加藤周一(知の巨人と呼ばれた)作詞になる名曲さくら横ちょう。中村恵理さんも歌ったし、最近では加来徹さんもYouTubeで歌っている。みんなで英訳してみようという話がでたので、ふるさとのあのサクラを思いながら訳してみた。Pat先生は「良い」と言ってくださった。自分では65%ぐらいのいい出来だと思う。
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
想い出す 恋の昨日(きのう)
君は もうここにいないと
ああ いつも 花の女王
ほほえんだ 夢のふるさと
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
会い見る時は なかろう
「その後どう」「しばらくねえ」と
言ったって
はじまらないと 心得て
花でも 見よう
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
この詩については、「羊の歌」にそのいきさつを書いている。 『八幡宮から学校までの道には、両側に桜が植えられていた。その桜は老木で、春には素晴らしい花をつけた。桜横町とよばれたその道には、住宅の間にまじって、いくつかの商店もあり、そこで子供たちは、鉛筆や雑記帳を買い、学校の早く終った時には、戯れながら暇をつぶしていた。(略)桜横町には、男の子も、女の子も、文房具屋のおかみさんも、自転車で通るそば屋の小僧も、郵便配達もいたのである。学校に近かったから、道玄坂などとはちがって、半ば校庭の延長のようでもあり、しかし校庭とはちがって、町の生活ともつながっていた。私は二つの世界が交り、子供と大人が同居し、未知なるものが身近かなるものに適度の刺戟をあたえるその桜横町のひとときを好んでいた。』 その横町の住宅に、同じ小学校に通う娘がいた。「大柄で、華かで、私にはかぎりなく美しいと思われたが」一度も言葉を交わしたことがなかった。「女王のようにいつも崇拝者たちを身の廻りにあつめているその娘を、私は遠くから眺め」「二人きりになることができたらどんなによいだろうか、と空想していた。」
その桜横町を、彼は「いくさの最中に、何度か」想い出した。それを、「十六世紀フランスに流行したロンデルの韻を借りて」作ったのがこの作品である。
さくら横丁 Sakura Yokocho the lyric translated to English by Tomoko Nago
spring night when cherry trees blossom
flowers everywhere cherry streetI remember the love of yesterday you are no longer here
always queen of the flowers, smiling in the home of dreams
spring night when cherry trees blossom
flowers everywhere cherry streetthe time will never come to see you again
“how have you been, it has been so long”I know there is no use to talk this way,
I may as well look at the flowersspring night when cherry trees blossom
flowers everywhere cherry street
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