Today, I bought a bottle of JO MALONE perfume. Jo Malone was one of Ann’s favorites. I remember when Ann and I were in London she rushed into Jo Malone corner at Harrods! I bought several bottles there and “Red Rose cologne became my favorite. I bought a new one and thought about the day we walked around in London, on that day, Hyde Park and South Kensington Area. Ann once said “I’m a bag woman.” I think she was a shopping woman! It was Nov 4, 2016.

Red Rose
At Hyde Park

Trip to London in 2016

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2016年ももうすぐ終わり。生け花ともいえない”投げ入れ”だけど記念にここへ写真を。花材は松、葉牡丹、カサブランカ、センリョウ、黄菊。町屋町、天然寺脇の花屋さんで買いました。花瓶は木村さんの備前です。 

年末なのに、「すみれ会」で忘年会(カラオケ会)、横須賀の友人達と忘年会、MEDC英語クラスのあれこれ、丁寧にネイルなど、お掃除の時間が・・・・・。

 

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<民進党玉木さん>

天皇陛下の「退位」は皇室典範の改正によるべき

以前、当ブログにも書いたように、私は、天皇陛下の退位を認めるなら皇室典範を改正するのが筋だと考える。しかし、政府の有識者会議は、今上陛下一代のみに適用される特例法で対応すべきとの意見集約を図るらしい。

その理由として、

・退位の要件は時代によって変わるので恒久的な皇室典範の改正は適切でない、・退位の要件を一般化して法定することが困難 などが挙げられている。

しかし、これは合理的な理由なのだろうか。

退位を認めない、よって皇室典範の改正も認めない、というのであれば、論理的整合性は取れている。しかしながら、退位は認めるものの、それを今上陛下に限定して特例法で対応し、皇室典範の改正は認めないというのは、論理的整合性がとれていないように思える。

なぜなら、退位の要件を法律に書き込むことが困難という問題は、特例法にも同様に生じる問題だと思うからだ。つまり、今上陛下にだけ「特例で」退位を認めるとして、どのような場合に、原則に対する「特例」を認めるのか、当該「特例」が認められる要件とは一体何なのかという問題が、いずれにせよ生じる。

例えば、特例法であっても、今上陛下の「高齢による職務困難性」などを退位の要件として書き込むことになると思われるが、その場合、この「職務困難性」を誰が認定し、そして、なぜ困難性を今上陛下のみに認めるのか、その立法の基準は極めてあいまいで恣意的なものになるおそれがある。逆に言えば、時の政権の胸先三寸で、「特例」が認めらない場合も出てくる。

また、退位の要件を一般的・客観的なものではなく、特例的・特別なものと位置付ければ位置づけるほど、「今上陛下ご自身が強く希望したから」などと、今上陛下の「個人的ご事情」に退位の理由を求めざるを得なくなる。その場合、何か「今上陛下のご都合」のために特別な立法が行われるような印象を与え、陛下に対しても失礼な形になることを懸念する。

やはり、退位を認めるのであれば、立法困難性を楯に特例法に逃げ込むのではなく、十分な国民的議論を行ったうえで、皇室典範を改正し恒久的な制度として認めるのが筋であろう。そもそも、8月8日のお言葉で今上陛下が提起されたのは、「ご自身」の退位に関する問題だけではなく、あくまで、象徴天皇の“退位一般”についての問題提起だったのではないか。

また、天皇の政治的行為を禁止した憲法4条の制約を考えても、「今上陛下のおことばを受けて、今上陛下にのみ適用される法律を作る」ことは、より違憲の疑義を生じさせることにもなる。その意味でも、特例法ではなく、皇室典範改正による一般的、恒久的な制度として退位を認めるべきだと考える。

大切なことは、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」をいかに確保するかである。よって、一時的・弥縫策的ではない、安定的・恒久的な制度を考えることが、国民の代表たる国会議員の責務である。

国民の皆さんと共に、さらに議論を深めていきたい。

 

<山尾しおり議員>

皇位継承について善き公論を

2016年12月22日

昨日12月21日、天皇の退位につき、民進党としての考え方をとりまとめ、発表しました。
私は、この間、党内検討チームの事務局として、直接とりまとめに携わってきました。
まずは、検討チームからのヒアリングにおいて、専門家としての深い知見をこころよくシェアしてくださった有識者の皆さまに、心から感謝申し上げます。
発表後のこれからは、皇位継承という、国家と国民生活の根幹をなす論点について、善き公論を作り上げていくことがとても大切です。
民進党の考え方を丁寧に説明し、これからようやく始まる国民的議論に奉仕していきたいと思っています。
今回の民進党の考え方のポイントは、(1)天皇の退位を認めるべきであり、(2)そのためには一時的な特例法でお茶を濁さず、恒久的な制度として皇室典範を改正すべき、ということです。
政府のもとに設置された有識者会議の議論が、まさに特例法で幕引きさせる方向に進んでいることを危惧します。
今上陛下が大切に深めてこられた象徴行為、慰霊の旅や被災地激励のお姿などに、国民一人ひとりが心動かされ、自然と皇室に対する敬意へと結びついていく内的体験の共有は、天皇が「国民統合の象徴」であるための核心を担っている、と私は思います。
そして、この象徴天皇の永続性を大切に考えるならば、「今回に限りとりあえず退位を認める」という特例法はあまりに無責任であり、どの天皇にも適用される皇室典範の改正という本丸に正面から取り組むことが是非とも必要なのです。
考えてみてください。
今回特例法で対応すれば、時の天皇陛下の地位が、法律成否の手綱を握る時の政権の意向に左右される前例を作ることになります。天皇の地位が時々の政権の影響下におかれてよいとは思えません。
したがって、時々の政権の影響を極力排除するため、皇室典範を改正して、恒久的一般的な要件手続きを定めるべきです。
もちろん、「皇位」の「継承」につき「特例法」で定めることは、「皇室典範」で定めるべしと名指しした憲法2条に反する疑いがあり、こと天皇の地位に違憲の疑いという傷をつけてはならないという理由も重要です。
早くも一部のメディアからは「政争の具にするな」と、安倍総理と同じようなセリフが聞こえてきます。
しかし、国家の根幹に関わる重要な問いかけがなされているにも関わらず、政権与党が抜け道を探っているようにしか見えない今、民意と陛下の思いに寄り添った王道の見解を出すのは野党第一党の使命です。
政争の具批判をおそれて、その使命を放棄し、政権与党と異なる見解を出すことを控えるなら、野党は不要ということになります。
私は、野党議員としての使命を果たしたい。
また、ある方からは「どうせ政府案が通るのに、こぶしをどこで下ろすつもりか」とも聞かれました。
最初から数の力に屈して、正義や理想やあるべき姿を掲げることをためらうなら、国会での議論は不要ということになります。
私は、国会議員としての仕事をしたいのです。
さあ、ようやく、議論のスタートです。
善き公論を作り上げていきましょう。
私も微力を尽くします。

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混声合唱団の定期演奏会に行きました。みなとみらいホール周辺は大変な混雑!クリスマス・イヴでしたから。

みなとみらい小ホールも大混雑。演奏はいつものようにレベルが高く、清楚で芯があり、若い人のひたむきさに感動しました。演奏会プログラムに、”10月「氷川丸ものがたり」上映会で挿入歌演奏”と書いてあったのもうれしいことでした。

演奏会のあとも友人とみなとみらいの景色を楽しく見ました。いい写真がとれたので・・・

 

横浜市立大学混声合唱団第49回定期演奏会:2016年12月24日(土) 横浜みなとみらいホール 小ホール 17時30分開場、18時開演

♪「宮沢賢治の詩による無声慟哭」 宮沢賢治作詞 林光作曲 指揮:学生、 ♪オペラ「虔十公園林」 宮沢賢治原作 吉川和夫作曲 指揮:藤井宏樹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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いつものお散歩コース。東慶寺と浄智寺、12月23日。今年の最後かな?

東慶寺では赤いボケの花が黑塀に映えていました。青い高い空に、まっ白い雲が美しく、しばし見とれていました。

<東慶寺>

 

 

 

 

 

 

 

ロウバイがもう咲いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

東慶寺本堂の庭園は、今回初めて認識しました。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菊、十月桜

 


<浄智寺>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さざんか

 

 

 


家の庭先のハナミズキ、ソヨゴの赤い実、金木犀。歩く道で見つけたモクセイと青い空!

 

 

 

 

 

 

 

 

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鎌倉の家に置いてある古い岩波文庫 「万葉秀歌」(斎藤茂吉)でふと目にした歌の最後の句に目がくぎづけになった。その”道の知らなく”のあてどない語感、寂しさ、深さ、静けさに。

 

★ 山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく ★

 

158;挽歌,作者:高市皇子,十市皇女,難訓,

[題詞](十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首)

[原文] 山振之  立儀足  山清水  酌尓雖行  道之白鳴

 

詞書・・十市皇女(とおちのひめみこ)の亡くなれた時、高市皇子の詠まれた挽歌。

意味・・山吹の花がまわりを飾っている山清水を、汲みに行きたいと思うけれど、そこまでの道が分らないことである。

亡き人のいく所を黄泉と書き、そのまま、こうせんとも読み、よみとも読む。山吹の色の黄と、山清水の泉で、この黄泉を暗示している。
高市の皇子はイメージに描く。十市の皇女の魂は、今頃どこをさまよっているのか。山吹咲く泉のほとり。それは、うら若い女性の行き場所としてふさわしい。自分もあとを訪ねて、そこまで行きたい。山吹に照り映えて、そこにたたずむ皇女の姿ははっきり見えるが、泉にたどりつく道は、深い霧につつまれたように見えない。

<斎藤茂吉の解釈>

 

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