”新緑にうたう”コンサート、旭区サン・ハートにて(観客60名??)

 

 

 当日の公式(?)写真はこちら 
   
3回目のソロ演奏が無事済んだ。前日までの喉の不調で昨年秋の二の舞かと落ち込んでいたが、訓練の賜物か、当日は思いがけずよく声が出て驚いた。Kumiの一家がみんなで来てくれるのも励みになった。舞台でSarahと私にそれぞれMariとKumiからブーケをもらえて大満足!Kazuちゃんに、本番に強いのは「私とKen?」と書いたら「Yohtaも」とコメントが届いた。
先生からも「本番大成功で本当におめでとうございました。良かったですね!たった2年くらいしかレッスンした方とは思えないくらいです。」とのメールを受け取り、ほっとした。
Sarahも” I was soooooooooooooo happy to sing with you yesterday.”と。こんなに喜んでいたとは知らず予想外! うれしい日になった。
Handsome Cameraman!

珍しい出会い

もらったお花を飾りました
映像 Caro mio ben  映像 Santa Lucia

こちらはリハーサルの時の歌声

サラと。(Caro mio ben,  Santa Lucia)

 

♫ うたいたい歌cover

Top Pageへ

湾(うみ)を見て 歌うひととき 楽しけり
  Akemi ‘18.4.28
みとせ(3年)経て ハイC響き 夢ふくらむ
     Kumi  ‘18.4.29
あの頃と 娘が交差 バレエ教室
 
泣きわめく 子らの響きは いつの頃
 
休日も 朝6時起き 子を送る(Simon 野球)
 
学ぶ意味 月日のあとの喜びは まだ娘には 伝わらざりけり

 5/3 Bay Quaterで遊んでから横浜港クルーズ、赤レンガ倉庫地区での港まつりを楽しみました。次の日は、野島公園での釣りと潮干狩り、夜は娘の孫と一緒に恒例の(!?)しりとりをして笑いながら眠りにつく、楽しい時間でした。
 5/5までの短い時間でしたが、少しづつ確実に成長する孫たちをみる幸せ。「あははは…」と楽しそうに笑う声の輝かしさ、この子たちの未来が明るいことを祈るばかり。
     
     
 Bay Bridge
 
おすましMarie
 赤煉瓦倉庫地区で(ドイツの春祭りでした)
ムール貝を選択したのはSimon
     
 
 突然スキップするSimon(意味不明・笑)
 
     
     
 MM21夜景 
 
 officeの明かりがないのは連休のため
 横浜の我が家
   
 野島公園で釣りに挑戦!フグが1匹    
     
 
この動作、どう?
 
   
後ろ姿もキュート!
   
 バターチキンセット
 Top Pageへ

 

1年ほど改修工事で閉まっていた大船フラワーセンター。4月に再開、期待していってみたけど、チョット、ウーンがっかりかな?予算削減で閉園の危機もあったので、継続されただけでもいいとしましょう。
ただし、バラ園は以前よりも◎、牡丹、芍薬園はなんだか「テーマパーク」風で風情がない。芝生は良く養生され子供たちに〇、スロープなどの施設面も〇、駐車場も拡張され〇。全体としてはまあまあかな?料金は50円のアップ。全体としては、今後に期待ということで Good! We need it!
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
 Ebine
 
 Tochinoki
 
     
 Green House    
     
 Peony Garden    
     
     
 Ryuho-ji Temple
     
     
     
 
 新井白石の碑
 
 Top Pageへ

ナポリ民謡で歌いたいのは「恋する兵士」最初はテレビでイタリアの「新」三大テノールの公演で。スコラが歌った。videoに撮ったのに昔の鎌倉の家で失くした。YouTube で探しても見つからない。
オペラ歌手も歌うけど、最も感動的なのは戦地から負傷して帰還した兵士を見て舞台衣装をはぎ取り歌う女性歌手ANNA MAGNANIのファドのような歌

Andrea Bocelli

 

‘O surdato ‘nnammurato 恋する兵士

POSTED BY FEDERICA BOZZA ON SETTEMBRE – 13 – 2012

Staje luntana da stu core
あなたはは遠く離れて私の心から
e a te volo cu’ ‘o penziero:
私の思念はあなたです
niente voglio e niente spero ca tenerte sempe affianco a me!
あなたがそばにいるだけで幸せです
Si’ sicura ‘e chist’ammore
私の愛を信じるのでしょうか
comm’i’ so’ sicuro ‘e te…
私があなたの愛を信じるように
Oje vita, oje vita mia,
生活、私の生活、
oje core ‘e chistu core,
私の心の心
si’ stata ‘o primm’ ammore:
最初の愛でした
‘o primmo e ll’ultimo sarraje pe’ me!
私の最初で最後の愛ですよ
Quanta notte nun te veco,
夜はもうあなたに会っていません
nun te sento int’a sti braccia,
私の腕のなかであなたを感じることができません
nun te vaso chesta faccia,
きすをあげたい
nun t’astregno forte mbraccia a me?
あなたに抱きすくめられたい
Ma scetànnome ‘a sti suonne,
だが起きて
mme faje chiagnere pe’ te…
泣きはじめる
Oje vita, oje vita mia,
生活、私の生活、
oje core ‘e chistu core,
私の心の心
si’ stata ‘o primm’ ammore:
最初の愛でした
o primmo e ll’ultimo sarraje pe’ me!
私の最初で最後の愛ですよ
Scrive sempe ‘e sta’ cuntenta.
あなたは嬉しそうに書きている
io nun penzo che a te sola:
私の想いにはあなたしかいません
nu penziero mme cunzola;
私を慰めることは
ca tu pienze sulamente a me…
あなたは私のことを時々思い出してくれるのです
‘A cchiù bella ‘e tutt”e belle
美人の一番美しい
nun è maje cchiù bella ‘e te
あなたほど美しくはありません
Oje vita, oje vita mia,
生活、私の生活、
oje core ‘e chistu core,
私の心の心
si’ stata ‘o primm’ ammore:
最初の愛でした
‘o primmo e ll’ultimo sarraje pe’ me!
私の最初で最後の愛ですよ

 ナポリ民謡は名曲がいっぱい

カルーソー

Santa Lucia Luntano

Marechiare (Giuseppe Cinà – F.P. Tosti)

”In my country, South Sudan” was a phrase he always put on the top of his speech, comment and presentation in the PRDU class, University of York. He went back to his home country and served to his country as an officer, politician. He, my friend Anthony Makana became a Speaker of the South Sudan’s interim Government. We have been talking mainly on SNS site.

I wonder how to start his words now in South Sudan! I shall ask.

南スーダンで活動する陸上自衛隊の部隊


東洋経済の記事(2018.1) こちらの記事全文

自衛隊撤退後の南スーダンで起きていること

避難民「家に戻ったらまた襲撃されるかも」

「いつ自分が殺されるかわからない」

:現地では、いわゆる内戦状態が続いているんですよね。
今井:2013年の12月からずっと内戦が続いています。一旦2015年に和平合意になったのですが、2016年に再び内戦状態になっています。ただ、最近、2017年12月に停戦合意のようなものが結ばれ、クリスマスから新年にかけては比較的静かな年越しを迎えたようです。
:内戦が激化していた頃は住民に対する虐殺とも言える行為が行われていましたよね。
今井:私が直接聞いた避難民の話があります。その方はジュバから100キロ程離れた村から避難してきた方なのですが、村の中では子どもたちがまるで鶏を殺すようにどんどん殺されていたという話でした。武装した政府軍や民兵、反政府勢力、武装勢力などが村々を襲撃し、子どもやお年寄りを無差別に殺害し、家には火をつけ、女性はレイプし殺害するという行為が行われていました。
:そういう方々が家を追われ、地域を追われ、難民として避難生活を余儀なくされてきたわけですよね。食料も足りなければ、医薬品も不足、着るものなども入手するのが大変だった、そういう部分を今井さんたち、JVCが現地でサポートを続けてきたわけですね。実際には何故そこまで対立が深まってしまったのでしょうか? 政府軍、反政府組織、民兵、武装勢力、それぞれにどのような利害関係の不一致があって対立していったのか背景を教えてください。
今井:新聞など一般の報道では「民族対立」と言われていますが、実際に現地の友人などから聞いた話では、「民族対立というのは紛争の原因というよりも結果だ」と言っていました。私はこの対立は、「政府の中のグループ同士の利権争い」だと思います。この国ではもともと石油が取れますし、援助も含めこの国にはさまざまなお金が国に入ってきます。それらを巡って、政治家同士が利権の取り合いをし、いくつかのグループに分かれて政治闘争をしてきたのですが、そのグループ同士の対立が深まり衝突をしてしまったと。そのグループというのは比較的表面上民族別に分かれていました。しかし、必ずしも同じ民族同士というわけでもないんです。別のグループにその民族出身者が入っていたりと入り組んだ状況でもあったのですが、大まかには民族別に分かれていて、戦闘が始まると民族同士の対立感情がますますエスカレートしていくという結果になり、単に民族が違うからと襲撃して殺し合うという事態も起きたりしたんです。
:首都のジュバやその近郊では高い緊張が続く中、今井さんは現地での支援活動にも入られていましたよね。
今井:私は安全上のこともあって首都ジュバにしかいないのですが、ジュバの中でも人々が非常に恐れていましたよね。政府の中でちょっとした内部抗争があって事件が起きると、住民の方で逃げられる方は逃げたり、街中では扉が閉められ人っ子一人いなくなったりしました。民族虐殺のような事態になって、いつ自分が殺されるかわからないという不安を抱えていますね。

Top Pageへ