昨年のGTT参加は;Jan 鉄道博物館&大宮盆栽園、Feb 川崎エコミュージアム、Mar 大岡川花見(下見)Apr 三渓園、Apr にっぽん丸帆船Exhibition   Dec クリスマス会の6回。後半は旅行、発表会などもあり、不参加が続きました。
2018年は健康のためにも、全会参加を目指し、まず、1/7秦野市でのそば打ち体験ツアーの下見に参加、目標の第一歩を踏み出しました(大袈裟 (笑))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水仙に三俣が・・

 

 

丹沢の地酒「中澤酒造」
見学し、松田ハーブ
園にも立ち寄りました。

フルメンバーでの、Outing 当日です


 

   
   
   
 
   
   
   
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今年の秋はGTTのOutingにほとんど参加できず、Bold Eaglesのメンバーに会えなかったのが残念。最後のクリスマス会でBEのほぼ全員に会えたのは大変Luckyでした。CBでもあまり会えなかった人たちにも久しぶりに会えてうれしい夜でした。
 
 
CB女性3人で「夜明けの歌」を歌いました
 
 Xmas Bingo!  
   

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明治から大正時代に製糸・生糸貿易で財をなした実業家原三渓が三之谷に造った広さ175,000m2(53,000坪)の日本庭園。私の大好きな場所のひとつ。紫のフジの花、白いつつじ、そしてキバナ菖蒲がきれいでした。今回は聴秋閣と奥の方の茶室春草廬が特別公開されていました。

臨春閣
 
 大池の藤棚
 亀が寝そべっていました
 遠くに五重の塔が見えます
   
 
   
  聴秋閣
 
 
   
 
 特別公開の遊歩道を歩きました
   春草廬
 春草廬茶室
 
 蓮華院
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3月は1回休みだったGTTのOuting。今日は連休初日のみなとみらいへ出かけました。
練習船日本丸の総帆展帆。建造1930年, 帆は29枚、すべて手作業。女性もいました。開始から約40分、力の入る作業のようでした。
桜木町駅方面からの美しい姿
大桟橋のDiamond Princess号!   Yokohama Green Fair
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GTT Outingは下見(3/12)だけの参加となりました。港南中央駅から上大岡、南区を大岡川沿いに歩き、保土ヶ谷駅まで行きました。途中、大学の時住んでいた西村さんちがある大久保町や最戸町など懐かしい街を通過。そのあと住んでいた鶴巻町ではナント金丸薬局も訪問しました!鶴巻市場の「キヨちゃん」は元気なのでしょうか?思い出しました。

清水ヶ丘公園への階段では息が切れましたが、なんとか20,000歩歩き切りました。表示は14kmとありましたが、12kmぐらいかな?実際に歩いたのは・・・。体力測定は、いちおう「合格」としました。

3/25はきっときれいに桜が咲くことでしょう!

 井土ヶ谷事件の碑

 

   辛夷がさいていました
 青木神社  
 弘明寺観音 閻魔様  
   
   

鶴巻市場の写真がこちらに

 井土ヶ谷事件は知らなかった

 
 北向地蔵  
   
御所台の井戸(政子の井戸)

 
   
   

井土ヶ谷事件:生麦事件後の文久3年5月18日(1863年7月3日)馬に乗って居留地から保土ヶ谷方面に乗馬にて出かけたフランス士官カミュが不幸にも井土ヶ谷にて 遭遇した、殺傷事件。

北向地蔵:「かなざわかまくら道」として古くから多くの人に利用されてきた道にあります。享保2年(1717)に建立。この付近で、道に迷った旅の僧が途方に暮れていると、近くの寺の住職が現れて寺に泊めてくれました。住職が言うには「道に迷って困っている僧がいるので救いに行くように」と夢の中で地蔵に告げられたとのことでした。それを知った旅の僧は、地蔵に対する感謝と旅の安全を願う気持ちから、自分の持ち物を寄進して、北(江戸)を向いた地蔵を建立したそうです。

御所台の井戸(政子の井戸): 征夷大将軍となった源頼朝が鎌倉に幕府を開くと、関東諸国の御家人が鎌倉に駆けつけるための道が作られました。この井戸の水を政子が化粧に使ったという言い伝えがあり、この一帯が政子の所領する土地だったのではないかという説もあります。

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鎌倉案内のための参考資料をPin Up

 

 

 

 

 

 


[PDF][論説] 鎌倉における明応年間の「津波」について

sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_29/HE29_209_219_Namikawa.pdf
 受付日 2014/01/11, 受理日 2014/07/08. – 209 -. 鎌倉における明応年間の「津波について. 鎌倉国宝館*. 浪川 幹夫. Tsunamis of the …. 料を同四年鎌倉に存在したとされる津波襲来に関連. 付けている. ….. 鎌倉大仏」は「国宝銅造阿弥陀如来坐像」といい,.

鎌倉国宝館 浪川 幹夫氏、2014 浪川論文PDF

 


<鎌倉の明応津波〜大仏殿は流されたのか? 萬年 一剛(神奈川県温泉地学研究所)2013>
鎌倉大日記 大仏殿と津波の関係について記述 した文献は幾つかありますが、ここ では最も重要な文献を一つだけ取り 上げて検討してみます。それは、「鎌 倉大日記」です。
鎌倉大日記は、誰かの日記のよう な名前の文献ですが、基本的には年 表の類で、治承四 (1180) 年から天 文八 (1539) 年に、主に東国で起き た事件を記した書物です。南北朝時 代の頃から書き継がれてきたと考え られていますが、執筆の経緯や著者 は不明、原本も残っていません。明 応の津波について取り扱っている書 物はこのほかにいくつかあります が、ごく最近まで江戸時代の文献し か知られてきませんでした(山本、 1989)。
江戸時代の文献と言うことは、明 応の津波について著者が体験した り、体験した人の話を聞いたと言う ことはあり得ません。つまり、「ま た聞き」、あるいは「伝言ゲーム」 の繰り返しの結果記されたというこ とになり、信頼度ではワンランクダ ウンです。それに実際のところ、そ うした江戸時代の文献も、鎌倉大日 記より詳しい記録がされているとい うわけでも無いのです。ですから、 鎌倉大日記くらいしか、検討に値す る文献が無いのです。
さて、鎌倉大日記にある明応津波 の記述は以下の通りです。 「明応四乙卯八月十五日、大地震、 洪水、鎌倉由比浜海水到千度檀、水 勢大仏殿破堂舎屋、溺死人二百余」。 これを現代語に訳すと、「明応四年 八 月 十 五 日(1495 年 9 月 3 日 )、 写真 1 鎌倉高徳院の大仏。手前に見える平たい石が大仏殿の礎石と言われる石。 観測だより 63 号,2013  9 大地震と洪水があった。鎌倉由比ヶ 浜の海水が千度壇に至った。水の勢 いが大仏殿の堂舎屋を破った。溺死 人は二百名あまりを数えた」という 風になります。
洪水となっています が、同じ日に地震と洪水が起きたと 言うより、地震とそれに続いて津波 が発生したと読むのが素直である、 と言うことは異存無いでしょう。
この記述は、「大仏殿が津波で流 された」という説の根拠になってい ますが、よく読むと津波が大仏殿を 流したと明確に書いているわけでは ありません。しかし、大仏殿に津波 が達して、被害を受けたと読もうと 思えば読める、なかなか微妙なとこ ろであります。

 

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今回のOutingは、川崎の工場地帯、といっても最新のMega Solar Power Plantやエコ技術を駆使した工場設備などの勉強ができる川崎市が誇る最先端Industrial Parkでした。今回は「かわさきエコ未来館」の人の説明を通訳する役目でした。初めてでしたので緊張しましたが、ほぼうまくいきました。75点ぐらいかな?2Fの展示室で川崎市の100年の歩みを紹介するところが自分でも「うまくいった」と思いました。どうだったかPyrrahに訊いてみたいです。途中で帰ってきてしまったのであまり写真がないのが残念。
 Ukishima Mega Solar Power Plant  (Closer Look)
   Tower of Wind
   

火力発電所(下見にて)

   
 

 

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今年も活動開始。BEは11人、CBは8人でした。少し寒い日でしたが空は晴れ渡り、 車窓から富士山も見えました。盆栽博物館で「盆栽鑑賞のポイント」を説明しました。 Ken とJohnから、楽しそうに説明していて聞きやすかったと言ってもらえました。

コースは、鉄道博物館から。



   
     


午後は盆栽博物館へ 世界盆栽大会開催を控え外国人の招致を進めている 博物館からの招待でなんと真柏の名品「青龍」 の前で写真撮影!!
     
     
     
     

 

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