秋晴れの暖かい陽射しに学生も大学構内を通る人も、つい空を見上げ、イチョウの落ち葉を愛で、カメラを向けている。学生のTwitterには「ヨコイチらしい季節になった」と書いてあった。

学術情報センター近くの桜やモミジの紅葉も始まりました。

理系研究棟のほうもキレイです!

久しぶりの箱根彫刻の森美術館。快晴・紅葉・アート・American friends、楽しみいっぱいの1日でした。ただ、箱根登山鉄道強羅駅から強羅公演までの(やや)急な坂道を登るときは息が切れそうでした。ふ-ッ!


Henry Moore’s Scuptures
Large Spindle Piece,

今回の担当は彫刻の森美術館の紹介。半分ぐらいをHenry Mooreの紹介にあてた。みんなが熱心に聞いてくれるのがわかった。Yorkshireの炭鉱夫の家の8人兄弟の?番目に生まれ、大変な努力をして作品を生み出したのだった。

 強羅公園へ

なんだか別世界(パンフレットの”Park for upper class”は??だったけど)

 ロープウェイで早雲山駅へ

(資料)

もう政治やその他のことはそっとしておこうと思ったのに、日本学術会議の会員人事に任命見送りでSugaが介入したと知り、びっくり仰天。思わずNews,新聞,ネットに釘づけとなった。Abeの陰険な策略はbySugaだったのか。学問を究めようとする人への尊敬の無さと「敵意」に唖然とする。任命拒否がなかったら何の騒ぎにもならなかったのに思わぬところで馬脚を現したことになり、今頃慌てているはず。これが大問題となることは内閣府はわかっていたはず。法制局職員はヒアリングでしどろもどろだった。(10/2)


任命を「拒否」された東大加藤陽子氏のコメントより

加藤官房長官「総理大臣が法律に基づいて任命を行った」

加藤官房長官は、閣議のあとの記者会見で、「専門領域の業績のみにとらわれない広い視野に立って、総合的、ふかん的観点からの活動を進めていただくため、累次の制度改正がなされてきた。 これを踏まえ、総理大臣の所轄のもとの行政機関である『日本学術会議』について、任命権者である総理大臣が法律に基づいて任命を行った。「これまでは、推薦された人をそのまま認めていたが、今回は、そうではなかったという結果の違いであり、対応してきた姿勢が変わるものではない」、「専門領域での業績にとらわれない広い視野に立って、総合的、ふかん的に科学の向上と発展を図り、行政や産業、国民生活に科学を反映、浸透させることを実行していただくという観点から考えていく。任命する立場に立って、しっかりと精査していくのは当然のことだ」と述べました。そのうえで、記者団が、「人事を見直す考えはあるか」と質問したのに対し、「推薦をしていただいた名簿から プロセスを経て任命させていただいた」と述べました。また、「任命しなかった理由を明らかにすべきではないか」という質問に対し、「当然、お話しできる話には限界がある。その中で、できるかぎりの説明を行っているし、引き続き、行いたい」と述べました。一方、加藤官房長官は、「当然、憲法に書いてある学問の自由は、しっかり保障していかなければ ならない」と述べました。


「任命拒否できる権限」は間違い

 ―官房長官会見では学問の自由については「法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事を通じて一定の監督権を行使するのは法律上可能。その範囲内で行っているので、ただちに学問の自由の侵害にはつながらない」としている。学問を監督しようと言っているが、それが自由の侵害ではないか。もう一つ言うと、ほとんど同じ構造をもっている条文が憲法6条1項にある。天皇の国事行為だ。「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」とある。日本学術会議法では「学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」。主語と述語は入れ替わるが、同じ構造だ。ということは官房長官の言い方だと、国会が指名した人物について天皇が「この者は駄目だから任命しない」と言えることになる。同じ理屈だ。つまり任命権があることを、「任命が拒否できる権限もある」というふうに思うのは間違いなのだ。(松宮)


<早大岡田教諭>「首相は法律知らずインチキ」任命拒否の法学者がそう語る三つの理由

 ◆菅首相や加藤さんは、まったく法律を知らずに発言していますね。インチキにもほどがあります。日本学術会議法の条文を本当に読んでほしい。私の専門の行政法の範囲なので、学者として日本学術会議法を読みました。政権の説明がいかにあり得ないかが、三つの理由からわかります。

 最初に、法律では学術会議は独立して職務を行う組織です。条文に「会議は内閣総理大臣が所轄する」と書いてありますが、総理大臣に監督権はありません。法律の趣旨からいって、候補者を任命するかどうかについて事務を所轄するだけの首相が判断できるわけがありません。加藤さんの「監督権がある」というのは、まったくの素人の考えです。

 次に候補者は学術会議が優れた研究や業績のある科学者を選考し、首相に推薦するものです。学術会議はさまざまな学会とも協力し、1年ほどかけて候補者を選び、組織的に決めた上で首相に推薦します。首相の人事権の裁量の余地はありません。

 最後に、会員が辞職する場合は、日本学術会議の同意を得て初めて辞職できることになっています。加藤さんは、学術会議が首相所轄の行政機関だから任命拒否はできるという考えですが、学術会議はそうではありません。日本国憲法6条は、天皇は国会の指名に基づいて、首相を任命するとしていますが、例えば菅さんは国会から指名があったけど、その段階で違う人に……というわけにはいきませんよね。この場合の「指名」は候補者名を挙げるという意味ですから、学術会議会員についての「推薦」と同じです。

PDF全文

10/5 Sugaが会見でトンチンカンな捻じ曲げ返答


説明せぬ政府 権力行使の強引・恣意性 10/6

 ◆学問の自由という見地からすると、日本学術会議側が新会員を推薦し、それを政府側が自動的に任命するというのは自然なプロセスです。政府は今回、それをものの見事にじゅうりんしているわけで、「非常に粗雑で乱暴なやり方だな」という印象を当初は持っていました。しかしその後の報道で、2016年に既に人事介入の前例があり、18年には法解釈に関して内閣府側から内閣法制局に照会があったことも明らかになりました。学問の自由の侵害に向けて、外堀が知らない間に埋められてきたことが分かり、がくぜんとしています。事態は思っていた以上に深刻だと思います。オタゴ大学の将基面貴巳教授

 ――全文PDF

日本学術会議が推薦した6人の学者の任命を菅総理が見送った問題。政府はこれまで明らかにしていなかった、見送りの根拠とする #内部文書 を公開しました。その内容に、当事者の学者たちは、怒りの声を上げています。 (news23 2020年10月6日放送)

日本学術会議任命拒否問題 2020年10月8日参議院内閣委員会 田村智子議員質疑文字起こし https://note.com/mu0283/n/nd240bb740eb6 

「形式的任命と、この憲法15条との関係どうするかっていうので、法制局の長官の答弁は紹介したんですけれどもね、明らかに、明らかに不適当であると、国民が、国民が納得しなければ、こんな判断つかないことになるんですよ。
じゃ皆さん、6人が任命されなかったことについて、明らかに、この6人が任命されたら、日本学術会議法に違反すると思いますか。日本学術会議法の目的に照らして、日本学術会議がまともな活動ができなくなると、そう説明できる方が、この国会議員の中におられるでしょうか?」

質 疑


Why Nature needs to cover politics now more than ever Oct.6

Science and politics are inseparable — and Nature will be publishing more politics news, comment and primary research in the coming weeks and months.

科学誌『ネイチャー』の社説。ブラジル・ボルソナロ大統領による国立宇宙研究所所長解任とともに、菅首相の学術会議に対する任命拒否問題に言及。 「学術の独立という原則の浸食は、研究と政策立案に重大なリスクをもたらす。人々の健康、環境、社会を危険にさらす」と警告!

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「えらいことをやってきたな」松宮孝明・立命館大教授(刑事法学)10/10

 --任命されなかったことを知った時、どう思いましたか。◆日本学術会議の事務局から電話で伝えられましたが、まず驚きました。まったく予想していなかったので。少し冷静になって思ったのは、「えらいことをやってきたな」と。❗️人事に手をつけてきたのは官邸の人たちでしょう。まず‼️法律が分かっていない。日本学術会議法第7条と17条では、会員の選び方について、学術会議の推薦に基づき内閣総理大臣が任命する、と定めています。‼️推薦に基づかない任命を首相がすることはできません。また推薦された人を任命しない場合は、🔹合理的な理由が必要🔹です。たとえば研究不正など。しかし今回はこれには当たりません。

内田 樹 10/10> 日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命を菅義偉首相が拒否し、その後、菅首相が自身が決裁する段階で6人は除外され99人だったと述べたことに疑問。「首相が『自分が決裁した文書ではすでに6名は排除されていた』と言い出しました。『総合的俯瞰的に見て』たんじゃなかったんですね」。「官僚が勝手に忖度してつくったリストを中身を見もせずに『はんこ』を捺しただけという話に落とし込むつもりなんでしょうか」と推測。「『嘘つきの陰謀家』とみなされるのと『官僚に振り付けされている中身のない神輿』と見なされるのとどちらがいいかという二者択一を迫られて首相は断腸の思いで後者を選んだということでよろしいのでしょうか」。

 <脳科学者の茂木健一郎氏 10/11> 菅総理対学者モンスター」として考察を展開。茂木氏:学者の特性として(1)忘れない、(2)論理的整合性を付けると指摘。官邸が相手にするモンスターとしては一番めんどくさい人達を敵にした。正直、普通に任命しといたほうが良かったのでは?菅さんが敵にすることになった学者というモンスターたちは、忘れないんですよね。学者は忘れないのが仕事。1000年前のことだって丹念に資料を調べて検証する。学者たちは今回の日本学術会議のことをまず忘れないと思う。学者のもうひとつの特性として論理的整合性がある。学者は論理的整合性を付けなかったら仕事にならない。Aというファクト、Bというファクトがあって矛盾があるとなるとしつこく追及する。アインシュタインもそのようにして相対性理論にたどり着いた。今回、菅さんとか官邸の人が名簿を見た見てない理由はある、ないということを言えば言うほど学者の元にデータが集まる。菅さん、官邸が相手にするモンスターとしては一番めんどくさい人達を敵にした。

10/14 ついに出ました長谷部先生の見解: ――研究者による評価を政府が覆したということについては。

 ◆学問の自由の侵害そのものです。菅首相が学術会議は「総合的俯瞰(ふかん)的な観点から活動を」と述べていたが、これはつまり純粋に学問的な論理ではない理由に基づいて活動してもらいたいと言っているに等しい。学術会議を学術会議でないものに変質させようとしている。学術会議が、学問以外の余計なことを考えながら活動すべきだというのは、学問の自由を完全にゆがめるものです。俯瞰的な観点から人事をしたというのも、学問的な理由ではないほかの事情に基づいて人事権を行使したと言っているわけで、「学問の自由を侵害している」と自白したようなものです。

全文テキスト

10/17 <加藤陽子> 学術会議「6人除外」「人文・社会」統制へ触手 

 発足直後の世論調査で6~7割超の支持を得た菅義偉内閣。行政改革やデジタル庁など重要案件が待つ今、なぜわざわざ、日本学術会議の新会員候補名簿から6人を除外して決裁するという批判を浴びるまねをしたのか。目的と手段の点で整合的ではなく見え、政治分析の玄人筋も首をひねる事態となった。(中略)まず、英国の歴史哲学者コリングウッドの定義では、こう説明される。「歴史の闇に埋没した『作者の問い』を発掘すること」だと。換言すれば、歴史上一定の時代に現れたり創られたりした制度・組織・論理が、なぜその時代に現れるのかを考える態度となる。(中略) このたび国は、科学技術政策を刷新したが、最も大切なのは、基礎研究の一層の推進であり、学問の自律的成長以外にない。国民からの負託のない官僚による統制と支配は、国民の幸福を増進しない。2度目の敗戦はご免こうむる。

加藤陽子論説全文

<10/20> 83年国会答弁、内閣府「維持か答えるの困難」強弁 野党ヒアリング: 

日本学術会議が推薦した新会員6人を菅義偉首相が任命しなかった問題で、野党合同ヒアリングが19日、国会内で開かれた。「首相の任命行為は形式的」「推薦していただいたものは拒否しない」などとする1983年の国会での政府答弁について、内閣府は「現在維持されているか答えるのは困難だ」などと述べた。国会答弁の継続性を揺るがしかねない答えに会場はどよめいた。

 岡田正則・早稲田大教授 まず、1983年の国会審議の中曽根総理や政府委員は「総理大臣の任命行為は形式的なものであって、会員の任命を左右するものではない」という答弁を繰り返している。この答弁は現在も維持されているのでよろしいか。

 内閣府 83年の答弁ですので、この時点において適時適切に答弁されたもの。現在維持されているかどうかは、現時点でお答えするのは困難だ。=会場、どよめき= 

奥野氏 当時合議したんでしょ。残ってないのか。法制局 法案審査録の中には、明確な資料は見つかっていない。小西洋之氏 ある。条文の変遷の資料がある。それは資料に該当しないのか?法制局 その存在は存じ上げていますが、それがどういった経緯か分からない。小西氏 日付も全部ついている。なんで経緯が分からないのか?法制局 それを裏付ける議論の中身がつまびらかじゃない。

小西氏 どうつまびらかじゃないのか。参事官のメモもある。今言った資料を出してください。条文の変遷、私持っていますが。

岡田教授 処分行政庁が申請書類を見ることなく拒否処分をしたら違法無効になるので良いですね。

法制局 個別具体的ケースかわからないのでお答えを差し控える。

岡田教授 行政法の初歩の初歩だ。分からないのですか。法制局も公務員も辞めていただく話です。

三酔人借りもの問古賀攻答  by 古賀攻 10/22

中江兆民は架空の酔人を仕立てて明治中期の政談を表情豊かに描いた(「三酔人経綸問答」)。この名著に寄りかかるのはおこがましい限りだが、らちのあかない日本学術会議問題に鑑み、着想を拝借したい。原本の紳士君、豪傑君、南海先生は抗議君擁護君広量先生とさせていただく。

抗議君「人事で物事を動かそうとする菅義偉首相の悪いクセが出た。彼は人事によって政治家の方針が内外に伝わり、組織を引き締めるって自分の本にも書いている。任命する人としない人を区別しておきながら、理由を言わないことでそんたくのわなにはめようとしている。こんな薄暗いムードじゃ学問の自由は息が詰まる」 擁護君「任命されなくても学問はできるでしょ。そんな大げさな言い方をするから、学者が特権的な地位を求めているかのような偏見を一部で生む。首相の権限って最後は人事権だよ。首相が推薦を拒否できないよう新たな法律を作る方が前向きじゃないの」 抗議君「一般の行政公務員と中立・独立性が求められる公務員を一緒にしてはいけない。菅さんは『公務員の選定は国民固有の権利』なんてすり替えていたけど、首相の意のまま一色に染め上げたいわけ? まるで独裁政権だ。検察庁法の改正案であれだけ批判されたのに全然学習していない」

 擁護君「それとこれとは……」 広量先生「まあ、抗議君の話をしまいまで聞こうじゃないか」 抗議君「菅さんは、現在の会員による後任指名が可能だとも言った。これは首相の発言とは思えないほど不正確だ。実際は210人の会員と約2000人の連携会員が各2人を推薦し、分野別の審査会や選考委員会で交代分の105人に絞り込んでいる」 擁護君「でも学術会議は元の推薦数を公表していないよ。しかも任命拒否は4年前に始まっていたのに、その時になぜ声を上げなかったんだろう。学術会議の透明性も問われる。今は戦後の国際秩序の大変動期だよね。戦前の反省も大事だろうけど、あまり硬直的だと国民の共感を得られない」

 抗議君「分かるけど、学術会議が中国に協力しているとかデマが多すぎる。法治国家なんだからルールに基づいて議論してほしい」 広量先生「南海先生は政治家が時と場所をわきまえないことを戒めていたなあ。政府と学術界がいさかうのは世間体が悪いし、国家の損失でもある。ここはまず推薦名簿通りの任命に戻し、その上で学術会議のあり方を議論しないと折り合いがつかんだろう。さあ来週は国会だ」(専門編集委員)

【日本学術会議】任命拒否された4教授らの会見(10月23日 日本外国特派員協会)

菅義偉政権の誕生から、日本型のファシズムを考えた 三島憲一 20201016-26

 安倍晋三が退陣した。本当の理由はよくわからない。モリカケからサクラまで、アベノマスクから電通によるナカヌキまで徹底したウソとゴマカシに貫かれた政権運営の結果だから、表向きの理由もにわかには信じがたい。コロナ対応で無能ぶりが明らかになり、世論の信頼を失ったためだという説も流れている。しかし、無能の人は、自らの無能には気づいていないのが普通だからそうとも思えない。真相は闇の中だ。いずれにしても「安倍政治を許さない!」といっていた人は逆転満塁ホームラン並みに喜んだ。私もささやかにグラスをあげた。だが、2杯目のグラスをあげるにあたってそこにいた4人全員の目に暗い影がさしたのがマスクをしていてもわかった。「わ〜っ、気持ち悪い」「もっと悪くなる」と。新聞辞令の出る前だったが、菅義偉官房長官が後任に予想されたからだ。政界事情には疎い我々でもそのくらいの推測は可能だ。私の推測の根拠は、その晩にも口走ったが、「アベはファシズムのピエロだが、スガは根っからの“ファシスト”だ」というものだ。

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政府からぶつけられた不満  <前会長山極寿一氏が明かす思い> 

   3年前に、私が日本学術会議の会長になった時、前会長から引き継いだのはこの倫理に関わる2つの課題であった。一つは人間の生物学的な資質に係る「生命科学の倫理」、もう一つは社会に係る「軍事的安全保障の倫理」である。前者は2年前に中国で遺伝子編集によるデザイナー・ベビーの誕生を契機に、世界と歩調を合わせてわが国でも急速に倫理規定が制定された。後者はわが国独自の歴史的背景があり、1950年と67年に日本学術会議は科学者が戦争に加担してしまった反省から、「軍事目的のための研究は行わない」という声明を出している。戦後75年にわたって平和を維持してきた日本独自の科学者倫理であり、私が会長になる直前に日本学術会議はこの声明を継承する旨の意思を表明した。   政府はこれが気に入らなかったようで、会長になってから私は度々「政府に協力的でない」と不満を表明されてきた。今回の任命拒否がこれに起因するとは思いたくないし、政府がアカデミアを政府の思い通りに動かそうとしているなら言語道断である。

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蓮舫氏、学術会議の任命拒否問題で菅首相発言に怒り「違法か、と問われているのに『説明できないことある』って…」2020年10月27日

 立憲民主党の蓮舫参院議員が27日、自身のツイッターを更新。日本学術会議の任命拒否問題での菅義偉首相の発言に怒りをあらわにした。26日夜に報道番組に出演した菅首相が学術会議の現会員が後任を推薦できるとする現在の仕組みに改めて懐疑的な考えを示し「結果的に一部の大学に(会員が)偏っている」と主張。「説明できることとできないことがある」とも発言したという記事を貼り付けた蓮舫氏。「いやいや。違法か、と問われているのに『説明できないことある』って…」とあきれたようにつづると、「起案された時点で6人削除されていた推薦名簿を見て『偏ってる』となんで判断?」と続けた。その上で「民間人や若手、地方大学の出身者らを『満遍なく選んで欲しい』って、会議の推薦そのものに口出す法的根拠は?

10/26 SugaのNHKでの発言を聴いて、それよりしゃべってる態度を見て心底嫌な人だと思った。それにしても知性の低さ教養の浅さ(無さ?)が露呈している。”105人選んできたのを政府が追認しろと言われてるんですよ!” ”万遍に中から私は選んでほしいと・・・”って何ヨ、その日本語!

任命拒否、500学会の抗議声明を読んで 津田大介 2020/10/29

 日本学術会議の新会員任命拒否騒動は発覚から1カ月が経過した今も収まる気配がない。「安全保障関連法に反対する学者の会」の調べによると、10月28日現在、約500の学協会がこの件に対する抗議声明を発表している。今回論壇時評を書くにあたり、そのすべてに目を通した。切迫感を持つ強度の高い言葉の塊に「論壇」の理想的な姿を見た。例えば日本科学史学会会長声明(〈1〉)では、科学史の観点で政治と科学者の独立性を巡る綱引きを知ることができる。

<有意義な情報> 10/29


学術会議問題の核心 菅政権が目指す恐るべき「反知性主義的統制」 最注目の政治学者が特別寄稿 白井聡 10月30日 サンデー毎日

菅政権による学術会議会員任命拒否は、強権による思想弾圧につながるのではないか。この問題に政権の「反知性主義的支配」を透視する政治学の俊英が、軍国主義下の思想弾圧の嚆矢であった滝川事件を振り返りながら、全体主義的な統治に抵抗する道を探る――。「考えるな!支配に身をまかせよ!」という権力  いま、学者たちに「滝川事件」の時のような「必死の抵抗」はあるか?「ポイント・オブ・ノー・リターン」という概念がある。私たちが自分たちの国をかつて亡ぼしたとき、一体どこに「ノー・リターン」の時点があったのか、、、

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「~に基づいて」の意義、学術会議の英語教育、大学入試への提言など 11/1

11/8,9の動き

11/10 「ゆとり」がない菅政権が「相手を間違えた」迷走 御厨貴氏が読む任命拒否 ”首相は相手を間違えた。私も学者だから分かるが、「たかが学術会議、されど学術会議」だ。こういう手入れをされればされるほど、学者というものは「絶対反対」と言い続ける。もし政権筋から事前に相談があれば、私は「学術会議に手を突っ込むのはやめるべきだ。こんなことを政権の初めにやったら絶対に傷が付く」とつぶやいただろう。”

宇野重規の「書評」が思い切りかっこいい(11/14)

暴君 シェイクスピアの政治学 [著]スティーブン・グリーンブラット

 「混乱の時代に頭角を現し、最も卑しい本能に訴え、同時代人の深い不安を利用する人物」、それが暴君だ。「統治者としてふさわしくない指導者、危険なまでに衝動的で、邪悪なまでに狡猾で、真実を踏みにじるような人物」であるにもかかわらず、国全体がそのような暴君の手に落ちてしまう。暴君はあからさまな嘘をつくが、いくら反論されても押し通し、最後は人々もそれを受け入れてしまう。ナルシシストである暴君は法を憎み、法を破ることに喜びを感じる。・・・本書を読むものは、どうにも生々しく感じられ、私たちの生きている現代世界を反映したものとしか思えないのではないか。


久しぶりの浄智寺。シュウメイギクを見に行きました。ちょうど見ごろでした。

新しいカメラの接写をテスト

白のシュウメイギク・・特別キレイ

秋だ!前回白いシュウメイギクを見たのが2011年だったなんて!!

浄智寺の秋・秋明菊 2011

東慶寺と浄智寺:晩秋, 2016

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「あの時」の金沢文庫1964 のポスターに惹かれて行ってみました。

[

大学入った年だと思うけど、日本史の友人だから2年の時かな?称名寺で写真を撮ってもらったことがあった。称名寺に行くとちょっとだけその時のことを思い出す。一緒に歌を歌ったこともあった。大学祭の、体育館で。2曲ぐらい歌ったけど何を歌ったかは思い出せない。

  金沢文庫へ

下の3枚の写真;解説
下の4枚の写真;解説

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久しぶりのコンサート in Tokyo オペラシティ・タケミツメモリアルホール。「こんな舞台だったかしら?」の感じだった。席は一人置き、ゆったり。隣の人がいないのは快適!前に人がいて邪魔!もない。こんなことに感激している場合じゃない。バッハの緻密な楽曲と、BCJの一分の隙もない完璧なつくりの音楽。加来さんのバス・ソロ、それに今日は西村さんのテノールが素晴らしかった。Sanctusが一番良かった。

今日は、席が後部から5列目ぐらいだったので迫力がいまひとつ伝わらなかった。今度はS席にしたい!

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時間があったのでちょっとドライブ。並木の湾岸道路沿いの森を少しだけ歩こうと思ったけど雨が降ってきたので中断。それでも、素晴らしい遊歩道の眺めだった。

長浜ホールが並木中学のすぐ近くだとは??

10年ほど続けている英語のクラスで取り上げ、話をした。きっかけは朝日新聞小野正嗣の文芸時評を読んだから。小川洋子の記憶と文学の関係についてはカズオ・イシグロと通じるものがある、というかほとんど同じだ。小川さんの8ヒロシマの記憶に関するメモはその内容はもとより文章が美しい。NYTの英訳にはもどかしさを感じたけど「文化の違いだから・・・」。書評の小野正嗣の文章も美しい!


How We Retain the Memory of Japan’s Atomic Bombings: Books

Literature is a refuge we turn to when we are forced to confront/ contradictions that lie beyond reason, writes the Japanese novelist Yoko Ogawa.

The atomic bombing of Hiroshima occurred on Aug. 6. The bombing of Nagasaki on Aug. 9. The announcement of surrender came on the 15th. In Japan, August is the time when we remember the dead.

This year, the 75th anniversary of the atomic bombings would have been observed during the Tokyo Olympics. But the Games were postponed because of the spread of the novel coronavirus, and we will be left instead to offer our prayers for the dead in an atmosphere of unexpected calm.

But, in fact, this tiny box contained something more important: the innocence of a young boy who had been full of anticipation for his simple lunch, and his mother’s love. Even when the last victim of the atomic bomb has passed away and this lunchbox is no more than a petrified relic, as long as there is still someone to hear the voice concealed within it, this memory will survive. The voices of the dead are eternal, because human beings possess the small boat — the language of literature — to carry them to the future.

  死者の声を運ぶ小舟

1964年の東京オリンピック大会で聖火の最終ランナーを務めたのは、19歳の、無名の陸上選手だった。その青年は、原爆投下の当日、広島で生を受けていた。真っ白いランニングシャツと短パンを身に着け、聖火台に続く長い階段を駆け上がる彼の姿は、実に清潔で、均整がとれ、全身に若々しさが満ちあふれていた。この映像を目にするたび、敗戦からわずか19年で、世界中の人々が集まるスポーツの祭典が日本で催された、という現実に驚かされる。人類が経験したことのない徹底的な破壊の中から誕生した、一人の生命が、炎をなびかせながら、一段一段、火を運んでゆく。最終聖火ランナー選出の裏に、政治的な意図が入り乱れていたとしても、広島で生まれた19歳の青年が放つ生命力には、何のごまかしもなかった。

今、私の手元に、広島平和記念資料館の収蔵品を撮影した写真集『Hiroshima Collection』(撮影土田ヒロミ)がある。中学1年生、折免滋(おりめんしげる)君の弁当箱と水筒の写真を見つめている。滋君は動員学徒として作業中に、爆心地から500メートルで被爆。川の土手に積み重ねられた遺体のカバンから、お母さんがこれを発見した。「今日は大豆ご飯だから、昼飯が楽しみだ」と言って出かけたという。弁当箱は歪み、蓋には穴が開き、中身は真っ黒に炭化している。

この小さな箱には、息子を思う母親の愛情と、質素な大豆ご飯を楽しみにしていた少年の無邪気さが詰まっている。たとえ原爆の体験者が一人もいなくなっても、弁当箱が朽ちて化石になっても、小さな箱に潜む声を聴き取ろうとする者がいる限り、記憶は途絶えない。死者の声は永遠であり、人間はそれを運ぶための小舟、つまり文学の言葉を持っているのだから。


ここから急にカズオ・イシグロになるかは??(単に好きだから、書き留めておきたいから・・・)

in 2018

The full text of Nobel Prize-winning British novelist Kazuo Ishiguro’s message for Sunday’s 75th anniversary of the atomic bombing in Nagasaki (2020/8/9)

This is the anniversary of a terrible event. But this milestone also marks seventy five years during which time there has been no repeat of what was inflicted on the people of Nagasaki that day. My mother, then a teenager in the city, was able to go on to enjoy a long peaceful life. So this is an anniversary that brings triumph and hope, as well as horror and sadness.

Let us not forget how fragile our civilization remains. And in our current, troubled times, let us not forget the importance of the international cooperation and understanding that has brought us safely through these years. Let us remember the huge dangers that continue to threaten us, and the supreme value of human life.