Abeとその取り巻きの行動がひどすぎると思っていたけど、財務省の官僚たちの30年前か?と思うような驚きの古いセンスに、「時代錯誤はもしかしてこちらか?」と思ってしまった(もちろん冗談に決まってるけど!)
3万5千人が財務省のセクハラ調査に抗議。「被害者保護の“いろはのい”をわかってない」
(毎日新聞)「財務省のえらい官僚があの程度の認識しかなくて、この国を動かしていたのかと愕然」財務省の福田事務次官が度重なるセクハラ発言で辞意表明。
自社の女性が被害を受けたとするテレビ朝日の会見の翌日。被害者に名乗り出るよう求めた財務省の調査に女性と心ある男子の怒り爆発。撤回すべきとの署名を財務省に提出。
17日にchange.orgで始めた署名は、わずか2日間で3万5千人以上が名前を連ねたらしい。スゴイ!
野党6党が20日安倍政権の退陣を求める集会を国会内で開き、セクハラ疑惑への抗議の意思を示すため、黒い服で統一した女性議員が、セクハラ撲滅運動に倣い「#Me Too」と書かれたプラカードを掲げた。福島瑞穂さんの黒いドレスが美しかった、以外(!)
セクハラ疑惑に抗議 黒い服で「#MeToo」 2018年4月20日
安倍晋三首相の政権退陣を求める野党合同の集会で
(男子も)
野田総務相「女性を甘く見た日本、様々なひずみが発生」
さすが野田聖子さん、ご自身でも大変な思いをしながら子どもを得、その子の将来のために何とかして良い世の中にと活動しているからこその言葉だ。内容には部分的に賛成できないところもあるけど、彼女の言わんとすることに、それにそれをこんなにもはっきりと言ったことに賛同する。
■野田聖子総務相(発言録)
国会にいると「この世に女性はいないんじゃないか」というような会合ばかり。これまでの日本は私たち女性の力を甘く見て、あてにせずに突っ走ってきたから、様々なひずみが発生している。
日本で仕事をちゃんとやっていくには「男でなければならない」「男以上にやらなければならない」ということを背負わされている。政治と国技館(大相撲)は男の仕事だが、両方ともいま揺らいでいる。
私たち女性は大変な目にあってきた。あまりにも大変な目にあう人が多くてまひしてしまっているが、これからの日本は多様性(が大切)だ。女性、障害者、高齢者、外国人、性的マイノリティー。そうしたマイノリティーの最大派閥である女性が、しっかりとした制度の下で幸せを実感できれば、他の人たちにもいい流れができる。いま起きていることは厳しい、不幸なことが多いけれど、世の中を大きく変える力を持っている。(岐阜県下呂市の講演で)
首相の経済政策「昭和引っ張った発想」…野田氏
野田総務相、岐阜県下呂市で講演「もう少し支えがあれば生きていける人たちへ(支援を)多種多様にそろえる日本をつくっていく」 ** 9月の自民党総裁選への出馬を念頭に、女性や高齢者、障害者の活躍を後押しする制度の拡充を強調したとみられる。安倍首相の経済政策については「昭和の時代を引っ張った、強い人を強くすれば恩恵が弱い人にも行く、という発想がある」と論評。
マスコミで働く女性も、あのアッコさんも怒る!
🌹 大下容子アナウンサー(47)は「認識がないのになぜ、 違うと言えるのか。認識がないというのはもっと困ったことで、 今後も続くかもしれない。他の人にもやっているかもしれない。 だから客観的に証拠を持たなければいけないと考えたわけですよね 」と強い口調で福田氏の姿勢に疑問を投げかけていた。
🌹 宇賀アナは「 そもそもセクハラ被害って家族や友人にも言いづらいこと。 それを上司や会社に言うのはすごく勇気がいったはず。 その時点でのテレビ朝日の対応は良くなかった」 と自局の対応に疑問を呈していた。
🌹 和田アキ子、セクハラ被害を週刊新潮に訴えたテレ朝記者に「 弱い立場の女性が一人で戦うのはすごい」「 こんなに弱い立場にいる女性が一人で戦うことはすごいことじゃな いですか」と見解を示した。「女性って地位が低い、日本。何か女のクセに、 ちょっと出っ張っているとか。 政治家でも世の中でも変わろうとするぐらい女性の地位が向上して いる時に財務省トップの方で内緒にしてつぶしていくみたいな、 火のないところで火をかぶせちゃうって、 とっても男の人はずるいと思います」と主張
🌹 マツコ、財務次官のセクハラ疑惑に苦言「 もっと大事なナンチャラ学園問題がうやむやになっちゃう」その上で「(セクハラ問題は)あくまで被害者と彼(福田次官) の問題。ナンチャラ学園問題はほっといて、 こっちに夢中になるのは稚拙な気がします」 と真剣な表情で話した。(マツコは男性だけど・・・)
🌹 中瀬ゆかりさん、セクハラ問題の福田氏にあきれテレビ朝日にも「 対応が最悪」 ** 新潮社出版部長の中瀬ゆかりさん(53) が12日放送のTOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜・後5時)に出演。 18日に事実上更迭された福田淳一・財務省事務次官(58) からセクハラ被害を受けていたとして、 テレビ朝日の女性記者が週刊新潮に音源などを持ち込んだ問題につ いて言及。 **中瀬さんは福田氏について「 あきれて笑うくらいだったんですけど」と口火を切り、「 訳の分からない論法でどんどん言うことが変わっていった。 自分の声も分からない人が次官をやれるのか」と断じ、「 最初に勃発したセクハラより、その後の対応の方が問題」 と私見を述べた。 **さらに女性記者が上司に相談し、 行為を報じるべきだと申し出たが「 本人が特定されるおそれがある。報道は難しい。 あなたのために止めた」とされたことに関しても、「対応が最悪。 本音は、財務省ににらまれて、 取材をさせてもらえなくなるのを防ぐためたっだ」と厳しかった。
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絶対アウトなセクハラの重みをオジサンが理解しない訳
財務省ヒエラルキーの頂点にいる男性次官が、えげつないセクハラ発言を若い女性担当記者に繰り返していたことが判明。週刊誌報道とともに聞くに耐えぬ録音内容が公開され、世間は怒ったり失笑したり、またもやテレビは盛大な祭り状態へと突入しました。
一聴して、明らかにアウト。オフレコだろうがオンレコだろうが、一方的な好意や蓋のできない性的関心があろうが、仕事のプレッシャーがキツかろうがお酒が入っていようが、仕事上の関係からその場に座っている相手に対し発する言葉としてあの異様な一連のフレーズが出てくるあたり、「ああ、芯の部分でこういう品性の人物なんだな……」「この相手にはこういうことを言っていいと思っちゃったんだな……」と、私は怒りを通り越して哀れを感じたのです。
濁った政治の世界を泳ぎ抜いて官僚の頂点まで到達した猛者として、本人もその件がもう確実にアウトと自覚しているのは、週刊誌に直撃された際の動画からうかがえました。優れた「タヌキ」となって生き残ってきた人が、それまではぶぜんとした態度一本やりだったところに、「女性記者」と聞いて瞬時に思い当たり、とっさの感情的破綻を見せてしまう。食い気味に発せられた「失礼だな!」の怒声に、私は年末大抽選会で金色の玉が出た時の「大当たり〜〜!」という歓声と鐘の音がかぶさって聞こえた気がしました。
エリートの頂点にいる当人の「存在の耐えられない哀れさ恥ずかしさ」に思いを馳せ、いついたたまれなくなって辞めるのか、ちょうど政局に絡めてなにがしかの責任をついでに塗られて、更迭に向けてカウントダウン開始なのだろう……と、じっと目を閉じていたのですが、一旦は調査協力とやらの名のもとに「女性記者、名乗り出ろ」と醜悪甚だしい時間稼ぎをし、そこに女性記者が所属するテレビ局からの正式な抗議を受けて、「仕事にならない」とうそぶきながら案外、あっさり辞任。政治的理由でなく、あれほど恥ずかしいセクハラで辞めるのはエリートの結末としてあまりに不名誉ですが、それくらい本人の手が真っ赤っかで誰もかばいきれなかったということかもしれません。
ところが財務省次官をかばうに飽きたらず、告発した女性記者を「記者としてしつけがなっていない」「メディア人としての常識がない」「教育の至らない会社の責任でもある」と責める人々が登場して、私はそりゃもう顎が外れるんじゃないかというくらい驚きました。
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「セクハラ程度で告発した若い女性記者はしつけがなっていない」と言う思考停止オジサン
セクハラ問題もさることながら、その「女性記者は非常識」なんて意見にこそ、私は怒り心頭。
「女性記者を使う時点で、情報を引き出そうとするハニートラップ」「メディア業界ではよくあることでセクハラなんか織り込み済み」「そんな『ささいな』セクハラ音源を他社に売って、モリカケ問題で重要な局面にある財務省の仕事をストップさせたひよっこ女性記者と、教育できていない所属会社の罪は重い」なんて論調で、セクハラ自体を「そんな程度のこと」と全否定。揚げ句「今後、女性記者を相手にする『重要な人物』は、オフレコ発言を公開されるのを恐れてオンレコでしか話をしてくれなくなる。これは女性記者全体の問題だ」とまで言い出し、オイコラちょっと待てと私の短い堪忍袋の緒が切れました。
なぜハラスメントを受けた側が悪いのか?
なぜハラスメントを告発するのが女性記者に限定されているのか?
なぜハラスメントを受けるのも女性記者に限定されているのか?
なぜ「重要な人物」は男性に限定されているのか?
そして何よりも、なぜ情報を得るためにはハラスメントは「対価」だと前提しているのか?
パワーバランスの川上と川下
なぜこのオジサンたちはセクハラの重大さが分かっておらず、「そんなことをバラして、常識がない」とまで説教するのか。私はハッと気付きました。
そうか、加害者側に所属し、その力関係に安住する人間は、被害者の反発を自分への「裏切り」だと思うんだ。そこに信頼なんか存在しないのに、「相手は何を言っても唯々諾々と聞くはずという自分のおごり」を「信頼関係」だとゆがめて認識するんだ。
セクハラは「ハラスメント」、嫌がらせです。
パワハラ・モラハラと同じで力の差を利用して他人を傷つける。まして執拗に傷つけている時点で、(次官が訳の分からない弁明をしたように)「言葉遊び」じゃない。それはいじめが露見したときに、いじめる側が口にする自己弁護と全く同じではありませんか。「ただの言葉遊びなのに、そこまで深刻に受け止めるそっちが悪い。考え過ぎ」。挙げ句「そんなやつだからいじめられるんだろ(あ、俺のはいじめじゃないけどね)」。どこまで人格破綻してるんでしょうか?
情報や権力のパワーバランスには、必ず川上と川下があり、川上にいる人間の発言は重力や流れの速さを伴って、重さや鋭さを持って川下に届きます。でも川下の人間の発言は、流れに逆らって届けるしかないので、常に大きな負荷がかかっている。ところが川上の人間は、自分の発言が常にスムーズに重要性を持って相手へ届く快適さに慣れているから、それは「快適な関係」であり当たり前であり、二者間で永遠に続くべきだと思っている。だから、川下からの反発を受けるとまず己の言動を反省したり論理的に状況を精査する以前に、「信頼関係の裏切りだ!」として「むしろ感情的にナイーブに傷つき」、責めるんです。
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自分は被害者になるわけがないという思考停止
川上と川下、権力の不均衡のメカニズムにおいて、自分が川下になるわけがないと常に信じ切っている人は、川下の様子に1ミリも想像力が働きません。
セクハラの罪深さが一向に一部のオジサンに伝わらないのはそのせいで、だからセクハラを認識できないオジサンが大量生産されて「女たちがセクハラセクハラ言うから、そんな社会じゃもう社内恋愛なんか生まれない」などと無邪気に嘆いてみせるわけです。なぜ恋愛の前段に「セクハラ」が必要条件だと思っているのか、あとなんで「社内」なんだそれ以外はいいのかとか、それまでの恋愛経験も含めていろいろ疑問の多い発言ですが、本音レベルでこう思っているコミュニケーションスキルの貧しい男性は実に多い。
つまり、恋愛関係や性的な関係に踏み出すために、セクハラめいた言動以外の表現方法を知らないので、自己正当化したいのでしょうね。
パワーバランスのあるところに、ハラスメントは起きる。つまり、ハラスメントに注意すべきはパワーバランスの生じている場面なのです。そして何が問題って、そのパワーバランスに乗じてセクシャルな関係を持ち込もうとするのが一番の問題なのです。
情報源たる「重要な人物」と「記者」の間には、情報と権力の明らかなパワーバランスが生じています。記者の側から見れば業務です。情報の対価を求められるのであれば、食事なりあるいは別の情報なりで接待し、そういう信頼関係を結ぶ。それこそあらかじめ織り込まれた「対価」です。
そこで、川下にいる人を、男性としましょう。川上の「重要な人物」は女性(十分起こりうる状況です)でも男性でもいいです。ここで川上から川下へ「体触っていい?」「手縛っていい?」「浮気しよう」との執拗な会話が生じたとしましょう。1年半にわたって、気に入られたらしく何かと呼びつけられては酒が入り、そんな会話でひたすら肝心な「情報」ははぐらかされ続け、聞きたくもない露骨な性的関心がダダ漏れの言葉を投げつけられ続けたとしましょう。
きっと、川下の男性は当惑を通り越して「バカ言ってんじゃねえぞ」と思いますよね。「なんだコイツ、ポストの割にしょーもない奴だな」と軽蔑するでしょう。「いいかげんにしろ、コイツのキャリアに終止符を打ってやる」と、堪忍袋の緒が切れるのも分からなくもありません。いや、そもそも、川下の男性に向かってこんな「体触っていい?」「手縛っていい?」「浮気しよう」なんて露骨な言葉が浴びせかけられるシチュエーション自体、一部のオジサンはイメージできないのです。
川下の存在がひとたび「女性」であると、たやすく当たり前に日常茶飯事レベルでイメージが湧きやすく、そして実際、起きている。なんなら「それは対価だ我慢しろ、(女性)記者の仕事とはそういうものだ」「そんなことにいちいち目くじら立てるなんてナイーブ」と言い込められる。かばわれないどころか共感さえされず、「『女の武器』が使えていいよな」「なんだかんだ文句言うけど、女もうまいことやっていい目にあったくせに」なんて、見当違いの批判を受けることさえある。
でもこの当事者が男性で、会社のパワハラだったり、家庭のモラハラだったり、学校のいじめだったりしたら、男性同士で共感が集まるでしょう。自分がその弱者の側に立つという可能性があれば、状況や思いに想像力を働かせることができるでしょう。
思考停止とは、「自分には関係あるはずがない」という「思考の限界」でもあります。そんな限界を露呈するオジサン多発のこの件、まとめて「オジサンに絶望」した女性たちは、今後もこうしたパワーバランスを悪用したひきょうをひっくり返していくのだろうと思うのです。同様に、女性もパワーバランスのひきょうに決して安住しない、風通しのいい人間であり続けたいですよね。
文/河崎 環 【Tamaki Kawasaki】ライター/コラムニスト