この2年ぐらいで初めて紙で買った「本」!大笑いの万葉集だ。

1300年前に奈良で生まれた万葉集を、現代の奈良弁で訳した本。奈良時代の若者の恋歌を“令和の若者言葉”や “奈良の言葉”を使って訳しています。

佐々木良「愛するよりも愛されたい 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集」 SNS的感性が共感を呼ぶ
  • 『万葉集』と聞けば、遠い存在に感じてしまう。古典の授業や日本史の教科書に登場した、なんだか難しそうな歌集。それが万葉集の世間一般のイメージなのではないだろうか。しかしそんな印象を一変させる本がある。高松で出版社を立ち上げた著者による、『万葉集』を現代語に訳した本書である。
  •  たとえば「白栲(しろたへ)の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも(巻12・3182番)」の和歌を本書はこう訳す。「あんたに別れ話をされたとき『ほな別れたるわ!!』って即レスしたけど正直やってもうた!て思てる」……たしかに「白栲の袖」「思ひ乱れて」などの古語では伝わりづらい感情も、「即レス」「やってもうた」などの現代語を使われると、なるほどそういうことか、と微笑(ほほえ)ましく感じられる。万葉集の歌が、これまでになく身近に迫ってくる。そして「和歌って、現代のSNSやLINEの文面みたいなものなんだな」と気づかされる。
  •  私は2019年に『妄想とツッコミでよむ万葉集』(大和書房)を出版したのだが、その際も「美しい景色を詠む和歌は、きれいな景色にポエムを添えて投稿するInstagramのようなもの」「何首も続けて詠まれている和歌は、LINEを連投する心情と同じ」と説明した。本書はまさにSNS的な感性をふんだんに使った言葉遣いで、『万葉集』の和歌を現代語訳してくれている。だからこそ現代の私たちが『万葉集』を身近に感じられるのだ。
  •  本書が売れている理由は、まさにSNS全盛期の現代において、「和歌も現代のSNSを見るような感覚で楽しむことができるんだ!」と多くの人に気づかせたからではないだろうか。SNSを通して、言葉で自らの感情を伝えようとする現代。そんな時代に読むからこそ、1300年経った今、共感できる歌たちが『万葉集』にたくさん存在する。そう、『万葉集』には、現代のSNSのヒントが詰まっているのだ。=朝日新聞2023年4月8日掲載
  •  万葉社・1千円=6刷6万部。昨年10月刊。「ふざけて書いた本なので『こんなん誰が買うねん』と初版は500部。だんだん注文が増え、今では刷っても刷っても間に合わない」と著者。2023/4/11
  • 三宅香帆書評家

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今年の年間Planで唯一達成できずにいた私の一番の楽しみ大船フラワーセンター!期待してたこの季節の芍薬はもちろん、牡丹、躑躅、藤、スイレン池の周りには、ヤグルマギク、いっぱいの白いスイレンの花、すぐそばのハンカチの樹に花まで咲いていた。そして春の薔薇がちょうど美しく芳香を放っていた(Kumi was happy with that!)。車椅子では入れない「山の道」は行けなかったけど、広場では楠、ヒノキの大木が青空に輝いていた。Ken said that he felt himself getting old as he thought it was lovely to see flowers. (w)

奥にカフェが見える
クス
正面のDisplay

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4/12 久しぶりのホッとするニュース「政府、学術会議改正案の今国会提出を見送りへ」(毎日新聞梶田会長の落ち着いて静かだけど断固とした態度が素晴らしかった。

【日本学術会議】政府に13年ぶり「勧告」 改正案の提出を思いとどまるよう求める

 政府は20日、当初目指していた日本学術会議法改正案の今国会の提出を見送る方針を固めた。政府関係者が明らかにした。改正案は、会員選考に第三者が意見を述べる「選考諮問委員会」を設けることなどが柱。しかし、第三者の介入を招き独立性を損ねるなどとして、学術会議側が反発。野党からも批判が出ていた。学術会議は、改正案の今国会への提出を思いとどまり、開かれた協議の場を設けるよう、18日に政府に勧告していた。【鳥井真平】※「勧告」は学術会議法に基づき、政府に示す最も強い形の意思表明で13年ぶり


(毎日新聞より)

日本学術会議の法改定に係る問題について (日本共産党:志位委員長) 日本学術会議の勧告 政府は真摯に受け止めよ 2023.4.19
学術会議が総会で、政府が提出しようとしている改定法案について、「改悪法案提出やめ議論を」と勧告を全会一致で採択した。当然のことで最小限の要求だ。勧告は非常に重要な意思表示として最も重いものだ。政府は真摯に受け止め対応を。日本学術会議の独立性、とりわけ学術の独立性そのものが問われている。こうした重大な問題について、学術会議とまともな協議もなしに強行することはあってはならない。2月27日の衆院予算員会で、宮本徹議員に、岸田首相は「学術会議と意思疎通を図りながら進める」と国会で約束したことをしっかり守るべきだ。今やられている動きは学術の独立性を侵害する非常に深刻な事態だ。勧告に対する真摯な対応を求める。


主張(産経新聞)「学術会議法改正案 提出「反対」は時代錯誤だ」>同法改正案は第三者による「選考諮問委員会」を新設し、会員選考に関与させることが柱だ。総会では「政府の介入」を懸念する声が相次いだ。身勝手な組織防衛にすぎず、翻意して同法改正案に賛同すべきだ。学術会議は税金で運営され、会員は特別職国家公務員だ。防衛のための研究を当然視しないような反国民的な体質は早急に改めるべきだ。それには、選考に第三者の目を通じて世間の常識を入れていくことが欠かせない。同法改正案の早期成立が必要だ。

社説〉学術会議 政府はもう介入をやめよ 2023/04/22 信濃毎日新聞

学問の自由を保障するとはどういうことなのか。根本に立ち返った議論が欠かせない。一方的に事を急ぐ政府をいったん押しとどめた形だが、法改定そのものを政府は諦めていない。むしろさらに踏み込んで、国の組織から切り離す強硬論が再び勢いづいているのが気にかかる。

自民党の提言は、政府の組織でありながら独立した存在であろうとすることは矛盾だと述べる。しかし、学問の自由を保障する責務が国にあることを踏まえれば、そこに矛盾は生じない。独立と自律を確保しつつ、国の組織に位置づけて財政を支えることは、学問の自由の制度的な保障である。政府の意向に従えないなら国の機関であるべきではないというのは暴論だ。会員の選出や組織のあり方に介入する姿勢を政府は改めなければならない。学術会議と話し合うと言うのなら、何よりまず任命拒否を撤回し、判断に至った経緯を明らかにする必要がある。Full Text

「英国の旧友」もうれしいけど、近くの心許せる友の存在も大きい!大切だ。特に高齢になっては。4/1友人2人が訪ねてきてくれた。みんなで頑張ってここにずっといることにしたなんと素晴らしい合意!)。愉快なひとときだった。

4/1   4/22   5/20

久しぶりに友人2人と3人で歌を歌ってみた。2人がしっかり立ち上がったのにはびっくりした。さすが訓練の賜物だ。また、来てもらいたいけど、人に頼るだけではだめで、私も行けるようになりたいと思った。

4/10‐19 次の予定(4/22)が決まって人数が2人増えることになった。少し負担に感じるけど来てもらえるのはうれしい。来てくれる人が「楽しみにして」くれているならなおさら。何でもしようと思う。円卓でお茶して、外を眺めて。歌う曲も決めたし!

ずっと前、仕事を全部辞めたら鎌倉の家でサロンをオープンしようと思っていた。Salon de Kamakura_Dai こちら https://kamakuradai.wordpress.com/ これを八景で実現しようと思う。

2018に作って眠っていたサイト(もうない)

new site image

5/20 人数は増やさずこじんまりと楽しい話をして3回目となった。歌は、はにゅうの宿、Le Temps Des Cerises、Cho Yong Pil – The Song of Wind。ピアノ演奏ではバッハのメヌエットが宿題になった。話は、ひざ痛、(奈良弁)万葉集、その他よもやま話。おいしいケーキなどいただきお茶も作ってもらった。こころから寛げて楽しい時間だった。友人たちに感謝。

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2年ぶりにやっと見た美しい桜、本物のさくら。それも2013-2021まで9年間飽かず眺めた桜だった!どの桜も思い出深く心にしみた。青い空がこのうれしい日を飾ってくれた。

こんな美しいキャンパスで仕事をしていたんだ!と改めて思った。

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今年はどんな桜が見れるかなぁ。楽しみと不安と・・・。

3/17 Daycareのバスから朝、片吹町の「神代曙」の薄桃色・3分咲きを見た。桜を見ただけで感動、美しかった!

[「桜咲く新宿御苑を散策してきた」
遠くに鷹取山への桜並木!

3/30 ソメイヨシノが散り始めたころ、他よりも遅めに咲くYCUの満開のサクラが私を待っていてくれた!

YCU 正門前

YCU さくら’23

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保土ヶ谷区にある市の施設の中にあるそんなに大きくない図書館で「新しい人よ眼ざめよ」を見つけ,書架から取り出した時の新鮮な感激は今もはっきり覚えている。

『新しい人よ眼ざめよ』は、ブレイクの後期預言詩のひとつ『ミルトン』の序の一節「Rouse up, O, Young men of the New Age !」からインスピレーションを得ている。また各短編のタイトルもブレイクの詩行や絵画のタイトルに由来する。

Bring me my Bow of burning gold;
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!

★障害を持つ長男イーヨーとの「共生」を、イギリスの神秘主義詩人ブレイクの詩を媒介にして描いた連作短編集。作品の背後に死の定義を沈め、家族とのなにげない日常を瑞々しい筆致で表出しながら、過去と未来を展望して危機の時代の人間の<再生>を希求する、誠実で柔らかな魂の小説。大佛次郎賞受賞作。講談社の紹介文

(Jerusalem)

And did those feet in ancient time,
Walk upon Englands mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On Englands pleasant pastures seen!
And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?
Bring me my Bow of burning gold:
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fi re!

 知的な障害とはまた別に、まじめな性格の光は、歩行訓練をする間、しゃべりません。私も、読んでいる本のことを思い出したりしています。足を高くあげない光は、つまずきやすいし、てんかんの小さな発作を起こすことがあります。後の場合、抱きとめておいて、地面に座らせることができれば五分ほどじっとしています。その間、周りから声をかけられることがあっても、光の頭を支えている私は応答できません。それが相手をムッとさせることは幾度となくありました。さて、今度の歩行訓練で、私がつい頭のなかの散漫な思いにとりつかれている時、転っていた石に足をとられて、光がバタンと倒れたのです。てんかんの発作ではなく、意識がはっきりしているので、かえって気持ちを動転させています。自分の失敗を責めてもいるようです。

 私にできることは、自分よりずっと重い光の上体を抱え起こし、遊歩道路の柵まで寄らせて、頭を打たなかったかどうか調べるくらいですが、私ら二人のモタモタした動きは頼りなく見えたにちがいありません。自転車でやって来た壮年の婦人が跳び降りると、―大丈夫?と声をかけながら光の肩に手をあてられました。光がもっとも望まないことは、見知らぬ人に身体をさわられるのと犬に吠えられるのとです。こういう時、私は自分が十分に粗野な老人であることは承知の上で、しばらくほうって置いていただくよう強くいいます。

 その方が、憤慨して立ち去られた後、私はある距離を置いてやはり自転車をとめ、こちらをじっと見ている高校生らしい少女に気付きました。彼女はポケットからケータイをのぞかせて、しかしそれを出すというのじゃなく、ちょっと私に示すようにしただけで、注意深くこちらを見ています。 光が立ち上り、私がその脇を歩きながら振り返ると、少女は会釈して、軽がると自転車を走らせて行きました。私にとどいたメッセージは、自分はここであなたたちを見守っている、救急車なり家族なりへの連絡が必要なら、ケータイで協力する、という呼びかけでした。私らが歩き出すのを見ての、微笑した会釈を忘れません。

     *

 さきの大戦の終わりに抗独戦線に参加している一人として死んだ、🌹フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの、🔹不幸な人間に対して注意深くあり、――どこかお苦しいのですか? と問いかける力を持つかどうかに、人間らしい資質がかかっている、という言葉に私は惹(ひ)かれています。 ヴェイユの不幸な人間の定義は独特ですが、突然の転倒に動揺している私らも、この場では不幸な人間です。こちらが受け入れられないほど積極的な善意を示してくださった婦人も、ヴェイユの評価する人間らしさの持ち主です。🌹むしろこういう時にも自分にこだわる(そこからの解放をヴェイユは説くのでもあります)私を変えねばなりません。その上で、不幸な人間への好奇心だけ盛んな社会で、私はあの少女の注意深くかつ節度もある振る舞いに、生活になじんだ新しい人間らしさを見出す気がします。好奇心は誰にもありますが、注意深い目がそれを純化するのです。

 大江さん 小説を書いている人間、その人間自身が、世界、日本、社会の中でどのような存在であるか。いつもそういうことが頭にある。僕のように小さな村、そして森を題材にしつつ、現代の東京に生きている人間として、同時代の中で七転八倒しながら書く。戦後文学を担った多くの作家はそうしてきました。

 ――大江文学を流れる最大のテーマに「森の思想」があるといわれる。これはどういうものですか。大江さん 僕は四国の愛媛県で生まれました。子供のころは台風、大水が多かった。森は何か恐ろしいと同時に魅惑的だった。魂を癒す故郷を森に求めたのです。半分は架空の森で、同時に神話も実話もある。安保闘争に苦しんだ男が、森にかえる、それが「万延元年のフットボール」です。森と谷間の村に材を求めてきましたが、その集大成が「燃えあがる緑の木」です。二部まで出て、最後の三部を推敲(すいこう)していますが、結局悲劇に終わる。未来へ受け継ぐものは暗示させたい。

 二十八歳の時、長男が生まれた。脳に障害を持って生まれた光と共に生きて行くことが、僕の文学を変え、人生を変えた。僕のように早熟で、それまで頭だけで小説を書いてきた人間は二十代の終わりで行き詰まり、自殺してしまったかもしれない。必ず行き詰まった。大変だったけれども夫婦で(純粋な心をもつ)光に勇気づけられることは多かった。三十八年間小説を書いてきて、そのうち三十一年間は光と共にいる。人間らしさとはどういうことか。どんなに暗い人間、性格、状況を描いても文学は人間を励まし、勇気づけ、活気づけるものであることが、光と生きて分かったということでもあるでしょう。

大江健三郎さん 高校時代の文章や詩見つかる 愛媛 内子町

大江健三郎さんは、愛媛県内子町の大瀬地区に生まれ、昭和25年に地元の県立内子高校に進学し、文芸部に所属しながら1年間在校しました。13日、大江さんの訃報が報じられたことから、高校が校内の資料室でゆかりの品を探したところ、73年前に当時1年生だった大江さんが校内で発行する生徒会誌に寄稿した文章や詩が見つかったということです。シェークスピアの「ハムレット」について記した文章では、ハムレットの生涯から人間の運命を思索しつつ、「前進することは悩みの連続であろう。しかし人間は前進するように運命づけられている」と人生への決意ともとれる記述があります。

「ハムレット」について記した文章
「赭い秋」

The Nobel Prize-winning Japanese author Kenzaburo Oe has died at the age of 88.

Strongly influenced by French and American literature, he was known for his powerful accounts of the atomic bombing of Japan and coping with his son, who has learning difficulties. He won the Nobel Literature Prize in 1994, with judges praising his “darkly poetic” novels for their “disconcerting picture of the human predicament”. The whole Article by BBC, March 14

Rouse Up, O Young Men of the New Age!

Kenzaburō Ōe

“K is a famous writer living in Tokyo with his wife and three children, the oldest of whom was born with a brain anomaly that has left him mentally disabled. A highly cerebral man who often retreats from real life into abstraction – in this case, the poetry of William Blake – K is confronted by his wife with the reality that this child, Eeyore, has been saying and doing disturbing things – behaving aggressively, asserting that he’s dead, even brandishing a knife at his mother. As the days pass, various events – K’s hapless attempts to communicate with his son, Eeyore’s near drowning during a father-son trip to the swimming pool, a terrible hurricane that nearly destroys the family’s mountain cottage and the family inside it – K is forced to question his fitness as a father.” K reconsiders his own life – his relationship with his father, his rural upbringing, his relationship with a well-known dissident writer who committed suicide, the responsibilities of artists and writers in Japan generally. In the end, in part through his obsessive rereading of Blake, K is able to see that things are not always what they seem, especially where his son is concerned, and to trust his heart as well as his mind.

新しい人よ眼ざめよ/Rouse Up O Young Men of the New Age!
個人的な体験/A Personal Matter
静かな生活/A Quiet Life
人生の親戚/An Echo of Heaven
性的人間/Seventeen and J: Two Novels
取り替え子/The Changeling
宙返り/Somersault
ピンチランナー調書/The Pinch Runner Memorandum
万延元年のフットボール/Silent Cry
芽むしり仔撃ち/Nip the Buds, Shoot the Kids
われらの狂気を生き延びる道を教えよ/Teach Us to Outgrow Our Madness


 3/21 大江さんが大江さんが新しいスタイルの小説を書くことはもうない。難解な小説は、いまでも私には難解なままだ。それでも、大江さんはこんな風にして、いつでも語りかけてくれる。最後の小説になった「晩年様式集」の最後の詩のような、希望をつなぐ深く優しい言葉で。小さなものらに、老人は答えたい、/私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる高津祐典)  Full Text  

3/14 大江健三郎は「戦後」に君臨しないまま統治した ikezawa

おおえ・けんざぶろう  なんと美しい名前だろう。やわらかい母音が三つ連なり、それをKという子音がしっかり受けて、更にごつごつしたZが乱して、「ろう」で丸く収まる。音節の数は軽く七五調を逸脱している。こんな名前を持った男が詩人でないはずがない。FULL TEXT

大江文学の価値・広さ/大きさ

日本人の連帯感・・「個人の深みに根ざしている静けさ」

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国会会期中に表現の自由についての大問題が明るみになったというのに、世の中大谷_Darvish_Nootber_Feaver

「最後かと思って投げた」んだ!
大谷、ヌートバーの “コショウひき”
周東の激走(5:33)!が見もの

3/20 大谷の鼓舞から始まった!吉田の四球、村上の決勝打、周東の劇的サヨナラホームインを一気見せ!【侍ジャパンvsメキシコ】WBC2023 マイアミ・ローンデポパーク

優勝してしまった。にわかOhtani fan続出 2023/3/22

放送法の解釈を「放送の自由を保障する法」から「(時の政権の気に入らない)放送を規制する法」に捻じ曲げた2015年の経過が明らかになった問題。Journalist青木さんの記事から引用。

AERA記事全文

 文書の内容は、当時、安倍氏の首相補佐官だった礒崎陽輔氏が放送法の「政治的公平性」についての解釈を変えようと総務省に働きかけたというもの。これにより、従来は『放送事業者の番組全体を見て判断する』とされてきたテレビ局の政治的公平性に、『一つ一つの番組を見て全体を判断する』という新たな解釈が加わった。礒崎氏は3日、ツイッターで「総務省と意見交換をしたのは事実」と、総務省に働きかけたことを認めたが、青木氏はこう問題視する。

 「時の政権の一員である首相補佐官の礒崎氏が総務省に迫り、文書にもあるような“ヤクザ”まがいの恫喝も交え、民主社会の根本たる言論・表現や報道の自由に関する法令解釈変更を裏で迫るのは大問題です」

事件の構図

3/12 「サンデー・モーニング」(毎日)

田中優子・法政大名誉教授は、礒崎元首相補佐官が「コメンテーター全員が同じことを述べている」と指摘した点を取り上げ、「コメンテーターは、それぞれ職業も経験も異なり、おっしゃることの角度や言葉、表現も違うはずだ」と反論した。その上で「同じだという根拠は述べていないのにそう感じたということは、頭の中が『自分と同じ意見』『自分と違う意見』を入れる二つの引き出しでできているからではないか。自分と違う意見は全部同じに聞こえるということではないか」と痛烈に批判。その他の人の意見

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