開催まで行くとは思わなかったオリンピックが実施されようとしている。できる目算も展望も準備も支えもなく、それでもやみくもに「開催」する、その意味は??
開会式前日だというのに開会式担当プロデューサーを解雇するという事件が発生。いっそのことイベント無しの開会宣言、入場行進だけで良い、などの意見が並ぶ最悪の展開。目も当てられない。ソフトボールの上野由岐子はえらいけど・・・。
今度は演出担当者「五輪潰れかねない」 開会式前日の衝撃 毎日新聞 2021/7/22
東京オリンピック開幕前日の22日、またも大会関係者に衝撃が走った。23日の開会式でショーの演出担当を務める元お笑い芸人の小林賢太郎氏(48)が、過去にユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)をコントの題材にしていたとみられる動画が拡散し、SNS(ネット交流サービス)で批判されている。大会組織委員会は事実確認、情報収集に追われている。動画は、小林氏のお笑いコンビ「ラーメンズ」時代のコントとみられ、映像内で「あのユダヤ人大量惨殺ごっこやろうって言った時のな」と発言している。五輪憲章はあらゆる差別を禁止し、東京五輪も大会ビジョンの一つに「多様性と調和」を掲げており、事実であれば理念に反する。
天皇と五輪の微妙な関係 開会宣言と感染懸念の「拝察」 聞き手 尾沢智史 編集委員・塩倉裕 2021/7/23
東京五輪の開会式で天皇が開会宣言をする。一方、五輪がコロナ感染拡大につながらないか、天皇が懸念しているとの「拝察」も。天皇の開会宣言を、どう考えたらいいのか。 FULL TEXT
問われる現代の元首のあり方 清水剛さん(東京大学教授)
今回の五輪は天皇とスポーツの関係の転換点かも 権学俊さん(立命館大学教授)
「統合」のありよう、私たちが議論して作るもの 赤坂真理さん(作家)
世界から懸念と疑問が届く
これ、ステキ! 上品で美しい。
In the dark, and I’m right on the middle mark I’m just in the tier of everything that rides below the surface And I watch from a distance seventeen And I’m short of the others’ dreams of being golden and on top It’s not what you painted in my head There’s so much there instead of all the colors that I saw We all are living in a dream But life ain’t what it seem Oh everything’s a mess And all these sorrows I have seen They lead me to believe That everything’s a mess
佐々木敦さんに聞いた。――開会式をご覧になって、率直な感想を聞かせてください。
開会式のクリエーターのラインアップが発表された時に、1990年代から2000年代初頭ぐらいに活躍した人の名前が多く見られたので、なんらかの意味で「90年代感」のある演出になるのではないかと予想しました。結局は辞めた人になるんですが、演出全体の調整を担う小林賢太郎さんしかり、音楽を担当する小山田圭吾さんしかり。それに音楽監督の田中知之さんもそうですよね。 その頃にノスタルジーがある、現在40代ぐらいの人たちが選定になんらかの形でコミットしている、あるいは一番最初に声をかけられた人たちの中にいるということなのかなと思ったんです。その意味で、「90年代的なるもの」がどんな風に露出してくるのかということが気になっていた。でも、違う意味での「90年代的なるもの」への注目がなされてしまい、特に小山田さんの問題では、悪(あ)しき「90年代性」が取り沙汰されることにもなった。 FULL TEXT
科学者は表現の自由も(は)ないのか?
東京五輪で見えた「病理」2021/7/28 毎日新聞東京朝刊
価値観の倒錯が根源に 柳田邦男
社会や政権が内部に抱えている虚偽や欺まんや悪弊は、何か危機的な状況に直面すると露呈してくる。東京オリンピックは、その社会病理を見せつけてくれた。五輪をやるのかやらないのか、コロナ死者数が1日100人を超えていた今年春先から議論の焦点だった。ところが、大会組織委員会や国際オリンピック委員会(IOC)、政府などのいわゆる5者協議が7月8日、東京など1都3県の会場は無観客にすると決めると、五輪開催は当然であるかのように、開会の準備を加速させた。問題の本質がどこにあるのか、3点に絞って分析してみた。
第一は、菅義偉首相の言説の根底に、うごめく意識を探ること。第二はIOC(特にバッハ会長)の究極の狙いは何かということ。第三は商業主義の支配についてだ。菅首相の考えを表した代表的言説は、次の二つだ。「人類がウイルスに打ち勝った証しとして東京大会を実現したい」「国民の安全・安心を最優先する」 世界も日本も、新型コロナに打ち勝ったとは、とても言える状況にはない。東京には4度目の緊急事態宣言が出されている。
「安全・安心」という菅首相の言葉は、国会答弁や記者会見などで、念仏のように何十回も繰り返された。だが、感染拡大を防ぐ、きめ細かい具体策となると、例えば6月9日の党首討論で「水際対策の徹底、選手は毎日検査」などと五輪関係者対策の答弁をするだけで、国民レベルでの「安全・安心」の具体策は示さなかった。あろうことか、党首討論では「安全・安心」とまるで関係のない自分の高校時代にテレビで見た日本女子バレーやマラソンのアベベ選手などに感動したという回顧談を長々と語り、そういうものを子どもたちに見せたいと居直った。核心を突く質問に対しては、ひとつ覚えの決まり文句だけを繰り返し、関係のない陳述でごまかす、いわゆる「ご飯論法」で逃げるのは、安倍晋三前首相の常とう手段。菅首相はみごとに、その手段を引き継いでいる。安倍・菅時代における政治の言語崩壊は惨たんたるものだ。東京五輪も、その「ご飯論法」で正当化されたのだ。
IOCはどうか。コーツ副会長は「大会はウイルスがあろうとなかろうと開幕する」(昨年9月)との姿勢を今も貫き、バッハ氏は今年4月、3回目の緊急事態宣言に対し、「一時的で五輪には関係ない」(記者会見)と言い切った。奇妙な行動は、今月16日、バッハ氏が広島へ、コーツ氏は長崎への慰霊の訪問をしたことだ。緊急事態宣言下、不要不急の外出・旅行を控えるべきさなかに、なぜ2人がお供を連れて広島・長崎に出かけなければならないのか。オリンピックはスポーツを通じて世界平和への貢献を目標にしてきたことから、バッハ氏はノーベル平和賞を宿願にしているという海外報道がある。被爆者も疑問視する広島・長崎訪問を強行する狙いが透けて見えてくる。
第三の商業主義の問題。テレビ放映権独占の米NBCのトッププロデューサーの発言は強烈だ。「競技が始まり中継を見れば、人々はすべてを忘れて熱中し興奮するさ」と。NBCの広告収入は五輪史上最高に。競泳各種目決勝を選手の体調無視の午前にしたのも米視聴率優先のNBCだ。倫理性を失ったオリンピックの商業主義支配はここまできたかの感がある。
菅政権、IOC、商業主義の三拍子そろってのオリンピック強行の根源は、価値観の倒錯だ。何が重要と考えるか。価値の順位をピラミッド型の図に描くなら、最上位は国民の命だ。次は人々の暮らしを支える経済や社会だ。菅政権やIOCや利権を持つ企業は、それらを犠牲にして、最上位に五輪をそびえさせている。中心人物の価値観を支配しているものは何か。菅首相は次期総裁選と総選挙。バッハ氏はノーベル平和賞。NBCは日本人のコロナ感染死よりお祭り中継の収益だ。東京オリンピックは、史上最悪の汚濁に満ちた大会であったことを、後世に伝える必要がある。アスリート一人一人の汗と成果は、全く別次元の問題で、汚濁の免罪符ではない。(寄稿)
パラリンピックも終わり、熱気は急に冷めていくけれど、良い試合はあった。