「夜をこめて 鳥のそらねは・・」Simonの朗読
1/18 江戸川橋の家に立ち寄りSimonの宿題の手伝い。Simonお得意の「音読」。ちょうどテーブルにあった朝日小学生新聞の「枕草子」の百人一首に入っている一首を読んでもらった。古文なのにスラスラと読むのには本当に驚いた。
Kumiママは小さい息子が意味も知らず「恋の駆け引きも・・・(10秒後)」と読む声に、思い切りのけぞって笑った。読み終わってからのSimonとの問答に対しての私のいい加減な解説(?)に我ながらヒヤヒヤ。「ゴメンSimon」・・・。
夜をこめて 鳥の空音は謀るとも よに逢坂の関は許さじ ~心かしこき関守はべり~
清少納言(62番) 『後拾遺集』雑・940
<小倉山荘 百人一首講座より>
夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関ならともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して逢いませんよ)
【夜をこめて】 動詞の連用形「こめ」は、もともと「しまい込む」とか「包みこむ」などの意味です。「夜がまだ明けないうちに」という意味になります。 【鳥の空音(そらね)は】 「鳥」は「にわとり」で、「空音」は「鳴き真似」のことです。 【謀(はか)るとも】 「はかる」は「だます」という意味になります。「とも」は逆接の接続助詞で「~しても」という意味です。 「鶏の鳴き真似の謀ごと」とは、中国の史記の中のエピソードを指しています。 【よに逢坂(あふさか)の関は許さじ】 「よに」は「決して」という意味です。「逢坂の関」は男女が夜に逢って過ごす「逢ふ」と意味を掛けた掛詞です。「逢坂の関を通るのは許さない」という表の意味と「あなたが逢いに来るのは許さない」という意味を掛けています。
■□■ 鑑賞 ■□■ この歌には、清少納言の深い教養と頭の良さがよくわかるエピソードがあります。それをご紹介しましょう。 ◆◇◆ ある夜、清少納言のもとへやってきた大納言藤原行成(ゆきなり)は、しばらく話をしていましたが、「宮中に物忌みがあるから」と理由をつけて早々と帰ってしまいました。 翌朝、「鶏の鳴き声にせかされてしまって」と言い訳の文をよこした行成に、清少納言は「うそおっしゃい。中国の函谷関の故事のような、鶏の空鳴きでしょう」と答えます。
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その日はSarahさんも来てくれて大いに盛大に楽しく盛り上がりました。Euridiceのイタリア語も教えてもらいました!