とても楽しみにしているベルリンフィルのコンサート。時々素晴らしいコンサートに出会える。20年ぐらい前、一度行ったきりでもう行けないけど・・・。いつもあの黄色(Goldかな?)のホールににいるような気分になる。リュッケルト歌曲集(5/6)

グスタフ・マーラー リュッケルト歌曲集  

  • »Blicke mir nicht in die Lieder 1.私の歌を覗き見しないで«: Sehr lebhaft 01:38 
  • »Ich atmet’ einen linden Duft 2.私は仄かな香りを吸い込んだ«: Sehr zart und innig; langsam 02:51
  • »Um Mitternacht 4.真夜中に«: Ruhig, gleichmäßig 06:44
  • »Liebst du um Schönheit 5.美しさゆえに愛するのなら«: Innig 02:47
  • »Ich bin der Welt abhanden gekommen 3.私はこの世に捨てられて«: Äußerst langsam und zurückhaltend 07:35

クリスティアン・ゲルハーヘル(バリトン)

Daniel Harding with Christian Gerhaher – Mahler’s Rückert-Lieder

Gustav Mahler, Rückert-Lieder 5. Liebst du um Schönheit Christian Gerhaher: Baritone Bamberg Symphony Daniel Harding: Conductor

全5曲約20分。以下の楽曲で構成。この順番で演奏されるとは限らない。

  1. 私の歌を覗き見しないで Blicke mir nicht in die Lieder! (1901年6月14日作曲)
  2. 私は仄かな香りを吸い込んだ Ich atmet’ einen linden Duft (1901年7月)
  3. 私はこの世に捨てられて Ich bin der Welt abhanden gekommen (1901年8月16日)
  4. 真夜中に Um Mitternacht (1901年夏)
  5. 美しさゆえに愛するのなら Liebst du um Schönheit (1902年8月)

歌詞(独・原語、英)

(1) 1. Blicke mir nicht in die Lieder 
Blicke mir nicht in die Lieder!
Meine Augen schlag' ich nieder,
Wie ertappt auf böser That;
Selber darf ich nicht getrauen,
Ihrem Wachsen zuzuschauen:
Deine Neugier ist Verrath.

Bienen, wenn sie Zellen bauen,
Lassen auch nicht zu sich schauen,
Schauen selber auch nicht zu.
[Wann]1 die reichen Honigwaben
Sie zu Tag gefördert haben,
Dann vor allen nasche du!

私の歌を覗き見しないで(BLICKE MIR NICHT IN DIE LIEDER!)
私が歌を作ってるところを覗かないで。
悪いことして捕まったみたいに、下向くしかないじゃない。
蜜蜂たちが巣を作る時だって、やっぱり他の人に見せたりしないでしょう。
たっぷりの蜜があふれた蜂の巣が出来あがったら、誰より先に味見してちょうだい。

(2) 2. Ich atmet' einen linden Duft!  
Ich atmet' einen linden Duft!
Im Zimmer stand
Ein Zweig der Linde,
Ein Angebinde
Von lieber Hand.
Wie lieblich war der Lindenduft!

Wie lieblich ist der Lindenduft!
Das Lindenreis
Brachst du gelinde!
Ich atme leis
Im Duft der Linde
Der Liebe linden Duft.

ほのかな香りを(ICH ATMET EINEN LINDEN DUFT)
ほのかな香りをかいだ。
部屋には菩提樹の小枝がある。
その菩提樹の枝は、あなたがやさしく折ったもの。
菩提樹の香りの中に、そっと愛のほのかな香りをかぐの。


(3)4. Um Mitternacht 
Um Mitternacht
[Hab']1 ich gewacht
Und aufgeblickt [zum]2 Himmel;
Kein Stern [vom]3 Sterngewimmel
Hat mir gelacht
Um Mitternacht.

Um Mitternacht
Hab' ich gedacht
Hinaus in dunkle Schranken.
Es hat kein Lichtgedanken
Mir Trost gebracht
Um Mitternacht.

Um Mitternacht
Nahm ich in Acht
Die Schläge meines Herzens;
Ein einz'ger Puls [des Schmerzens]4
War angefacht
Um Mitternacht.

Um Mitternacht
Kämpft' ich die Schlacht,
O Menschheit, deiner Leiden;
Nicht konnt' ich sie entscheiden
Mit meiner Macht
Um Mitternacht.

Um Mitternacht
Hab' ich die Macht
In deine Hand gegeben!
Herr über Tod und Leben
Du hältst die Wacht
Um Mitternacht!

真夜中に(UM MITTERNACHT)
真夜中に、目をさまして、空を見上げた。
星の群れの中のどれ一つとして、私に笑いかけてはくれなかった。
真夜中に、暗いところで物思いにふけっていた。
私を慰めてくれるような明るい希望は何もなかった。
主よ、あなたは死と生をいつも見守っておられる。


(4)2. Liebst du um Schönheit 
Liebst du um Schönheit,
O nicht mich liebe! 
Liebe die Sonne,
Sie trägt ein gold'nes Haar!

Liebst du um Jugend,
O nicht mich liebe!
Liebe den Frühling,
Der jung ist jedes Jahr! 

Liebst du um Schätze,
O nicht mich liebe. 
Liebe die Meerfrau,
[Die]1 hat viel Perlen klar.

Liebst du um Liebe,
O ja, mich liebe!
Liebe mich immer, 
Dich lieb' ich immerdar.

美しさゆえに愛するのなら(LIEBST DU UM SCHÖNHEIT)
綺麗だからってだけなら、愛してくれなくていいわ。
若いからってだけなら、愛してくれなくていいわ。
愛してるから愛するのだったら、私を愛して。
いつまでも、私のことを愛してね!


(5)4. Ich bin der Welt abhanden gekommen 
Ich bin der Welt abhanden gekommen,
Mit der ich sonst viele Zeit verdorben,
Sie hat so lange [von mir nichts]1 vernommen,
Sie mag wohl glauben, ich sei gestorben.

Es ist mir auch gar nichts daran gelegen,
Ob sie mich für gestorben hält,
Ich kann auch gar nichts sagen dagegen,
Denn wirklich bin ich gestorben der Welt.

Ich bin gestorben dem [Weltgewimmel]2,
Und ruh' in einem stillen Gebiet.
Ich leb' allein [in mir und meinem]3 Himmel,
In meinem Lieben, in meinem Lied.

私はこの世に忘れられ(ICH BIN DER WERT ABHANDEN GEKOMMEN)
私はこの世から姿を消してしまったの。
きっと、私なんかもうすっかり死んだと思われてるんだわ。
私にはどうでもいいことよ。
私だけの至福の中で、私だけの愛の中で、私だけの歌の中で、ひとりで生きているの。

https://www.lieder.net/lieder/assemble_texts.html?SongCycleId=24

Mahler – Rückert-Lieder – Fischer-Dieskau / Vienna / Mehta

Gustav Mahler Fünf Lieder nach Gedichten von Friedrich Rückert

Ich atmet’ einen Linden Duft 0:00 (2) (仄かな香りを吸い込んだ)
Liebst du um Schönheit 3:07 (5)
Blicke mir nicht in die Lieder 5:57 (1)
Ich bin der Welt abhanden gekommen 7:32 (3)
Um Mitternacht 15:03 (4)

Dietrich Fischer-Dieskau
Wiener Philharmoniker
Zubin Mehta
Live recording, Salzburg, 20.VIII.1967

Christian Gerhaher – Mahler – Lieder eines fahrenden Gesellen

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For my memory, I’d like to put photos of my favorite cities and other places I visited for years! So, I wonder which city I should choose first, it should be York!

York, spring in 2004 (apr-july)

York, Wentworth College

Univ of York campus in winter 2003-4

York in 2003 Christmas

Lake District in 2004

Yorkshire Dale with Mr Ingle

 in Italy 2004

Manchester and Liverpool

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今年の年間Planで唯一達成できずにいた私の一番の楽しみ大船フラワーセンター!期待してたこの季節の芍薬はもちろん、牡丹、躑躅、藤、スイレン池の周りには、ヤグルマギク、いっぱいの白いスイレンの花、すぐそばのハンカチの樹に花まで咲いていた。そして春の薔薇がちょうど美しく芳香を放っていた(Kumi was happy with that!)。車椅子では入れない「山の道」は行けなかったけど、広場では楠、ヒノキの大木が青空に輝いていた。Ken said that he felt himself getting old as he thought it was lovely to see flowers. (w)

奥にカフェが見える
クス
正面のDisplay

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小さな鎌倉の家の小さな庭だけど、いろいろ考えて植えた数本の常緑の樹木たち。時期をずらして咲くようにしてあるので毎年新芽、花、赤い実などを楽しませてくれる。今は見に行けないのが本当に歯がゆい。でも、自力での杖歩行がOKになった今は、家の玄関までの階段を登れるような気がしている!もうすぐだ。

シャリンバイ(バラ科シャリンバイ属)
4/22 シャリンバイが開いた

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平穏のようでいろんなことが起きる毎日。慌てたり焦ったり。でも平潟湾の青い海とベランダの花がいつも心を癒してくれる。

4/12(水) 朝、ハイビスカスに白い花が咲いていた!びっくり。近づいてよーく見たら、根元にどこから来たのかフリージアの葉っぱがあって、ハイビスカスの枝に乗っかって、ちゃっかり花をつけていた!!

新種!?白いハイビスカス?

4/14,15 ハイム花壇からの花束

Sloanさんのカスミソウがまだ残っている

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2年ぶりにやっと見た美しい桜、本物のさくら。それも2013-2021まで9年間飽かず眺めた桜だった!どの桜も思い出深く心にしみた。青い空がこのうれしい日を飾ってくれた。

こんな美しいキャンパスで仕事をしていたんだ!と改めて思った。

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久しぶりの霧の朝。船が行き来し、ベランダにはゼラニウム、ベゴニア、パンジーが咲いている。心地よい。

うちにはメダカちゃんがずーっと前からいる!家族が入院してるとき10日ほど餌やりを忘れ慌てたが生きてた!

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3/19 懐かしの心の友Sさんからの突然のEmail message 「今横浜にいるので、いる間にお茶しよう」と。そして今日3/21、ロンドンで20 年ぐらい前South Kensington のホテルを訪ねて来てもらって以来の感動の再会だった。体が動かないのは残念だけど、おかげで尋ねてきてくれる人も多くなりうれしい限りだ。良き友情は年を経ても変わらないことを知り、本当にうれしかった。Mさんの”Ake‥ファン次々とお見えになり,今までと違う生活で楽しいでしょう!”のことばが有難い。 ★ 「上海の旧友」   ★★ 11/20 Norwayからの便り

Hi Ak・・ How are you? Long time since I contacted you but I am visiting Yokohama at the moment. Would you like to have a coffee and chat together? Hope to see you.

NEW YIS

 目が回る忙しさで話をした。中国本土の人と、香港人、台湾人の3国についてのそれぞれの感慨、意識。韓国人と日本人の(敵対する微妙な)関係について英国人として思うこと。コリアンの”恨”の思想など。韓国では鳥はsing ではなくweepだそうだ。でも、時間が足りなかった!私たちのリハビリのこと、歩行杖の名称と形状(w)、彼の世界旅行のこと、Covidで兄を亡くされたこと、「後退」に関する英語では”regress”は trend で、”set back”がtemporal moveのことなので、set back が良いらしい。なんと賢くなったことか!私の英語は”go backward”or “becomes worse” だった。それからEngland人は野球には関心なし、Clicketが20%ほどとか。それから菜の花の英語名はナントrapeだと。

 「上流階級の金持ちさんなので、来るには及ばぬと言ったのですが、おもしろいから行く、見知らぬところを一人で尋ねるのがチャレンジだからと。」「おもしろいってなんですか😁」「日本の小さい家とか?」「早めに着いて、(3/21)11:00に来ました♪」「(WBC)野球はそっちのけで面白い話をしました。」「ダンディーなお客様で、春のアフターヌーンティーパーティーですね☕」✨「〇さんも素敵なマダムに写っています✨」

It was lovely to see you again! And thank you for your lovely gift. It is a very nice memory!

Our History

2019 :Cyboze   2017:Ashumorian   2012: Phone call   (2005: extablish Oxford Office)   2004:University issue

University of Cambridge MA, Economics 1975 – 1978 (age68?)

香港人の民族意識にとっての「日本」  銭 俊華

香港住民の大部分は華人であり、華人として1は伝統的な中国文化を身につけているだけではなく、近現代の中国史に対し、民族意識も持っている。日本に関する戦争記憶が喚起されるたびに、香港で日本に対して反発が起きることは珍しくない。(中略)

1980 年代や 1990 年代に生まれた香港人は、それ以前の人々と異なる。香港の最も好況な時期に育ち、香港大衆文化を享受し受け継ぎ、香港との経済格差がまだ大きい中国大陸に対する帰属感が相対的に小さかった。さらに 2010 年以降、中国大陸人観光客の大量流入が、香港人の日常生活に影響を与え続けて、「中港矛盾(中国大陸人と香港人の矛盾)」がしばしば発生している。さらに、基本法第 23 条の立法の試み、「国民教育」科目、「普教中」(広東語の代わりに、普通話(中国語標準語)で中国語文(日本の国語科目にあたる)を教える)政策の導入、「ニセ普通選挙」(親中派主体で構成された指名委員会の過半数の推薦がなければ、立候補できない)の決定により、香港人、特に若い世代は中国政府からの圧迫、あるいは「中国化」の進行を感じている。このような動きに反発し、香港人自らのアイデンティティを強化し、本土」という理念を唱える動きが生まれている。なかには、「中国人」ではないと自らを定義する「脱中国化」の傾向もある。「脱中国化」する傾向がある人々や本土派は、よく親日の立場から中国を批判し、あるいは香港を主体として香港戦や「重光記念日」を強調する。つまり、日本に関わる戦争記憶は、従来と同じく香港人の民族意識を喚起するメカニズムであると同時に、逆に香港人が民族意識から離脱するメカニズムにもなってきた。本論文を土台として、さらに本土勢力や民間がいかに「日本」に関する戦争記憶を再構築し、各々の政治主張を支えるかを将来の研究の視野に入れたい同時に、香港政府は香港が中国に返還されてから、香港を主体とする歴史観とイギリスに関する記憶を除き、中国政府に合わせ、中国を主体とする歴史観を、日本に関わる戦争記憶に導入し、「中華人民共和国民族意識」を香港人に伝えている。
日本に関わる戦争記憶は、まるで「中国化」に抵抗する人々と香港政府の「記憶の戦場」になり、それぞれの立場からのアイデンティティを確立する武器になっている。

韓国大統領を務めた金大中は、著書『金大中哲學與對話集——建設和平與民主』のなかで、以下のように述べている[5]韓国の文化は「恨」の文化です。私たちの民族は憂患と苦難の民族であり、「恨」は挫折を味わった民族の希望、「恨」は挫折を味わった民族の夢を実現するための準備なのだと思います。確かに私たちは、歴史のなかで「恨」とともに生きてきたことは事実です。…しかし、常に自分自身を慰め、励まし、その結果、未来に向かって生きていくことができた。私たちの民族は、畑の雑草のように、踏みつけられ、そして蘇る。 …韓国人は2000年間、文化的アイデンティティを捨てなかった。…韓国人は、大きな苦難に耐え、あらゆる方法で忍耐してきた。

(english translated by Google) Kim Dae-jung, who served as the President of South Korea, said in his book, “Kim Dae-jung Cheolgak Confederation: Construction Peace and Democracy“[5].

Korean culture is a culture of ‘grudge‘. Our nation is a nation of sorrows and hardships, and ‘grudge’ is the hope of a nation that has suffered setbacks, and ‘grudge’ is the preparation for realizing the dreams of a nation that has suffered setbacks. It is true that we have lived with “grudges” throughout history. …But I always comforted and encouraged myself, and as a result, I was able to live towards the future. Our people, like weeds in a field, will be trampled and reborn. …For 2,000 years, Koreans have not given up their cultural identity. … Koreans have endured great hardships and persevered in every possible way.

また来年からも日本に来る、来れるかもしれないとの嬉しい便り。何とラッキーな私。これを励みに頑張ろう!!

email Nov.19

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