◆「道義国家」とは?

 

「道義的責任」という言葉は知っているが、稲田朋美がいう「日本は道義国家を目指すべきという精神」の”道義”とはどういう意味だろうか?

❝人のふみ行うべき道徳上の筋道。”


▼五常の徳
五常(ごじょう)または五徳(ごとく)は、儒教で説く5つの徳目。
仁・義・礼・智・信
そのうちの、は、利欲にとらわれず、なすべきことをすること。正義。

八つの徳
孔子が論語で説く、八つの徳。
「仁」 :思いやりの心、いつくしむ心。
「義」 :人間としての正しいすじ道。
「礼」 :他の人に敬意を示す作法。
「勇」 :決断力。
「智」 :洞察力、物ごとを考え判断するはたらき。
「謙」 :謙虚、つつましく、ひかえめ。
「信」 :うそをつかない、約束を守る。
「忠」 :まごころ。
「寛」 :寛容、心が広く人のあやまちを受け入れる。


井上 道義(いのうえ みちよし、1946年12月23日 – ) (笑)

 


  • 大川周明は「満洲事変」当時、戦争の発端となった満鉄爆破の首謀者 板垣征四郎と親しかったというから、板垣の「道義国家」論に大川の『道義国家の原理』の影響を、また板垣の「東亜解放」論に大川の『復興亜細亜の諸問題』(1922年)の影響を見ても無理はないだろう。

  • “この「道義」言説は、例えば岡倉天心 (1863–1913) のような初期アジア主義者らによって「功利主義」的西欧帝国主義に対する帝国日本のカウンター・オリエンタリズムとして語られ始め、殊に日中戦争と太平洋戦争の勃発を契機として爆発的に語られた言説といえる。

  • 1937 年 5 月に発行された『国体の本義』(文部省編集)には見られない「道義」という語が、1941 年 7 月 21 日発行の「臣民の道」(文部省教学局編纂)において、

  •  「世界史の転換は旧秩序世界の崩壊を必然の帰趨たらしむるに至つた。ここに我が国は道義による世界新秩序の建設の端を開いたのである」 「支那事変は、これを世界史的に見れば、我が国による道義的世界建設の途上に於ける一段階である」 と述べられているのは、そうした事実を物語っている。

  • 一方、「道義国家」という語は 20 世紀初期の段階に見え始め、1925 年には大川周明の「道義国家の原理」(社会教育研究所リーフレット第 3)によって帝国日本の新たな国家的自己像を求める概念として用いられるようになる。
  •  
  • 大川は「個人と国家とを支配する道徳的原則」、すなわち「今日の国家が最早国民道徳の客観的実現として是認せらるべ」きことを唱えるのである。” ci.nii.ac.jp/naid/120005557…
  •  稲田朋美 2012年 「世界中で日本だけが道義大国を目指す資格がある。」
  •  ”和辻の「倫理学」的言説と「法哲学」を結びつけて「国家の道義理念を明らか」にすることを自らの「国家哲学」の使命とする尾高は、「国家をば道義そのものの最高実現」、「道義をば、法と道徳の総合理念」と捉えるヘーゲル (1770–1831) の「道義国家」言説を顕彰する。

天皇退位と憲法問題cover

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