甕に生けられた紅梅が見事。

◆ ふっくりの蕾で春を待つ紅梅
◆ 紅梅の枝ありそこだけ春の風

 

 

何もかも押しやってミモザ抱え来る (豊口陽子)

ミモザは、黄色い小さな花を溢れるように咲かせ、木全体が黄色に輝きます。ほかのどんな用事もあとまわしにして、息を弾ませ、胸いっぱいに抱えてきたミモザ。まわりがぱあっと明るくなりました。(季語=ミモザ)

3/8 久しぶりの俳句。日差しが暖かくなり、施設への道には美しい花が・・・。

◆ 道行けば梅木瓜木蓮春の風
◆ 道端の名もなき黄花を揺らす風
🌸春近し戸外歩行で陽のもとへ

いよいよ、桜の季節がきた。去年は病院の窓から見たマメザクラだけだった!

<自分で編集した🌸図鑑> <Ofuna Flower Center, March ’21><さくら, 2023>

3/17 片吹町の桜並木を見て。

◆ サクラ咲けソメイヨシノもアケボノも
◆ 春の歌グノーメンデルシューベルト

( Gonord:Chanson de printemps, Mendelssohn:Lieder ohne Worte Op.62-6 “Frühlingslied ” (Spring Song) , Schubert:Frühlingsglaube)

3/31 Komorebiにて(2023のサクラを思って)

◆ 2年越しに見る桜花ただ美しき
◆ 薄紅のさくらの花びら空の青
◆ さくら咲きクスノキ芽吹く瀬戸キャンパス
◆ さくら追い銀杏並木に新芽吹く

Haiku, poem

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  10月 ★ 11月  12月    

(勉強用)

10月

雲を見るほかなく角の伐られけり(岩田 奎)
・秋晴の運動会をしてゐるよ(富安風生)
・虫の夜の星空に浮く地球かな(大峯あきら)
十月のやたらさみしい雨の朝(中内亮玄)

・空は太初の青さ妻より林檎うく(中村草田男)
・青空のしんとありけり唐辛子(行方克巳)
・蛇笏忌の空屈強の山ばかり(飯田龍太)
空くるり吸はれて菊に奥のある(宮﨑莉々香)

いくたびも風がとほりて茱萸のいろ 細川加賀

*『生身魂』(1980年、東京美術)より

加賀(1924-89)は東京生まれの俳人。石田波郷の『鶴』に参加。『初蝶』を創刊、主宰しました。

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2022/10/09

🌸秋の雲ふわり流れて湾(うみ)青し

🌸背を伸ばし歩いてみたり秋の日に

歌うため舞台中央へ歩く夢  

10/1(土)8月から目標にしていた鎌倉の庭の訪問達成!

◆ (鎌倉の)わが庭にやさしく咲くや金木犀

◆ 木犀のその金色の花やさし

◆ 木犀のかそけき香り吸い込みぬ

◆ 木犀よ秋には香れ我なくも (あれ?縁起悪い?)

◆ 枝折りて部屋に木犀の香を惜しむ

母の留守木犀の香に眠りけり (飯島みさ子)

「病床」の前書きがあります。母がいない寂しい家で、木犀の甘い香りに癒されて眠ります。病弱で四肢が不自由なみさ子は13歳で始めた俳句を心の糧として生き、大正12年、24歳で亡くなりました。(季語=木犀)

林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき (寺山修司)

逢いたくても逢えない、そんなとき、激しく鬱屈した思いを林檎の木にぶつけます。青森高校時代の、みずみずしい青春の一句です。(季語=林檎)

金沢動物園にて 2022/10/29

◆ キリンオカピのんびりエサ食む秋の午後

◆ 秋晴れの動物園内歩行練習

◆ 山の端の斜面色づき土湿る

◆ 湿る土に足を取られて散歩かな

◆ 走る子らのそばをとぼとぼ老婆ゆく

All in all I enjoyed that beautiful day!

🌸Even in a wheelchair I felt joy and happiness on that autumn day

静けさのあつまつてゐる式部の実 (大岳水一路)

紫式部の、澄んだ紫の美しい実。しんと静かな晩秋の空気のなか、そこが静けさの中心のように感じられるのです。(季語=式部の実)

11/8 穏やかな秋の日、BGM付きのYouTubeチャンネルで秋を楽しむ

  ◆ 行く秋を今年はTVのスクリーンで見る

  ◆ 鮮やかに紅葉色変え秋は行く

  ◆ 緩やかに秋は深まり去りゆきぬ (まだ、だけど!)

20221107

こもれびにて 11/10

 ◆ 窓越しに木漏れ日受けて湯に入る

 ◆ 山裾の斜面にこもれび光る秋

こもれびに通う片吹あたりのイチョウが金色に輝き、やがて落ち葉の絨毯になっている。11/30

 ◆ 秋の朝銀杏並木をデイケアへ 

 ◆ 🌸”また明日”友と手を振る秋の暮

 ◆ 金色の銀杏の落ち葉踏みしめん

 ◆ 秋の日は湾(うみ)もゆっくり暮れてゆく

 

12月

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星空へ微光それぞれ冬木の芽 (倉橋羊村)

固い鱗片でおおわれ、春に萌えだすための力を蓄えている冬木の芽。小さな木の芽たちは、星空に向かって、やわらかな、かすかな光を放っているようです。(季語=冬木の芽)

枯野原汽車に化けたる狸あり     夏目漱石

 今日は漱石忌。昨日は枯れ野に野球のベースを置く話だったが、漱石は枯れ野を走る汽車をタヌキが化けている、と思ったらしい。この汽車は枯れ野のかなたを走っていて、タヌキほどに小さく見えるのだろう。そういえば、名作「坊っちゃん」に登場する中学校の校長はタヌキ(坊っちゃんがつけたあだ名)、土地の汽車はマッチ箱みたいに小さい。<坪内稔典>

食べて寝ていつか死ぬ象冬青空 (神野紗希)

ぷおーんと長い鼻を伸ばして餌を食べ、お腹がいっぱいになれば寝て、気持ちよさそうな象。いきものは、生まれて、生きて、そしていつか死んでゆくのです。きれいな冬の青空が広がっています。(季語=冬空)

・地下鉄に息つぎありぬ冬銀河(小嶋洋子)
一本の冬木をめがけ夜の明くる(望月 周)
・冬麗のたれにも逢はぬところまで(黒田杏子)
ことごとく未踏なりけり冬の星(髙柳克弘)

12/14 こもれびへの通所の道では、銀杏の黄色い葉が風に吹かれている。

  • ◆ 冬空に銀杏の枯葉光りおり
  • ◆ 冬空にイチョウの枯葉走りおり
  • ◆ 冬空や銀杏の黄葉の寂しけり
12/16朝撮影

12/16(金) 冬が少しずつ深くなる。

◆ 浴槽に冬の陽まぶし目を閉じぬ(daycareにて)

◆ 車中から銀杏photo撮る冬の朝(daycareへ向かう車中)

 どうしても、銀杏の枯葉を撮りたいと、スタッフに頼んで車中からカメラを構えた。わがままを聞いて、並木道をゆっくり走ってくれたドライバーさんと介護士さんに感謝!

滅ぶもの不滅なるもの冬の雲 (戸松九里)

冬空に生まれた雲が、少しずつ形を変えて流れていきます。絶えず変わり続ける雲を見上げながら、やがて滅んでゆくもの、そして決してなくならないものに思いを馳せます。(季語=冬の雲)

12/21(水) At Komorebi <冬至>

 ◆ 湯に浮かぶ柚の実左手で握ってみる

 ◆ 🌸あの日からはや1年の冬至かな


12/28 こもれびDaycare最終日

 ◆ 大浴槽も人影まばら年の暮

しやこばさぼてん撩乱と垂れ年暮るる (富安風生)

蝦蛄(しゃこ)がつながったような形で垂れ下がる 蝦蛄葉仙人掌(しゃこばさぼてん)。クリスマスカクタスともいわれ、可憐な赤い花が入り乱れ、咲き乱れます。今年も、もう終わろうとしています。(季語=しゃこばさぼてん)

シャコバサボテン

12/30 ハイム花壇散歩

◆ 年の瀬の晴れたる午後のひとときはパウル・リンケ(PAUL LINCKE) 「ベルリンの風」

◆ ゆく年をベルリン・フィル聴き惜しむかな

Haiku Poem

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