世界に感染が広がる新型コロナウイルス。経済の観点から、水野和夫・法政大教授(66)が文明社会に投げかけられた意味を考察する。

減資132兆円、首相は職を賭し経団連に迫れ 「より多く」を求めない。新たな「入り口戦略」だ

 新型コロナウイルスが人類に突き付けているのは、これからも「より多く」を追求することが進歩であり、文明社会であると信じ続けるか否かの選択である。西洋史はキリスト誕生以来「蒐集(しゅうしゅう)」の歴史であり、それに内包されるのが13世紀以降の資本主義である。それまでの土地や霊魂の蒐集をやめて、資本を「より多く」蒐集することに専念し、現在に至っている。11世紀に誕生した「都市」に商人が集まり、彼らはもうけた利益を再投資することによって利潤を追求した。「商人の旅が遠距離であればあるほどその旅はますます多くの利益をもたらす」(アンリ・ピレンヌ)のだから、現在の資本家の先祖である。

閑散とする米ニューヨークのタイムズスクエア。ウイルスは都市を直撃した=4月25日(ゲッティ=共同)

 資本が都市に集中するように、ウイルスは都市を直撃する。中国武漢発のウイルスは一帯一路を通り、大西洋を飛び越え、長旅の末米国に上陸した。ニューヨークを中心に北はボストン、南は首都ワシントンにまたがる世界最大のメガロポリスを直撃し、61・6万人を感染させ、4・3万人の命を奪った。全米の感染者115・2万人のうち53・5%がメガロポリス(米人口の17・8%)に集中し、死者にいたっては63・6%を占めている(米疾病対策センター、4日現在)。

 誕生以来商業都市は常に膨張し、20世紀にはメトロポリスの集合体であるメガロポリスを生み出した。都市の歴史は資本の歴史でもある。都市に集積の利益がもたらされ、都市が資本を生み出すからである。マルクスは「資本は文明の別名にすぎない」というジョン・ウェードに賛同した上で、社会の生産力は科学、交通手段の改善、世界市場の創造、機械化などにより増加し、それが文明を進歩させ労働支配力を強めるという。集積のメリットが一転デメリットに変われば、都市文明も終わる。

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新型コロナウイルスで世の中を俯瞰してみる時間が取れた人たちが、今行われている政府などの動きに対する問題・課題・不安・不信堆積、とうとう大きな変化が起きた。

検察庁法、今国会での改正断念 世論の反発強く 首相近く最終判断

毎日新聞2020年5月18日

政府・与党は18日、検事総長や検事長らの定年延長を可能にする検察庁法改正案について、今国会での成立を見送る調整を始めた。野党や世論の批判が強まる中で、採決を強行することは困難とみている。安倍晋三首相は近く、与党幹部らと協議し、最終判断する見通しだ。

 採決を強行すれば、早期成立を目指す第2次補正予算案など今後の国会審議に悪影響を与えることに加え、世論の反発が一層拡大することを警戒したとみられる。改正案を週内に衆院通過させる構えだったが、衆院内閣委員会での採決は今国会で行わない方向だ。

 改正案は、検事総長、最高検次長検事、高検検事長は内閣の判断で最長3年、定年を延長できる特例規定を新設。国家公務員の定年を65歳に引き上げる国家公務員法改正案などと一本化した「束ね法案」として国会提出された。施行は2022年4月1日。

東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書

 📍1 東京高検検事長黒川弘務氏は、本年2月8日に定年の63歳に達し退官の予定であったが、直前の1月31日、その定年を8月7日まで半年間延長する閣議決定が行われ、同氏は定年を過ぎて今なお現職に止(とど)まっている。

 検察庁法によれば、定年は検事総長が65歳、その他の検察官は63歳とされており(同法22条)、定年延長を可能とする規定はない。従って検察官の定年を延長するためには検察庁法を改正するしかない。しかるに内閣は同法改正の手続きを経ずに閣議決定のみで黒川氏の定年延長を決定した。これは内閣が現検事総長稲田伸夫氏の後任として黒川氏を予定しており、そのために稲田氏を遅くとも総長の通例の在職期間 ・・・(全文はこちら

検察庁法とは関係ないけど興味深い記事

 驚きの展開、なんと疑惑の対象となる人が賭博で辞職!

森友問題で自死に追い込まれた財務省近畿財務局職員の夫人が手記を公開し訴訟を起こした。A氏は高卒で国鉄に入り人員整理で大蔵省に移ることになりホッとし恩義を感じ誇りをもって財務局で働いた人らしい。良くいる実直な公務員だった。それなのにその人に文書改竄を命じた上司はそれぞれ東京国税局長や横浜税関長に出世したり外国公使になっている人もいる。 時は、新型コロナウィルスの猛威で東京オリンピックが1年ほど延期になるという大ニューズで揺れる。Abeは追い詰められても追い込まれても何があっても、物凄いバカ力で正論議論対論を暴論で逃げ切ろうとしている。



新型コロナウイルスで自宅待機と広範囲な商業営業禁止で苦しい思いをしている人がいるのに、なんという愚か者、なんという非常識。Akieは友人と花見をしていた。それを責められた夫は「自粛が求められる”公園ではない”」と国会で反論した。反論になるのか!!おバカAkieにはいつも呆れるけどホントに言葉がない。


2020/4/12 おバカはAkieだけじゃない、なんだこの写真は!!


2020/7/20 Akieが財務省で自死に追い込まれたAさんの奥さんにLINEメッセージを送っていた話!この人は何を考えている人なのだろう?


Obakaは妻だけではない。演説、国会答弁、記者会見、ぶら下がり会見でさえ原稿がないと不安でしゃべれない人が「うっかり」自分でしゃべるとこんなことになる。

8/25 on Twitter
「Akie sheets」for “Cherry Party”
“桜を見る会”は何を語る?
Abe died by an assassination in july 2022
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何とも言えない不気味な何かの接近。何をもたらすのか、いつ去っていくのか? 2年前バルト3国のどこかで見たペストの歴史、ヘルシンキか?あの街角に立っていた黒衣の長身の「悪魔」を思い出した。<Trip to the Baltics (Tallinn)

WHO Special Site


ヒトに感染するコロナウイルスとは;ヒトに蔓延している風邪のウイルス4種類と、動物から感染する重症肺炎ウイルス2種類が知られている。 :(新型コロナウイルス(2019-nCoV)関連情報ページ :国立感染症研究所)

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 ウイルス学的特徴

電子顕微鏡で観察されるコロナウイルスは、直径約100nmの球形で、表面には突起が見られる。形態が王冠“crown”に似ていることからギリシャ語で王冠を意味する“corona”という名前が付けられた。ウイルス学的には、ニドウイルス目・コロナウイルス亜科・コロナウイルス科に分類される。脂質二重膜のエンベロープの中にNucleocapsid(N)蛋白に巻きついたプラス鎖の一本鎖RNAのゲノムがあり、エンベロープ表面にはSpike(S)蛋白、Envelope(E)蛋白、Membrane(M)蛋白が配置されている(図1)。ウイルスゲノムの大きさはRNAウイルスの中では最大サイズの30kbである。遺伝学的特徴からα、β、γ、δのグループに分類される。HCoV-229EとHCoV-NL63はαコロナウイルスに、MERS-CoV、SARS-CoV、HCoV-OC43、HCoV-HKU1はβコロナウイルスに分類されている。

Coronavirus Disease (COVID-19) Japan Tracker

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NYT Motoko Richさん

Diamond Princess号に関するNYT記事 (こちら)

More than three days passed before Japan imposed a quarantine. That delay and other missteps helped produce the largest outbreak of the virus beyond China. By Motoko Rich   Published Feb. 22, 2020  Updated Feb. 23, 2020, 5:37 a.m. ET

YOKOHAMA, Japan — The captain came over the intercom early in the evening: A passenger who had left the ship nine days earlier had tested positive for the new coronavirus sweeping through China. While the guests on board were unnerved, it was the final night of their two-week luxury cruise aboard the Diamond Princess. The revelry continued as the ship headed toward the port in Yokohama, Japan’s second-largest city. Passengers dined on filet mignon, attended shows in the 700-seat theater and crowded the bars and dance floors into the night. (つづく


政府の対応は、オリンピックのためか、感染者数のごまかしに腐心?


Abeはpandemicの対応をすべき時に何をしていたかが問題になっている



(2020.4.6)全世界がパニックに陥る深刻な事態だ。密かに好きなwarugaki Boris Johnsonが10日ほどの自宅隔離の後、入院措置となり心配だ。志村けんさんが死亡したのも痛ましかった。

Boris Johnson #StayHomeSaveLives@BorisJohnson·4月3日Another quick update from me on our campaign against #coronavirus. You are saving lives by staying at home, so I urge you to stick with it this weekend, even if we do have some fine weather.

Boris Johnson #StayHomeSaveLives@BorisJohnson·3時間I’d like to say thank you to all the brilliant NHS staff taking care of me and others in this difficult time. You are the best of Britain. Stay safe everyone, and please remember to stay at home to protect the NHS and save lives.

(4/6)Last night, on the advice of my doctor, I went into hospital for some routine tests as I’m still experiencing coronavirus symptoms. I’m in good spirits and keeping in touch with my team, as we work together to fight this virus and keep everyone safe.

青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さん

 ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方――つまり、動的平衡の生命観に立てば――、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。しかしウイルスは単なる無生物でもない。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。

(興味深い論考だ。ヘンなお顔の福岡先生、素敵)

寄稿 青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さん 2 (2020/6/17)

連載コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線

生命の必然、ロゴスでは抵抗できない 福岡伸一さん寄稿

 自然というもののありようをいま一度、きちんと考えてみたい。「新しい生活様式」推奨策のため、夏も近いというのに、海や山に行くのが憚(はばか)られるようになってしまった。でも、“自然”は私たちのごく身近にある。といっても近所の公園のことではない。私たちのもっとも近くにある自然とは自分の身体である。

 生命としての身体は、自分自身の所有物に見えて、決してこれを自らの制御下に置くことはできない。私たちは、いつ生まれ、どこで病を得、どのように死ぬか、知ることも選(え)り好みすることもできない。しかし、普段、都市の中にいる私たちはすっかりそのことを忘れて、計画どおりに、規則正しく、効率よく、予定にしたがって、成果を上げ、どこまでも自らの意志で生きているように思い込んでいる。ここに本来の自然と、脳が作り出した自然の本質的な対立がある。前者をギリシャ語でいうピュシス、後者をロゴスと呼んでみたい。ロゴスとは言葉や論理のこと。


The Spanish Flu of 1918: the history of a deadly pandemic and lessons for coronavirus 69,615 回視聴• 2020/04/091027108共有保存 とても分かりやすい解説

What was the Spanish Flu, why was it so deadly – and are there any lessons for today’s world as countries try to stem the spread of Covid-19? (Subscribe: https://bit.ly/C4_News_Subscribe) 100 years ago, the world was hit by a deadly pandemic during the last months of WWI: the Spanish Flu went on to kill millions of people around the globe. Channel 4 News speaks to Professor Howard Phillip, Professor Nancy Bristow and the writer Laura Spinney – all of whom have studied and written about the Spanish Flu crisis.

<専門家の中でも経験あり、実績あり&最も科学的かな?と思える人はこちら>

WHO上級顧問・渋谷健司さんが警鐘 「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点 小田健司2020.4.18 08:00AERA#AERAオンライン限定#新型コロナウイルス

 WHO事務局上級顧問で英国キングスカレッジ・ロンドン教授の渋谷健司さんが、日本の感染拡大防止策に警鐘を鳴らしている。政治から独立していない「専門家会議」の問題点、クラスター対策、自粛ベースや3密の限界――。いま何が問題で、何が求められているのか。(全文


4/24 神戸大岩田教授のセッションが面白かったので。


<これぞジャーナリスト神保哲生の首相質問>  2020/05/06

非主流記者の相次ぐ「剛速球」質問に慌てた安倍首相

非主流記者の相次ぐ「剛速球」質問に慌てた安倍首相

 「総理、内閣総理大臣が(新型コロナウイルスの感染を判定する)PCR検査を増やせということを指示しても、今の日本は実力的に、PCR検査を増やすことができないんだということをおっしゃっているのですか。それとも、これまでは本気で(PCR検査を)増やすことをしてこなかったのか」今回も同じ記者だった。安倍首相の4日の記者会見で、最後に登場して剛速球を投げたのは…。

 インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」を運営する日本ビデオニュース社の神保哲生代表は、この日も安倍首相を当惑させている質問を素早く投げかけた。「(安倍首相は)PCR検査のことを国会で聞かれても、(検査数のキャパシティーを)一日2万件に増やすといったお答えをされる。でもまだ1万件に行ったことがない。つまり、どこか人ごとのようなお答えをされるけど、それはそれほど本気でこれまで増やそうとしていなかったのか、それとも本気で増やそうとしたが、本当に増えなかったのか。」神保氏は「本気」という言葉を何度も使って、速射砲のように質問を投げかけた。これはまるで今年3月28日の記者会見のデジャビュ(既視感)のようだった。当時も神保氏は記者会見が終わるころ、最後に質問する機会を得た。「総理自身のお考えを是非聞きたい。海外などでは、日本は水面下で実際には感染が広がっているのではないかという疑いの声がいろんな所で聞かれる」とストレートに質問した。中国からの入国制限も遅かったと「しっ責」した。日本の一般市民が持っている不満や懸念を率直に代弁した質問だった。予期せぬ質問に安倍首相は慌てたように、これについて異例の長く詳しい弁明を余儀なくされた。東京=李河遠(イ・ハウォン)特派員 チョソン・ドットコム/朝鮮日報日本語版 <神保氏自身の記事こちら

5/9(土)…朝日新聞土曜のお楽しみ「クイズ」のあるbe版がお休みだったx x x 。新聞もTVもネットもコロナだらけで嫌になるけど、見るべき記事もある。


(追加記事)コロナウイルスの治療薬、治療法も少しずつ固まっていくようだ。


How to ware or use masks? 2020/11/25

2021/1/8 新しい年になり急激に感染者数が増加している!

感染経路

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Akkieのところに置いといた「桜を見る会」のテーマもいよいよ最終盤か。文書の改竄、隠蔽、捏造、国会答弁のウソ、逃げを繰り返しても次第に追い詰められ、最後は検察庁人事にまで介入しあくまでも罪を免れようとあがく。検事総長に自分の都合のよい人を据えようと法律の”解釈を変えた”と堂々と言いだした。


 都立大学木村先生のコメント


2020/2/20  全くとんでもないことになっている。

検察官の定年延長問題に関する声明(2020年2月21日)

「法の支配 根底から揺るがす」憲法学者ら検事長定年延長批判

東京高等検察庁の検事長の定年延長をめぐり、憲法学者などのグループが21日、都内で会見し「政権の都合で従来の法解釈を自由に変更してかまわないということでは、法の支配が根底から揺るがされる」とする抗議声明を発表しました。

東京高検の黒川検事長の定年は国家公務員法に基づいて延長されましたが、森法務大臣は国家公務員法に定年制が導入された当時には、検察官の定年延長が可能とは解釈されていなかったものの、今回の政府の法解釈で可能になったという認識を示しています。
これについて、憲法学者や政治学者などで作る「立憲デモクラシーの会」が21日、都内で記者会見し抗議声明を発表しました。
声明では「権力の中枢にある者の犯罪をも捜査の対象とする検察官の人事のルールは、国会の審議・決定を経ずして、単なる閣議決定で決められるべき事柄ではない」としたうえで、「ときの政権の都合で、従来の法解釈を自由に変更してかまわないということでは、政権の行動を枠にはめるべき法の支配が根底から揺るがされる」としています。(NHKweb) 「声明全文」


検察官も声を挙げた 2020/2/25

Yahoo! JAPAN広告 東京高検の黒川検事長の定年延長問題 検事正の乱「国民からの信頼が損なわれる」〈週刊朝日〉

「急な発言で何を言い出すのかと思ったら、黒川検事長の定年延長問題の公然と批判する意見を検事正が言い出した。本当にびっくりした」(法務省関係者)

 東京高検の黒川弘務検事長(63)の定年延長問題をめぐり、19日に法務省で開かれた全国の法務・検察幹部が集まる「検察長官会同」で、冒頭のような爆弾発言が飛び出した。森雅子法相や稲田伸夫検事総長らも、出席したこの会議。その席上には当事者である黒川検事長もいた。森法務相、稲田検事総長の訓示や挨拶などがあり、その後、日産自動車元会長、カルロスゴーン被告の逃亡を巡って、保釈制度など検察運営の論議に移った。「ゴーン被告の逃亡を受けて、法律改正が見込まれる中でその説明などがありました。そこで、意見はないかとの声がかかり、挙手して発言したのが、静岡地検の😊神村昌通検事正でした」(前出・法務省関係者) <記事全文はこちら>

 山腰修三の名前は初めて見たが、良い評論だと思った。

2020年2月21日 20時49分

いいね!

2020/5/13 事態はますます、ひどくなる。黒川氏の定年延長を後付けで正当化するため、またAbeの逮捕を避けようと露骨な法改正に打って出てきた。コロナの危険が続くのに・・・。#抗議のtweetデモも広がっているけど、事態は深刻だ。


天皇退位と憲法 Cover

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メディアに追い詰められ、自分のIdentityやプライドも捨てざるを得なくなったようだ。後悔と覚悟と。家族を守るための最終決断だというけれど、後悔のない生き方ができればいいのだが、、、、。

Duke and Duchess of Sussex

Lawyers say the photos of the duchess walking her dogs and carrying her son were taken by photographers hiding in bushes and spying on her. They say she did not consent and accuse the photographers of harassment. The couple say that they are prepared to take legal action.

たくさんいる私のFB友人でこの話題を採り上げる人は皆無!こんなことに時間を使うのはムダと思っているようだ(私も!?)


・・・と思ったら、ひとりだけ反応した人がいた!

Dush-san

新聞も!

東京新聞 2020.1.28

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「 わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、静かに祈るためです 。原子力の戦争目的の使用は倫理に反します。より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません 」・・長い祈りの人生から発せられた〝真理”,〝真実のことば”に、心を動かされら人がきっと多いと思う。

戦争はもういらない! こんな苦しみはもういらない!

 神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音(ごうおん)はもういらない! こんな苦しみはもういらない!と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地からもえいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11―12)。

 主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!わたしの兄弟と仲間と、そしてあなたと共に、わたしは「平和」といいます。


Full text of pope’s message in Hiroshima

Pope Francis arrives at the Peace Memorial Park in Hiroshima on Nov. 24, 2019. (Kyodo)

Pope Francis arrives at the Peace Memorial Park in Hiroshima on Nov. 24, 2019. (Kyodo)

HIROSHIMA (Kyodo) — The following is the official translation of the full text of a message Pope Francis delivered Sunday in an address in Hiroshima.

“For love of my brethren and friends, I say: Peace upon you!” (Ps 122:8).

God of mercy and Lord of history, to you we lift up our eyes from this place, where death and life have met, loss and rebirth, suffering and compassion.

Here, in an incandescent burst of lightning and fire, so many men and women, so many dreams and hopes, disappeared, leaving behind only shadows and silence. In barely an instant, everything was devoured by a black hole of destruction and death. From that abyss of silence, we continue even today to hear the cries of those who are no longer. They came from different places, had different names, and some spoke different languages. Yet all were united in the same fate, in a terrifying hour that left its mark forever not only on the history of this country, but on the face of humanity.

Here I pay homage to all the victims, and I bow before the strength and dignity of those who, having survived those first moments, for years afterward bore in the flesh immense suffering, and in their spirit seeds of death that drained their vital energy.

I felt a duty to come here as a pilgrim of peace, to stand in silent prayer, to recall the innocent victims of such violence, and to bear in my heart the prayers and yearnings of the men and women of our time, especially the young, who long for peace, who work for peace and who sacrifice themselves for peace. I have come to this place of memory and of hope for the future, bringing with me the cry of the poor who are always the most helpless victims of hatred and conflict.

It is my humble desire to be the voice of the voiceless, who witness with concern and anguish the growing tensions of our own time: the unacceptable inequalities and injustices that threaten human coexistence, the grave inability to care for our common home, and the constant outbreak of armed conflict, as if these could guarantee a future of peace.

With deep conviction I wish once more to declare that the use of atomic energy for purposes of war is today, more than ever, a crime not only against the dignity of human beings but against any possible future for our common home. The use of atomic energy for purposes of war is immoral. We will be judged on this. Future generations will rise to condemn our failure if we spoke of peace but did not act to bring it about among the peoples of the earth. How can we speak of peace even as we build terrifying new weapons of war? How can we speak about peace even as we justify illegitimate actions by speeches filled with discrimination and hate?

I am convinced that peace is no more than an empty word unless it is founded on truth, built up in justice, animated and perfected by charity, and attained in freedom (cf. St. John XXIII, Pacem in Terris, 37).

Building peace in truth and justice entails acknowledging that “people frequently differ widely in knowledge, virtue, intelligence and wealth” (ibid., 87), and that this can never justify the attempt to impose our own particular interests upon others. Indeed, those differences call for even greater responsibility and respect. Political communities may legitimately differ from one another in terms of culture or economic development, but all are called to commit themselves to work “for the common cause,” for the good of all (ibid., 88).

Indeed, if we really want to build a more just and secure society, we must let the weapons fall from our hands. “No one can love with offensive weapons in their hands” (St. Paul VI, U.N. Address, Oct. 4, 1965, 10). When we yield to the logic of arms and distance ourselves from the practice of dialogue, we forget to our detriment that, even before causing victims and ruination, weapons can create nightmares; “they call for enormous expenses, interrupt projects of solidarity and of useful labor, and warp the outlook of nations” (ibid.).

How can we propose peace if we constantly invoke the threat of nuclear war as a legitimate recourse for the resolution of conflicts? May the abyss of pain endured here remind us of boundaries that must never be crossed. A true peace can only be an unarmed peace. For “peace is not merely the absence of war…but must be built up ceaselessly” (Gaudium et Spes, 78). It is the fruit of justice, development, solidarity, care for our common home and the promotion of the common good, as we have learned from the lessons of history.

To remember, to journey together, to protect. These are three moral imperatives that here in Hiroshima assume even more powerful and universal significance, and can open a true path to peace. For this reason, we cannot allow present and future generations to lose the memory of what happened here. It is a memory that ensures and encourages the building of a more fair and fraternal future; an expansive memory, capable of awakening the consciences of all men and women, especially those who today play a crucial role in the destiny of the nations; a living memory that helps us say in every generation: never again!

That is why we are called to journey together with a gaze of understanding and forgiveness, to open the horizon to hope and to bring a ray of light amid the many clouds that today darken the sky. Let us open our hearts to hope, and become instruments of reconciliation and peace. This will always be possible if we are able to protect one another and realize that we are joined by a common destiny. Our world, interconnected not only by globalization but by the very earth we have always shared, demands, today more than ever, that interests exclusive to certain groups or sectors be left to one side, in order to achieve the greatness of those who struggle co-responsibly to ensure a common future.

In a single plea to God and to all men and women of good will, on behalf of all the victims of atomic bombings and experiments, and of all conflicts, let us together cry out: Never again war, never again the clash of arms, never again so much suffering! May peace come in our time and to our world. O God, you have promised us that “mercy and faithfulness have met, justice and peace have embraced; faithfulness shall spring from the earth, and justice look down from heaven” (Ps 84:11-12).

Come, Lord, for it is late, and where destruction has abounded, may hope also abound that we can write and achieve a different future. Come, Lord, Prince of Peace! Make us instruments and reflections of your peace!


Pope Francis in Nagasaki says world without nuke arms ‘possible, necessary’ November 24, 2019 (Mainichi Japan)


Pope wants to officialize immorality of nuke arms possession

THE ASSOCIATED PRESS November 28, 2019 at 07:30 JST

Photo/Illutration

Pope Francis speaks during a news conference onboard the papal plane on his flight back from a trip to Thailand and Japan on Nov. 26. (Pool Photo via AP)

ABOARD THE PAPAL PLANE–Pope Francis is planning to change official Catholic Church teaching to declare the use and possession of atomic weapons as “immoral,” a move that makes clear that his rejection of the Cold War-era doctrine of deterrence is to be official church policy.

Francis had declared the possession of nuclear weapons immoral on Sunday in Hiroshima during an emotional encounter with survivors of the U.S. atomic bomb.

On Tuesday, during a press conference en route home from Japan, Francis indicated that his Hiroshima address should be considered part of his magisterium, or official church teaching.

“This must go in the Catechism of the Catholic Church,” he said, referring to the published compendium of official church teaching.

“Not just the use, also the possession,” he said. “Because an accident of possession, or the insanity of a leader or someone, can destroy humanity.”

Francis first articulated his opposition to the doctrine of deterrence in 2017, during a Vatican conference, when he said the possession of nuclear weapons was “to be condemned.”

The shift upended three decades of the Vatican’s tacit acceptance of nuclear arsenals. Starting in 1982, St. John Paul II had held that deterrence could be morally acceptable in the interim as long as it was used as a step toward mutual, verifiable disarmament.

In the ensuing years, however, the Holy See has watched as arms control treaties collapsed, new nuclear powers emerged and the policy of assured mutual destruction resulted in a permanent stockpiling of bombs.

Francis also went further Tuesday in his comments on nuclear energy, saying he would rule out its use until scientists can offer “total security” to ensure that accidents, natural disasters and “crazed” individuals won’t destroy humanity and the environment with nuclear fallout.

Francis offered his “personal opinion” that went beyond the “concern” he expressed in public a day earlier during a meeting with survivors of the 2011 Fukushima nuclear disaster.

The Japanese government strongly backs nuclear energy despite the 2011 “triple disaster,” in which three Fukushima nuclear reactors partially melted down after an earthquake triggered a tsunami. The disaster spewed nuclear fallout across the region and at one point forced the evacuation of 160,000 people.

“I have a personal opinion,” Francis said. “I would not use nuclear energy as long as there’s not a total security on the use.”

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