保阪氏の議論。「判断は国民に任されている」当然。それを考えるためのヒントと方向がまとめられている。
11/18 大嘗祭についての論考
象徴天皇制を続けますか=伊藤智永 毎日新聞2020年1月4日
令和元年は祝賀ムードのうちに過ぎ、天皇代替わりは一段落した感が漂うが、上皇陛下が退位の決意と併せて投げかけられた宿題は手つかずで残されたままだ。国民がこの先も皇室を存続させるつもりなら、今の皇位継承のしくみでは難しいですよ、という問いかけである。
生前退位は天皇の意志と働きかけで実現した。政治性を警戒する意見もあったが、この度の譲位に示された国際社会と国民の理解と祝意は、象徴天皇制の成熟と評価すべきだろう。世界中で強権指導者たちが権威主義を競う時代、権威=天皇と権力=首相を分かつ柔構造を生かさない手はない。
政治には、選択と集中、決断と実行といった強い働きと別に、災厄や障害への慰め、過去や死者への祈り、憲法や平和や人権への平衡感覚といった穏やかな働きも求められる。象徴天皇が政治のモラルを担う安心感は、思いのほか大きい。象徴天皇は、ただ「いる」のではない。漫然と続くのでもない。国民との不断の交感を通じて「なる」もの、努力と工夫により存続させていくものだ。続けるかどうかは国民の課題であり、政治の意思による。 戦後、戦争責任へのわだかまりから、天皇制廃止論は自然な感情表現の一つだった。天皇制と民主主義の接合もなじめなかった。だが、教室にも会社にも町内会にも革命党にも「内なる天皇制」を抱える社会では空論となる。その間、象徴天皇制は民主主義の欲望と傲慢さと愚かさを補う役目を担いだした。
2021/7/10ごろ