すばらしく論理的、積極的、斬新なアイディア、決して妥協しない、何者をも恐れない、実に”はっきり”、”ズバリ”と言う。望月衣塑子さんよりすごいかもしれない。勇気があり、迫力があり、明るいすばらしい女性だ。
今、日本各地で影響力を広げている。Abe は「日程の都合」とか理由をつけて会わないようで、Fihnさんにズバリ「世界から見放される危険を冒している」と指摘した!ここまではっきり言う人・団体が今の日本にはあまりいない、少ないのがとても残念だ。
「核抑止力の効果を言う人がいるが、北朝鮮の現実を見れば「抑止力」の考えが間違っていることがハッキリする。核は廃絶するしかないのだ」と。また、「核兵器使用禁止は日本政府が決めるものではない、日本の国民が決めるものだ」とも!その通りだ、すばらしい。

 

On Twitter: It was really special to visit the memorial sites of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki. So much suffering and pain, yet today these are two cities of hope, devoted to working for nuclear disarmament. They are an inspiration to all of us.

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昨年11月のモンゴル人力士による暴力事件で、私が好きだった日馬富士が引退した。それよりも問題なのは日本相撲協会のGovernance の未熟さ。でも、暴力を受けた側の親方である貴乃花に問題がないかといえば、それもなかなか・・・。別の問題があるようだ。
週刊誌の記事より。(「こんな”悪文”を書く人、見たことない」の例として。

インタビューに無言を通し批判されているが、無口が一番と本人も自覚しているのだろうか。どんな決着となるのか気になる・・・。

貴関のメール原本(?)記事はこちら;

相当ヘン! 文章力なし、頭脳不明晰、おそらくご自分が何を言っているか理解していない?残念。


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夜の銀座なんてわざわざ行くこともないので思わずうれしくなり写真を撮りました。渋谷や新宿、横浜駅付近のチャラチャラ感がどうしても出てしまう場所とは異なり、身振りもしとやかに上品にまとめようという姿勢(!)は感じました。
   
   
   
 
   
 
わっ!Mikimotoと焼き芋屋さん!
Eriさんコンサートはこちら  Top Pageへ

 
11/11(月)未明、Nobel Academy のサイトで授賞式の模様を食い入るように見ていた。
Kazuo Ishiguroさんは、身体とたたずまいは日本人、言語と身体の動きはHalf British/Half Japanese のような感じで、穏やかでにこやかな表情で、楽しそうに嬉しそうに賞を受けた。喜ばしい瞬間だった。
 
でも、その前に平和賞を受賞した ICAN (International Campaign to Abolish Nuclear Weapons) のベアトリス事務局長(Beatrice Fihn)のスピーチが超過激、直截的・感動的で驚きだった。日本人被爆者Thurlow節子さんのスピーチも力強く、会場に感動を広げた。世界に声を拡げるものだったと思う(拍手) スピーチ原稿(こちら)


The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 2017 Richard H. Thaler
Richard H. ThalerさんPhoto: University of Chicago/Anne Ryan
もう一つ、おかしみとともに感動したのは、経済学賞を受けた米国の受章者が舞台で思わず見せた涙。正直そうで可愛らしく、VTRを戻して何度も見てしまった。どの受章者も人生をかけた挑戦を長年たゆみなく続けた人で、それだけで十分人を感動させるのだと思った。

 


こちらは、受賞後の夕食会でのIshiguroさんのすばらしいスピーチ:

Kazuo Ishiguro – Banquet Speech

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いよいよNobel Weekが近づいてきた。一番の楽しみはKazuo Ishiguroさんが何を話すか。日本人ではないけれど日本で生まれ、それを懐かしみ、日本にルーツがあることを誇りにする人。

Decent Manの見本のような人。
スウェーデンに到着し、ストックホルムで講演を行ったときの模様を伝える新聞記事を保存。

Kazuo Ishiguro ‘very touched’ by Japanese reaction to Nobel Win

DEC 7, 2017  JIJI, KYODO

LONDON – British author Kazuo Ishiguro, winner of the 2017 Nobel Prize in literature, said Wednesday he was happy to learn that people in Japan celebrated his recognition.
Ishiguro was born in Nagasaki in 1954 and moved at age 5 to Britain, where he still lives and writes in English.Read More →

旧米沢藩出身としては、忠臣蔵の解釈には反対だ。殿中で”切り付けた”方が英雄で、切り付け”られた”方が悪者なのは理不尽である!!と言い続けるのだが、ドラマの影響、判官びいきのせいで多勢に無勢だ。でも、この頃はときどきこの騒動を科学的に分析しようとする記事を見る。うれしい。

江戸城内で突然、斬りつけた浅野内匠頭は強迫性障害だった? 現代の医師が診断(AERAより)

『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、赤穂藩主・浅野長矩を診断する。
*  *  *
【浅野長矩(1667~1701年)】
毎年、暮れになると腹の立つことがある。
各局で放映される忠臣蔵である。気の毒な吉良上野介義央は没後300年以上にわたりどうして毎年悪役として殺され続けなければならないのか。
そもそもの始まりは、2年ほど前に遡る。
弥生も半ば春の陽差しが射し込む元禄14年(1701年)3月14日、江戸城松の廊下でとんでもない事件が起きた。将軍徳川綱吉が勅使を饗応する儀式の責任者である播州赤穂5万3000石藩主・浅野内匠頭長矩が、梶川与惣兵衛と立ち話をしていた高家筆頭吉良上野介義央に「この間の遺恨覚えたるか」と叫んで斬りつけたのである。
■犯行の背景は
浅野本人が吟味の席で「乱心にあらず。かねて遺恨あり」と述べているが真相は藪の中である。犯行の背景には(1)吉良に賄賂を持っていかず恥をかかされた(徳川実紀)、(2)赤穂の塩が吉良の塩に販売競争で負けた(尾崎士郎)、(3)接待費用を節約し叱責された(三田村鳶魚)、(4)吉良が浅野の室に横恋慕(仮名手本忠臣蔵)などの説があるが、いずれも根拠は薄い。
内匠頭は田村右京大夫邸で即日切腹。享年34。当然ながら、吉良はお咎めなしである。
実際、この事件での被害者に何の落ち度もない。浅野内匠頭の罪名は現在で考えても明らかに殺人未遂罪であり公務遂行中の事件でもある。「殿中にて刃傷に及べば切腹・死罪」という法があり、裁判(目付・近藤平八郎と多門伝八郎による訊問)を経て処刑されている。
勿論、判決当日とはあまりに拙速という批判もあろうが、当時として適切な法手続きは行われたと言ってよい。そもそも特権的に武士のみに携帯を許された短刀を抜いて、公の場で上司の殺害を企てたわけであり、その場で斬り殺されても文句は言えない。切腹についても、武士としての名誉ある死の方式であり、内匠頭の名誉を傷つけたとは言えない。

 

 

 

 

2013年、GTTで吉良邸跡を訪問。この説を唱えたが、理解した人は少なかったと思う。

■何が彼をそうさせたか
侍医である寺井玄渓日記には浅野には「痞え(つかえ)」の持病があり、事件の3日前に薬を調合したとしている。精神科医の小田晋は「腹部発作と不機嫌症状を伴う軽いてんかん発作があったのではないか。痞えの持病に吉良の意地悪によるストレスが加わり、鬱積爆発反応が起きたのではないか」としている。同じく精神科医の中島静雄は「浅野内匠頭は典型的な統合失調症で、吉良は通り魔殺人の被害者に過ぎない」としている。
浅野長矩は事件の7年前に重病で寝込み、弟大学長広を跡継ぎに定めて分家させたという記録はあるが、痙攣発作や異常行動の記録はない。ただ彼には妙に潔癖で融通の利かないところがあり、筆者には強迫性障害(OCD)があったのではないかと考える。
OCDは徐々に発達していく障害で、気分が良い時には無症状だが何か問題が起きたり不安を感じた場合に強迫観念や強迫行為、衝動行動などが発生する。OCDの原因は多様だが、遺伝や脳障害、特にセロトニン・ニューロンの異常が知られる。
OCDの増悪過程には、身体的要素に加えて学習的な要素があり、重症化していく。長矩が初めて勅使饗応役を行った17歳の時の強烈な体験が頭を離れず、事件を起こした元禄14年の準備で細かいことを何度も吉良に聞き、吉良も面倒くさくなって適当にあしらったため、逆恨みで切れたのではないか。
OCDは本人にとってはどうすることもできないので強い無力感を感じる。内匠頭が、従容として切腹の申し渡しを受けたということに矛盾しない。現在なら、向精神薬や行動療法でコントロールできるだろうが、漢方主体の江戸時代医学では(仮に蘭方でも)治療は困難であろう。
さて、気の毒なのは路頭に迷うことになった家臣たちである。御家再興の望みが絶えた翌年12月14日、吉良邸に大石内蔵助ら47人が討ち入り、上野介を討ち果たす。しかし、江戸時代であっても、私刑が許されるわけはなく、これは集団テロ以外の何物でもない。本来私闘の禁止のためにあった「喧嘩両成敗」で事件を論じること自体がナンセンスであろう。

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12月2日、Abe内閣のiyaiya感が漂う決定があった。退位が決まったらササッと決めるのが国民(私たち)のためなのに、「退位」そのものがiyaだったAbe内閣は、自分の身に降りかかる火の粉をふるうのにも忙しく、宮内庁(天皇側)とのバトルの挙句に、新年でもない、新年度でもない変な時期に退位・即位日を設定した。その日はなんとMay Day! 
天皇の希望を容れた退位なので微妙な問題があり、政府主導なのは基本的に正しいが、ひとりの、自分の生涯を公務のために奉げた(良い悪いは別にして)人に対する尊敬心が欠ける政府の態度を見るのは不愉快だ。高齢の、平和を愛する、清廉な人が余生を穏やかに好きなことをして生きるのは良いことだと思う。その権利は誰にでも等しく与えられて良いと思う。

 

 

天皇退位と憲法問題Cover

 

 

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