特例法による天皇退位に、憲法上の問題はないのか?

<朝日新聞>

上の記事を参考にしながら、今後の動きをチェックすることにした。


<毎日新聞>

シリーズ・退位 国会対応まとまる

 

違憲の疑義、避けるべきだ 

木村草太・首都大東京教授 

 衆参両院の正副議長の見解は、皇室典範の付則に特例法と皇室典範は一体であると書き込むとしている。実質的な内容は国会の議決で退位できるという皇室典範改正になっているので、屋上屋を架しているという印象を受ける。

 特例法では、天皇陛下が退位するとしか規定されないだろう。それでは、退位の理由が明確にならず、将来、強制的な退位や恣意(しい)的な皇位の継承を招く可能性がある。高齢で、執務が困難になってきているという今回の事情は、他の天皇にも生じ得る話だ。法は、同じ状況にある者に公平に適用されるべきであり、一代限りの特例法は好ましい選択肢ではない。

 憲法2条は「皇位は皇室典範の定めるところにより継承する」と定めている。この文言を理由に、皇室典範に基づかない退位は憲法2条違反と考える専門家もいる。私自身は特例法による対応が許される場合もあると考えるが、違憲の疑義が生じる皇位の継承は避けるべきだし、今回あえて特例法にする必要がない。

  特例法を作るのと皇室典範改正をするのに要する時間は、ほとんど変わらないだろう。特例法を作る場合に退位を認める理由を考えることと、皇室典範を改正する場合に、退位の基準を考えることは作業としてほぼ同じなので、特例法の方が迅速なわけではない。さらに、天皇や皇族は、皇室典範の決定に関与する資格がないうえ、人権もかなり制約されている。内閣や国会は、将来の天皇に過度な負担をかけないよう、できるだけその人権に配慮する責任がある。

 現在の皇室には、皇位継承資格者があまりにも少ない。見解は女性宮家の創設などについて触れているが、皇位の安定的継承を考えるのであれば、退位を認めるのと同時に、女性・女系天皇を認めるべきだろう。約70年前に皇籍離脱した人を、男系であるという理由で皇族に戻したとしても、天皇としての正統性を獲得できるかと言うと、相当難しい。退位と同時に女性・女系天皇を認めるかどうかの結論を出した方がいい。皇太子殿下が天皇に即位する時点で、長女の愛子さまの地位が定まっていることが、理想的だ。女性・女系天皇の議論は相当熟していると思われるから、先送りするなら相当の理由を示す必要がある。どうしても無理なら、退位と女性・女系天皇などを2段階に分けて検討する可能性もあろう。

 象徴天皇制については、憲法4条で「国政に関する権能を有しない」と定めている。天皇は個人的に政治的見解を表明したり、政府の法案に反対したりできない。天皇の公的行為については、政治的権能でない範囲で行われる。その時の内閣が責任を持って、公的行為はどの範囲で行うのかを天皇と相談して考えていくべきだと思う。

 次の天皇が天皇陛下のように積極的に被災地訪問などをすべきだと考えることもあり得るし、軽々しく外に出て行くべきではないと考えて、ほとんど公的行為をしなくなることもあり得る。象徴天皇のあり方は一つではないので、それぞれの天皇で、公的行為についての考え方が違って当然だと思う。【聞き手・南恵太】

国論の分裂、強めない意義 井上寿一・学習院大学長

   井上寿一・学習院大学長

 一代限りの特例法で退位という今回の結論は、事態の緊急性と長寿社会化の進展という条件を考慮すればやむを得ない。与野党が大筋合意したことは、皇位継承に関する問題で国論を二分した前例を作らなかった点で、評価できる。

 ただし、天皇と前天皇が同時にいると、いわば「権威の二重化」が生じやすくなる。また、このままだと、同じ事態は将来も起きるだろう。今回は緊急で議論の方法も他になかったが、これから、全国民が当事者意識を持てる形で、皇位の安定的な継承の方法、さらに、今の時代にふさわしい象徴天皇制のあり方について議論を深めなければならない。

 天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議のヒアリングで、もっとも説得力があったのは、笠原英彦・慶応大教授の「天皇と前天皇が共存すると国民の混乱を招きかねず、憲法が定める象徴としての国民統合の機能が低下するおそれがある」という意見だった。

 その笠原教授も、天皇が国事行為をできなくなった場合に摂政を置く可能性は否定しなかった。摂政が置かれる期間が長期化しても権威の二重化が起きないようにする方策は、具体的に示せなかった。そうであれば、結局のところ、今の陛下が否定されている摂政よりは、退位の方がまだよいと言わざるを得ない。

 陛下が摂政を置くことに否定的なのは、大正時代の前例があるからではなかろうか。大正は、デモクラシーと協調外交の平和な時代として振り返られがちだが、大正天皇は病弱で、大正10(1921)年に裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政となる直前、皇室を巡る大きな問題が二つも起きた。

 一つ目は、裕仁親王と久邇宮良子(くにのみやながこ)女王(後の香淳皇后)の結婚に元老の山県有朋らが反対した。この件は、「宮中某重大事件」として新聞で報道されて、国民を巻き込んだ大問題になった。もう一つ、山県が推進した裕仁親王の訪欧に貞明皇后らが反対した。

 大正天皇が健康であれば、どちらも天皇の差配で事態はすぐ収拾しただろう。今の陛下は、昭和天皇から直接、大正時代の話を聞いて、「健康で判断力がある天皇がいないと皇室は安定せず、国民も動揺する」と教わられたのではないかと想像する。

 今回は、「陛下は安倍晋三首相に抗議して退位される」などと解釈する人もいた。この解釈は、悪く言えば、国論を二分する問題の道具に皇室を使う「天皇の政治利用」だ。国会が大筋まとまったのは、国論の分裂をこれ以上強めない意義がある。

 戦後、今の皇室制度になった当初から、皇位の安定的な継承が難しくなる可能性は分かっていたはずである。それなのに陛下ご自身にテレビでお話しいただくことになったのは、戦後歴代内閣の責任だ。しかも、そのテレビの視聴率が特別に高いとは言い難かった。

 課題は、権威の二重化を避ける方策や同じ問題が起きた際への対応に限らない。皇室典範改正などだけで答えが出ない、これからの時代にふさわしい象徴天皇制のあり方を、国民全体で深く考えてゆくべきだ。【聞き手・鈴木英生】

特例法を先例に要件作りを 高橋和之・東京大名誉教授

 
高橋和之・東京大名誉教授 

 憲法上天皇の退位は禁止されておらず、退位を認めるために皇室典範を改正することも、特例法を定めて対応することも許容されている。どちらを選ぶかは政策判断だ。ただ、典範改正にあたり退位の要件を定めるのは相当難しく、先例を重ねて、法文を考える方がうまくいくのではないだろうか。

 皇位継承は「皇室典範の定めるところによる」と憲法2条に書いてある。憲法が制定された当時、皇室典範がどう理解されていたかというと、「国会が議決する」としたところに力点はあった。国会が決める法律で定めるということだ。明治憲法下の皇室典範は憲法と対等な地位にある独自の法規範で、議会の関与が及ばなかった。現憲法は、皇室典範自体に重きを置いたものではないという解釈が成り立つだろう。それでも憲法に典範と書いているから尊重するというなら、典範の本則に書いてもよい。だが、本則に書かないから違憲とまで考える必要はない。

 退位が政治的な意味を持たないようにしなければいけない。憲法上、象徴としての天皇が行う行為は国事行為のみと理解すべきである。それ以外の行為も許されてはいるが、それができないことを理由に退位の制度を作れば象徴天皇制の理解を変えることになる。

 今の天皇陛下は、象徴としての天皇が憲法上どういう形で存在し得るかを、長年考えてこられた。そして国民に寄り添うという結論に到達したのだろう。だが、被災地の慰問や戦地の慰霊などの公的行為は法的な義務ではない。陛下の真心によるものだ。公的行為の範囲は明確でないし、状況が変われば違う形になることもあろう。

 退位を検討する際、天皇の意向を知る必要はある。だが、「退位は天皇の申し入れに基づく」などと曖昧にすると、天皇は「国政に関する権能を有しない」という憲法4条との問題が出てくる。いつでも退位を申し出られるように読め、政治利用されやすいからだ。「80歳になれば、天皇は退位を申し出ることができる。申し出を受け、国会で議論し決定する」と書けば中立的かもしれない。それでも将来、米国のように年齢差別が問題になる可能性はある。

 法のありようには二つの大きな考え方がある。一つは、最初から法律で定めるヨーロッパの大陸法的な法思想だ。もう一つの英米法は、先例を積み重ねる中で次第にルールを形成する。大陸法の考え方では、後は法律を適用するだけだから政治的問題になりにくい。しかし、その時点で先を見通した法律を作るのは容易ではない。今回の対応はいずれにしろ先例になる。先例を巡る議論を重ねる中から、国民が納得できる要件が固まってくるのではないか。その都度国会で議論して認めるかどうかの結論を出す方が、天皇の地位は「国民の総意に基づく」という憲法に合うとみることもできる。

 最後に、議会外で各党の意見を集約するやり方は、あまり好ましくないことを指摘しておきたい。国民に開かれた本会議で扱うべきだからだ。皇位の安定継承に向けた検討は、今後も国民の後押しがないと進まないだろう。【聞き手・岸俊光】


特例法と典範は一体

 衆参正副議長の見解は、特例法の名称を「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」と定め、典範付則に特例法と典範は一体と明記するよう求めている。これにより、皇位継承は典範によるとした憲法2条に違反するとの疑いを免れ、退位は例外的な措置で、かつ将来の先例になるとした。また、女性宮家創設など安定的な皇位継承について、政府に速やかな検討を求め、結論時期について付帯決議に盛り込むよう各党の合意を促している。

 毎日新聞

 


 


(3/21) 東京新聞では?

 

 

 

 

 

 


 

天皇退位と憲法問題cover

 

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何かはじまるといいなぁ!!(3/18)


In Oxford we have a wonderful museum called the Ashmolean which has a very fine Japanese collection. I was greatly privileged to attend a private viewing of this with numerous Japanese friends (mostly from *** University) around 12 years ago.
I would love to help stimulate cooperation between the Y*** M*** of Art and the Ashmolean and wanted to see if this is potentially of interest for you.
I will be meeting the head of the Japan collection in the coming few weeks and will have a clearer idea of their interest at that stage, however I understand among other things they are arranging a special Japan exhibition here to coincide with the Tokyo Olympics.
That may provide an opportunity to work together. I believe also they are considering putting that exhibition on tour and again there may be something of mutual interest in jointly arranging such touring exhibitions.
I am also aware that the Ashmolean had limited display space at the museum here (paradoxically it was reduced following a major expansion and refurbishment of the museum). I am not sure whether that is a solvable matter or not but I will learn more when I meet the museum soon.
It would be for me a matter of great pride if I can help to facilitate a relationship between you and the Ashmolean and if it is of interest to you I really hope to work with you on this.

Ashmolean Main Page 

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PaavoさんのTwitterにあったN響ヨーロッパ公演の総評:

NHK SYMPHONY ORCHESTRA AND PAAVO JÄRVI LEAVE EUROPE “THRILLED” AND WANTING MORE

16 March 2017
http://www.harrisonparrott.com/news/nhk-symphony-orchestra-and-paavo-jarvi-leave-europe-thrilled-and-wanting-more

The extensive European tour undertaken by NHK Symphony Orchestra and led by conductor Paavo Järvi left Europe wanting more: “thrilling: fabulously disciplined, crisp and purposeful, and yet also expressive…” (The Guardian)

The tour kicked off on 28 February in Berlin, where the orchestra performed for their first time after 11 years and set the tone for a spectacular tour. Die Welt lauded the performance: “Paavo Järvi, from his clearly accentuated opening (of Mahler Symphony No.6), took his fiercely engaged orchestra with vehemence out of the comfort zone…with Järvi the work is disciplined, with fine articulation and a soft, yet structured, sound which leads us through melancholic marches”. Tagespiegel confirmed the success: “since technical mastery is crucial to the music of Mahler, one can be astonished at the excellent percussion and clearly staggered sound spaces.”

The next destination was the sold out Luxembourg Philharmonie, where on 1 March “Paavo Järvi seduced with the nobility of his style, the beauty of the counter-songs and the sobriety of the dramatism (in Sibelius’ Violin Concerto)…Our Japanese musicians offered the Shostakovian message more in its threatening universality, its abstract fury […] in favour of a sonorous culture which, without being aesthetic, largely banished the confusion and panic of the music’s confession.” (Luxembourg Wort)

Another sold out performance followed on 2 March at Philharmonie de Paris. NHK SO was described by Le Club des Critiques, Radio France as an orchestra with “a very warm tone and, at the same time, an almost brutal attention which is also fascinating to witness in the Sibelius Violin Concerto with Janine Jansen”. “Shostakovich’s 10th in the second half was performed to perfection”.

“This is an extremely impressive orchestra…with an extraordinary warmth and expressive strings”.

Diapason viewed the performance as “an unmistakably convincing marriage”, as “the musicians of the NHK aim for crudity and realism, and their radical spontaneity gives the impression of a young orchestra, with the mastery of experienced training”.

Next on the tour was Amsterdam on 4 March, where “the NHK Symphony Orchestra Tokyo surprised with a blazing virtuosity in Shostakovich. Chief conductor Paavo Järvi smuggles the Japanese into the top league…the triumph of a dream team…” (Der Volkskrant)

Returning on 6 March to Royal Festival Hall, Southbank Centre, London, after 23 years, the expectations were high, and they were met and surpassed, with brilliant press reviews. “This visit by Tokyo’s NHK Symphony Orchestra and its chief conductor, Paavo Järvi, was a rare UK showcase for an ensemble on bristlingly good form”. (The Guardian)

The Times described the finale: “in the life-and-death tumult of the finale, where a flamboyant percussionist turned the two ear-splitting hammer-strokes into a new form of martial art – the direct, almost violent clash of opposites really paid off. The ending was stunningly dramatic”.

The last two concerts took place at Wiener Konzerthaus on 7 March and Cologne Philharmonie on 8 March.

The sold out Vienna performance was described in Der Standard as “radiant music of anxiety”, “an unvarnished performance – with intensity and without sentiment.”, while Kronen Zeitung concluded that “the NHK Symphony Orchestra Tokyo performs with precision and that seeming lightness and elegance that its Chief Conductor, Paavo Järvi, is so fond of”.

The tour concluded in Cologne with long applause and standing ovations after “the exceptionally precise, profoundly strong and almost boundless breadth of the Japanese elite orchestra’s playing”. (Kölnische Rundschau).

NHK Symphony Orchestra has taken Europe by storm and everyone is talking about it.


私が書き溜めた「ヨーロッパ公演」

NHK交響楽団ヨーロッパ・ツアー ’17

「ロンドン公演」

N響ヨーロッパツアー、ロンドン


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先日、教育勅語を今でも信奉する人は日本古来の神道を信ずる人が多く、「教育勅語は儒教なので水と油」(姜尚中氏)の評をみて”そうだ!”と思ったが、コトはそう簡単ではなかった。勉強が足りなかった。
姜尚中さん「教育勅語というものは本来、日本の神道とは水と油でこれは基本は儒教。もっとも中国的なことで、理解していないのが滑稽。多くの人が日本本来の伝統と勘違いをしているが、そういう点では彼らは愛国無罪と言いたいのだろうが愛国有罪になりかねない」

 「近代天皇論」ー「神聖」か、「象徴」か <片山 杜秀,  島薗 進 著> より
S: 後期水戸学の思想を江戸の宗教史のなかに位置づけると、それは神仏習合から神儒習合への転換の流れに入ってくるもの。
 江戸初期のキリシタン禁圧後、住民は(キリシタンではないことを証明するために)仏教寺院に所属し戸籍登録に相当することをしなくてはいけなくなる。次第に武士層の中に儒教、特に朱子学が広まっていく。禅を経由して儒教を学ぶという経過をとる。
 禅ももとは統合体制の権威の源泉という側面をもっていたが、修行に励む禅僧を見ているとどうしても個人主義的に見えてしまう。そこに違和感を覚え、人間関係を重視する儒教の中で、道義的な修養を求めるようになる。

K: 仏教は統治の学問にはならないということか。

S: もともと仏教は正しい社会秩序の根本理念、すなわち「正法」を提示するものと考えられていた。日蓮などに顕著。しかし、宋学と呼ばれる新しい儒学が興隆する東アジアの大きな変化の潮流を受けて、信長以来、社会理念の提示者としての仏教の機能を抑えたとみることができる。それを受けて、儒教の立場から仏教を批判するような潮流が江戸の早い時期から出てくる。

 その後、儒教が神道化していく。その代表が。山崎闇斎の提唱した垂加神道。儒学と神道を統合して、天と人との一体性が強調される。ここから儒教的な尊王愛国がひとつの思想として発展していく。

K: つまり、神儒習合という流れと、仏教軽視の流れが並行して起こっていくと。

S: はい、民衆の信仰もある局面では神道に傾いていくようになる。お伊勢参りもそう。もともとは仏教との結びつきが強い山岳信仰が次第に土地の神の性格を強め神格化していく。一部の山岳信仰など、仏教的要素が後退していく傾向が広がる。富士信仰、御嶽信仰などがその代表例。

 そのような流れで、江戸中期以降、仏教も儒教も外来のまがいものだと否定して、日本固有のやまとごころを明らかにしようとする国学という思想潮流が強まっていく。

K: 江戸期の思想というのは、いろいろな潮流が並行しているのでなかなか整理しにくい。儒教であれ、民衆の信仰であれ、仏教の影響や存在感が弱まっていくとみてよいか。

S: ひとつの見方として有効。儒学者が仏教は家族を大事にしないと批判したり、国学者が仏教はこの世の秩序をないがしろにしていると批判したりしている。

   しかし、さらに巨視的に見ると東アジアの仏教文化圏」というのは大乗仏教と儒教が組み合わさって支え合いながら緊張関係にある。つまり文明理念の構造が二元的。対照的に一元的なのが中世ヨーロッパやイスラム圏。

 ところが東アジアでは、世俗のトップが仏教に熱中することはあっても仏教とは別に王権の神聖化を司る儀礼や理念がある。基本的には儒教で、日本の場合はそこに神道も入ってくる。

 


これを書いたすぐあと、Twitterで島薗さんのretweetがあり、著者二人の対談がYouTubeにあることが判明!
『近代天皇論—「神聖」か、「象徴」か』刊行記念 トークイベント
「教育勅語」が前提とする神話的国体論が日本を破滅に導いいた。「失敗の本質」をどこに見るか。


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(国会見解)「衆参両院の正副議長は13日、天皇陛下の退位に関する法整備を巡り各党と個別に会談した。与党は退位を実現する特別立法「天皇陛下の退位等に関する皇室典範特例法」(仮称、特例法)の案を示し、民進党は大筋で容認する意向を表明した。正副議長は15日に合意案を提示し、17日の全体会議で正式合意する。退位の特例法は今国会で成立する見通しになった。」
「退位と皇位継承について特例法で規定し、皇室典範の付則に特例法と典範の関係を「一体をなす」との規定を置く。女性宮家創設などの安定的な皇位継承について政府に速やかな検討を求め、結論時期についても付帯決議に盛り込むよう各党の合意を促した。」

Copyright 毎日新聞


1 はじめに--立法府の主体的な取り組みの必要性
 「天皇の退位等」に関する問題を議論するに当たって、各党・各会派は、象徴天皇制を定める日本国憲法を基本として、国民代表機関たる立法府の主体的な取り組みが必要であるとの認識で一致し、我々4者に対し、「立法府の総意」をとりまとめるべく、ご下命をいただいた。
2 天皇陛下の「おことば」及び退位・皇位継承の安定性に関する共通認識・・・・・

 

天皇退位と憲法Cover

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これから何年歌えるかわからないけど、うたうのが好き。小さいころから好きだった。これからも、練習するために、少しずつ歌えそうな歌を探して、自分のアルバムにしようと思う。

オペラ大辞典

楽譜購入(UK) Presto Music
Sheet Music2pring.com (U.S.)
おけら歌集(すみれ会用)

♪ O tannenbaum ♪

♪Das Veilchen ♪

♪ Sehnsucht nach dem Frühling ♪

♪ O Holy Night

♪ Als die Alte Mutter

♪ An die Musik

♪ Caro mio ben

♪O mio babbino caro♪

♪ Santa Lucia ♪

♪ Che faro senza Euridice

♪かなしくなったときは(大中恩作曲)

♪次の練習曲 Die Lotosblume(Heine)

♪ 音楽記号一覧

♪ Orpheus With His Lute

♪これからの練習曲

♪ Lascia ch’io pianga

♪ Schumann Der Nussbaum

♪ Ombra mai fu

♪’びいでびいで’

♪小松耕輔:母(竹久夢二)

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聴くたびに歌うたびに胸がいっぱいになる歌だ。

日本の歌曲「母」

<歌はアルト小川明子さん>


ふるさとの山のあけくれ
みどりのかどにたちぬれて
いつまでもわれまちたまふ
母はかなしも
幾山河とほくさかりぬ
ふるさとのみどりのかどに
いまもなほわれまつらんか
母はとほしも

  小松耕輔さん(1884-1966)(へぇ、こんな人だったんだ)


 作詞者は竹久夢二(1884-1934)です。「夢二式美人」と言われる、長いまつげに大きな夢見るような瞳、少し憂いを含んでいて、首の長い腺病質的な独特の美人画を描いて、多くのファンを獲得した、抒情派の画家です。
 夢二は画家として有名ですが、文学の造詣も深く、多くの随筆や童話も創作し、英米の古いわらべうたの訳詞もしているれっきとした詩人でもありました。夢二の詩「宵待草」は、多忠亮(おおの・ただすけ)によって曲を付けられて1917年に発表され、広く世間で愛唱されました。
 この「母」は、夢二が故郷・岡山の母を偲んで作った詩です。
 作曲者は小松耕輔(1884-1966)です。東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身で、長く学習院の音楽教官を務めました。日本人初のオペラ作品「羽衣」(1906年)を発表したほか、主に歌曲の作曲を手がけました。また、日本で初めて合唱コンクールを開催するなど、合唱活動にも尽力しました。
 小松は上記の詩「母」に、1919年、35歳の時に曲をつけました。感傷的な中にも温かみのある柔らかな3拍子の曲です。元は独唱曲ですが、女声合唱でもよく歌われます。(asapykadanさんBlogより)

♫歌いたい歌♫

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椰子の実

名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ
『椰子の実(やしのみ)』は、1936年に発表された日本の歌曲。作詞:島崎藤村、作曲:大中寅二。

 

【歌詞】 椰子の実
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を 離れて
汝はそも 波に幾月
旧の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕
孤身の 浮寝の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新なり 流離の憂
海の日の 沈むを見れば
激り落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々
いずれの日にか 国に帰らん

 


歌詞の誕生については、柳田國男が愛知県の伊良湖岬 (いらごみさき)に滞在した際の体験が元になっている(写真:伊良湖岬と恋路ヶ浜)。
1898年(明治31年)夏、東京帝国大学2年だった柳田國男は、伊良湖岬の突端で1カ月滞在していた際、海岸に流れ着いた椰子の実を見つけた。
「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した。」
柳田國男は、親友だった島崎藤村にその様子を話し伝えた。藤村はこの話にヒントを得て、椰子の実の漂泊の旅に自分が故郷を離れてさまよう憂いを重ね、歌曲『椰子の実』の詩を詠んだという。

椰子の実(斉唱)(ト長調)

♫歌いたい歌♫

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