鎌倉本願寺大巧寺,ハス,2019
歌の練習で鎌倉へ。まだ続いているMW, Voiceの方は中断している。冷夏のあとの猛暑。歌の練習はなかなか進まない。でも歌いたい歌があるかぎり、続けたい。
歌のレッスンのあとはいつもはみんなで楽しいランチ。でも今日は参加しないで蓮を見るため(写真を撮りたいから)単独行動。汗が噴き出すような暑さ、でも蓮のそこはかとなく甘い香りに こころ 満たされる。
大巧寺・おんめさま。ハスだけでなく、シュウメイギクや女郎花が咲くのでいつも行く。今年は寺院の改修が済んで美しい。女郎花は少し少なくなったけど、ハスはきれいになった。
大江文学の価値・広さ/大きさ
「新しい人よ眼ざめよ」は、文学少女だった(?)私の第二のエポックを築く大切な小説だ。今でも、その本との衝撃出会いの、その図書館の書棚を思い出す。
(Amazon site) 神秘主義詩人ウィリアム・ブレイクの預言詩(プロフェシー)に導かれ、障害を持って生まれた長男イーヨーとの共生の中で、真の幸福、家族の絆について深く思いを巡らす。無垢という魂の原質が問われ、やがて主人公である作家は、危機の時代の人間の<再生>を希求する。新しい人よ眼ざめよとは、来たるべき時代の若者たちへの作者による、心優しい魂の呼びかけである。大江文学の一到達点を示す、感動を呼ぶ連作短篇集。
(今読む大江文学)作品の内外、響きあう物語 鴻巣友季子 2019-05-19 11:45.00 朝日新聞. 2019.5.19
ユレ、ソレ、ブレ、ズレ。大江文学では、そこから詩的呼吸が生まれる。
ノーベル文学賞受賞スピーチ「あいまいな日本の私」の英文原稿では、「あいまい」にambiguousという語が使われた。柄谷行人は講演前に題名だけを見て、否定的な意味だと思ったが、読んでみたら逆の印象をもち、しかし再読したらやはり否定的なニュアンスがあると感じたと言う。スピーチ自体がまさにambiguousだと(『大江健三郎 柄谷行人 全対話』より)。
この対話で、大江氏はambiguousとはvague(ぼんやりした)なのではなく、二つのものが互いを打ち消すことなく共存している状態だとし、vacillationという語を提示する。それは『燃えあがる緑の木』第二部のタイトル「揺れ動く(ヴァシレーション)」に使われた語でもあり、W・B・イエイツの詩から借りたものだ。
ふたりの書き手のこの生きたやりとりは、『💐キルプの軍団』を読むのに格好の註釈(ちゅうしゃく)の役割をはたすだろう。そう、『キルプの軍団』は「読むことについての小説」である。ディケンズと、ドストエフスキーと、旧約聖書の「アブラハムとイサクの話」が、高二男子「オーちゃん」の人生と、人生の「読み方」を変えていく。
彼は文筆家の父をもち、叔父さんに英文読解と翻訳の手ほどきを受けている。叔父さんは、独学でディケンズ学者の域にまで達した人だ。甥(おい)と叔父はともにディケンズの『骨董屋(こっとうや)』を読みこみ、意見を述べあうことで、ときに自らの生を組みなおし、また逆に、実人生のエッセンスをもとに、小説や旧約聖書を幾度も解釈しなおす。複数の解釈の間を揺れ動く。前述の柄谷氏のように、初めに読んだときと二度目では、まるきり反対に思えたりする。その揺れ動きはambiguousではあるがvagueではない。
現実と虚構。互いが互いを「翻訳」しあう。実生活に小説の色がうつり、小説は実生活に浸潤される。オーちゃんの中で、キルプの人物像が膨らんでいくと同時に、その翻訳者であるオーちゃんの内面も充実していく。彼は読む営みの中で、多くのユレ、ソレ、ブレ、ズレを経験する。衝突もする。ディケンズ通の叔父には叔父の「読み」があり、外国文学に明るい父には父の「読み」がある。オーちゃんは、大きな先達の「読み」を真っ向からうけとめ、その影響をしたたかに被りつつも、そこからのびやかに逸(そ)れていく。それが本書の爽快なところだ。
本書を一冊読むことは、何冊もの本を読むことに値する。作品の内と外にある無数の物語が響きあい、解釈が掛けあわされて、全く新しい世界が生まれでてくるのだ。 (『キルプの軍団』は岩波文庫刊)
◇こうのす・ゆきこ 翻訳家 1963年生まれ。近刊に「謎とき『風と共に去りぬ』」。アトウッドなど翻訳多数。
池澤さんの寄稿で終わってしまった連載(残念)But these are really insightful! (2019/9/25)
大江 健三郎さん(今はお元気なのでしょうか?)ひかりさんは?
1935年愛媛県生まれ。東京大学仏文科卒。大学在学中の58年、「飼育」で芥川賞受賞。以降、現在まで常に現代文学をリードし続け、『万延元年のフット ボール』(谷崎潤一郎賞)、『洪水はわが魂に及び』(野間文芸賞)、『「雨の木」を聴く女たち』(読売文学賞)、『新しい人よ眼ざめよ』(大佛次郎賞)な ど数多くの賞を受賞、94年にノーベル文学賞を受賞
LGBT、引きこもり…大江健三郎が60年前から描いた「青年の闇」
ところで大江作品を読むに当たっては、詩の引用の大切さということは避けては通れません。ダンテ、ブレイク、イェーツ、エリオットなどの海外文学を自分の中に取り込んで、その新しい多様な磁場の中で作品を作ってゆく。
尾崎 ダンテの「神曲」と結び合わされている『懐かしい年への手紙』あたりから、その傾向はどんどん強まっていくわけですけれども、その前の、ウィリアム・ブレイクの予言詩と絡み合っている『新しい人よ眼ざめよ』は、全く何の知識がなく、もし高校生、大学生が読んでも、その一冊だけで感動できるいい作品だと思います。詩の引用に関して言えば、私たちはこれまで、大江作品は重厚で難解だと思い過ぎているような気がするんですよ。 トルコのオルハン・パムクも、はっきり大江さんの影響を受けている。中国で言うと莫言とか、閻連科さんたちにインタビューしましたけれども、やはりそう聞きましたし、カズオ・イシグロさんも、実は大江さんに大きな影響を受けたということを語っていますね。そういう意味で、間違いなく世界的な作家だと思います。
東大で学生デビューして、インテリで、実はかなりモテたんじゃないかと思います。一方、四国の山奥から出てきたばかりのときは、日本語が通じなかったと言っています(笑)。東京大学仏文科の教授が「きみ、日本の食事は口に合いますか」と訊いたという。台湾の留学生だと思われていたらしくて。
尾崎 それに対して曖昧にほほえんでいるしかなかったみたいで(笑)。
今、若い大江研究者がどんどんふえていて、40歳前後の研究者がフランスにいたり、トルコにいたり、ニュージーランドにいたり。研究者の世代も読者とともにぐるっと回転した感があります。
そしてまた彼らの書く論文が非常に示唆的なんです。異なった文化的背景を持った研究者が大江作品に多様な読みをもたらし、テクストの豊かさをさらに発見するというきっかけになっています。
山口 短篇のひとつでも拾い読みしてみれば、ああ、ここには自分がいたみたいな体験が間違いなくあると思います。
【2017年11月8日(水) 尾崎 真理子, 山口 和人
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大江文学はやっぱり世界文学の中から本当の価値と広がりが解かる。(2021/3/25)朝日新聞
♪Die Forelle
Franz Schubert
『ます(Die Forelle)』は、オーストリアの作曲家シューベルトによる1817年作曲の歌曲(D.550)。ドイツの詩人シューバルト(Christian Schubart/1739-1791)の詩に曲がつけられた。 歌詞の内容は、ずる賢い漁師が罠を使って魚を吊り上げるさまを歌ったもの。 ちなみに、シューベルト『ピアノ五重奏曲「ます」(D.667)』の第4楽章は、この『ます(Die Forelle)』の変奏曲として知られている。
Schubert: “Die Forelle” (Fischer-Dieskau, Moore)
In einem Bächlein helle Da schoß in froher Eil Die launische Forelle Vorüber wie ein Pfeil. Ich stand an dem Gestade Und sah in süßer Ruh Des muntern Fischleins Bade Im klaren Bächlein zu. Ein Fischer mit der Rute Wohl an dem Ufer stand, Und sah’s mit kaltem Blute, Wie sich das Fischlein wand. So lang dem Wasser Helle, So dacht ich, nicht gebricht, So fängt er die Forelle Mit seiner Angel nicht. Doch endlich ward dem Diebe Die Zeit zu lang. Er macht das Bächlein tückisch trübe, Und eh ich es gedacht, So zuckte seine Rute, Das Fischlein zappelt dran, Und ich mit regem Blute Sah die Betrog’ne an. |
Schubert: “Die Forelle” (Fischer-Dieskau, Moore)
水の澄んだ小川で 楽しそうにすばやく泳いでいた
気まぐれな鱒が 矢のように過ぎ去っていく
私は岸辺に立っていた そして心地よい安らぎの中で眺めていた
元気な小魚たちの泳ぎを 澄んだ小川の中での
釣り竿を持った釣り人が 岸辺に立っていた
そして 平然と見ていた 小魚がどのように動くかを
私は 水が澄んでいる限り 大丈夫だと思った
彼は鱒を釣ることはできないだろうと 釣り竿で
しかしついに そのコソ泥にとって その時間はあまりにも長すぎた
彼は悪意に満ちてその小川を濁らせて 私が考える前に
釣り竿はぴくっと動き そうして小魚はバタバタと跳ねた
そして私は頭に血が上って 騙された小魚を見ていた
澄んだ小川で泳ぎゆぐ鱒(ます)
力強く矢のように過ぎていく
私は岸辺でくつろぎながら
元気な魚を眺めてた
釣竿かついだ漁師が一人
魚の動きをじっくり見てる
こんなに澄んでる川の中では
針に魚はかかるまい
しびれを切らした釣り人は
小川を掻き混ぜ にごらせた
すると釣竿ぴくりと動き
罠にかかった哀れな鱒は
釣られて陸で跳ね回る
Composer
Franz Peter Schubert was an late Classical and early Romantic composer. He produced a vast oeuvre during his short life, composing more the 600 vocal works (largely Lieder), and well as several symphonies, operas, and a large body of piano music. He was uncommonly gifted from a young age, but appreciation of his music was limited during his lifetime. His work became more popular in the decades after his death, and was praised by 19th century composers, including Mendelssohn, Schumann, Brahms, and Liszt. (by Oxford Lieder)
Louise Alder – Schubert “Die Forelle” BBC Cardiff Singer of the World 2017, Song Prize Fi
Ian Bostridge – Schubert – Die Forelle.flv
Accompaniment (Db) “Die Forelle” -Schubert-
Bächlein 小川 hell 明るい、澄んだ音の da そこで schließen 撃つ、勢いよく動く froh 喜んでいる Eil 急ぎ launisch 気まぐれの Forelle 鱒(マス) vorüber 過ぎ去って、通り過ぎて wie ~のように Pfeil 矢 stehen 立っている Gestade 浜辺、岸辺 zusehen 眺める süß 甘い、心地よい Ruhe 静けさ、休息、安らぎ munter 元気のいい、活発な Fisch 魚 Bad 入浴、水浴び、水泳、浴室
klar 澄んだ Bächlein 小川 Fischer 漁師、釣り人 Rute 細長い枝、釣り竿 Ufer 岸、岸辺 stehen 立っている sehen 見る、見える kalt 寒い、冷たい Blut 血、気質 Fisch 魚 ..lein ※小さいものを意味する winden 体をくねらせて進む Wasser 水 Helle 明るさ denken 思う
gebrechen 不足している fangen 捕える Forelle 鱒 Angel 釣り竿 doch しかし endlich ついに werden なる Die 泥棒、コソ泥 Zeit 時間 zu あまりに~すぎる lang 長い machen 作る、する tückisch 悪意のある trübe 濁った eh おい、へえ denken 思う、考える zucken ぴくっと動く Rute 釣り竿 zappeln 身体をバタバタさせる、ぴちぴち跳ねる daran それによって、そのことにおいて rege 活発な Blut 血、気質 sehen 見る、見える betrügen だます ’ne eine
♪Fischerweise
Lieder by Franz Schubert
Dietrich Fischer-Dieskau (bariton)
and Sviatoslav Richter (piano)
1978
Glorious. A wonderfully cheerful song, and Fischer-Dieskau sings it magnificently, both technically and in the interpretation.
Dietrich Fischer-Dieskau (bariton)
こんな風に歌う人がいたなんて。なんと軽やかに楽し気に、若々しく美しい声で!
Den Fischer fechten Sorgen
Und Gram und Leid nicht an;
Er löst am frühen Morgen
Mit leichtem Sinn den Kahn.
Da lagert rings noch Friede
Auf allen Flur und Bach,
Er ruft mit seinem Liede
Die gold’ne Sonne wach.
Er singt zu seinem Werke
Aus voller frischer Brust,
Die Arbeit gibt ihm Stärke,
Die Stärke Lebenslust.
Bald wird ein bunt Gewimmel
In allen Tiefen laut
Und plätschert durch den Himmel,
Der sich im Wasser baut.
Doch wer ein Netz will stellen,
Braucht Augen klar und gut,
Muß heiter gleich den Wellen
Und frei sein wie die Flut.
Dort angelt auf der Brücke
Die Hirtin. Schlauer Wicht,
Gib auf nur deine Tücke,
Den Fisch betrügst du nicht.
漁師にゃ関わりのないことさ 悩みごとも
嘆きも悲しみも
奴は朝早く綱を解くのさ
軽やかな気持ちで舟の
まだあたりにゃ安らかさが
森にも野原にも小川にもあるが
奴は呼ぶんだ 自分の歌で
金色の太陽を目覚めさせる
奴は歌う 仕事をしながら
爽やかさで胸を一杯にして
働きゃ奴は力がつく
力がつきゃ 奴は幸せさ
すぐに 色とりどりの魚の群れが
水底じゅうで騒ぎ出し
空に向かって水を跳ねる
水面に映っていた空に
だが 網を仕掛ける漁師には、
よく見える目が必要で
波と同じくらい陽気で
自由自在でなくちゃならない 水の流れのように
あそこの 橋の上で釣りをしてるのは
羊飼いの女だな ずるい小娘め
やめるんだ おまえの悪だくみを
魚たちを騙すんじゃないぞ 藤井宏之氏
Ian さんからの2個目の返事!
Ianさんが FaceBookのカバー写真を変更した。Dietrich Fischer-Dieskau さんとの若いころの写真だ。ディースカウさんが日本での公演の時のステージで、コンサートマスターと握手をする場面をTVで見ていたら、指揮台の指揮者と舞台に立ってるバイオリニストぐらいの身長の差があった。Ianさんの写真でもどちらが背が高いのか、微妙な感じ。だから「Ianさんよりあちら様の方が背が高かったのでしょうか?」とお尋ねしたら「No…..」とのお返事が!!これでお返事をもらったのは回目。来日が待ち遠しい。
Ian Bostridge – Erlkönig
ヤマユリを探して金沢自然公園へ
どうしてもヤマユリが見たい。木村さんちのヤマユリは無残にも削り取られた(ようだ。まだ工事中で見えない)。金沢自然公園の植物区に咲いているらしい。4月から火・水の連休となり時間がとれたので、曇り空だったけど行ってみました。キリン舎の反対側の山の斜面と、しいの木山展望台へのアプローチ斜面に群生していました!!
こちらが動物園区のヤマユリ(キリンさんの向かい側)
かわいいオカピがのんびり、わさわさ、草を食み、キリンはつまらなさそうにボーッと歩きまわり、カンガルーはあきらめきったように寝そべったままで歩き回る子どもたちを眺め、サイ君は人間には関心がないとばかりマイペースでどすどすと歩いておりました。コアラちゃんに至っては室内で背を丸めて寝ていました。ゾウさんのところは遠いので行きませんでした(ゴメン)。
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金沢動物園・植物公園
極楽寺成就院御霊神社のアジサイ ’19
‟NNM” in Kamakura 梅雨の合間の晴れて風が気持ちよい鎌倉の散歩。江ノ電で極楽寺まで行き、成就院、御霊神社、長谷を歩きました。
成就院へ
楽しい散策の最中にも、家人から「鍵を忘れた、早く帰れ」だの、娘から「イギリス人へのアポはどうなっている?」だの、友人から「明日の歌のレッスン出てもらえない?」など、「キャッ!それを今言うか?」だった。帰ってから家でその話をしたら「人気ものだね」と。そうか??そうとも言える。このブログを書いてる間も「イギリス人のアポ」の続きと秋のコンサートの曲目どうする、チラシどうする・・・など相談が次々。英語書いたり日本語書いたり頭がゴチャゴチャ・・・。
長谷のBergFeldでザワークラフトのランチ。鎌倉文学館は行けませんでした。