1890年(明治23年)10月30日、宮中において、明治天皇が山県有朋内閣総理大臣と芳川顕正文部大臣に対して与えた勅語である。翌日付の官報[2]などで公表された。その趣旨は、明治維新以後の大日本帝国で、修身・道徳教育の根本規範と捉えられた。また、外地(植民地)で施行された朝鮮教育令(明治44年勅令第229号)、台湾教育令(大正8年勅令第1号)では、教育全般の規範ともされた。
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教育に関する勅語
朕思うに、我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。我が臣民よく忠に、よく孝に、億兆心を一にして世々その美をなせるは、これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここに存す。
爾臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め業を習ひ、以て知能を啓発し徳器を成就し、進んで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に遵い、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壤無窮の皇運を扶翼すべし。
かくの如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。この道は、実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民のともに遵守すべき所、これを古今に通じて誤らず、これを中外に施して悖らず、朕爾臣民と倶に拳々服庸して、みな其の徳を一にせんことを庶幾う。
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
<説明> 明治天皇は、六百八十余年の長きにわたって続 いた、武門の政治、封建の制度を改め、維新の大 業をなしとげられました。近代日本の建設に当っ ては、特に教育の普及と道徳の実践についてご心 配になられ、(一)政治に左右されることなく、(二) 軍政にとらわれず、(三)哲学的難解をさけ、(四) 宗教的に一宗一派に片よらず、国民の誰でもが心 がけ実行しなければならない徳目を挙げて、道徳 の普及、教育の向上を熱心に望まれて、「教育に関 する勅語」をお示しになりました。天皇が国民にお おせられることは、詔勅という形式によって布告 されています。 わたくしたち国民の、永遠不変の道徳教育の基 礎ともいわれます、父子・兄弟・夫婦・友人間の 人倫、謙遜、博愛、知徳の修得、道義的人格の完成、 社会的義務の履行等、勅語にお示しになった大御 心は、いかに時代が変わっても、本質的にはいさ さかの変わりもない訳です。私たちが歩まねばな らない道しるべとして、常にその徳目を実践して 立派な人となり、平和な家庭をもち、道徳的な良 い社会づくりに努力して欲しいものです。
《明治神宮社務所刊》
参考:現代口語訳
私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。
あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。
明治二十三年十月三十日
(天皇陛下の署名と印。)
解説1:教育勅語の最後には、原本では実際には「睦仁」という天皇陛下の署名と、その下に「天皇御璽」と書かれた印(御璽)が押されています。しかしそこから書き写す時には署名と印の代わりに「御名御璽」と書くことになっています。六法をお持ちの方は、日本国憲法の前文にも「御名御璽」がありますから探してみてください。
解説2:なお、教育勅語の口語訳は、「国民道徳協会」の訳が比較的有名なようですが、どうも「皇祖皇宗」や「臣民」の意味がぼけている。あくまでも意訳だと私は解釈します。当時の背景を理解しながら元々の意味を忠実に伝えるというよりは、“現代の日本に適応させようとした平成アレンジ”になってしまっている感があります。一方、天皇機関説事件の後の頃の、昭和初期の文献による教育勅語の解説もまた極端に思えるし、とにかく人によって結構解釈が違うらしい。結局私の納得行く訳が見つからなかった(ことと著作権の問題もある)ため、極端な意訳を廃した自前の訳を作ってみました。[1999年?初版、2002/05/21, 2004/07/01改訳。]
もちろん♣「皇宗(歴代天皇)」がずっとこの国を治めてきたわけでもない。そんなことはこの「勅語」を起草した者たち自身、重々承知していた。なにしろこの「勅語」が発布されたわずか四半世紀前はまだ江戸時代であり、現に徳川家の将軍が天下を統治していたのだ。
現代語訳(小池松次「修身・日本と世界」より)
明治天皇がお考えになるのに、天皇の御先祖が我が日本の国をお建てになるにあたってその規模がまことに広大で、いつまでもその基(もとい)が動かないようになさいました。また、天皇の御先祖は、御自身をお修めになり、国民をお愛しみになって、万世にわたって徳政のお手本をお示しになりました。我が日本の国民がいつも天皇の忠義をつくし、よく親に孝行をつくすことを心がけ、国民全体が心を一つにして、代々忠孝の美風をつくりあげてきたことは、日本の国柄(国のすがた)のもっともすぐれた美点であって、教育の根本とするところもこの点(忠と孝)にあります。
日本の国民は父母に孝行をつくし、兄弟姉妹は仲よくし、夫婦はおたがいに分を守って睦まじくし、友だちはおたがいに信じあい、助けあって仲よく交際し、他人に対しては礼儀を守り、自分に対しては常に身を慎み、しかも博く世間の人には慈愛の心をもって親切にすることが大切です。また大いに勉強し、技術を身につけ、そして知識をひろめ、才能をみがき、人格を完成し、その上に公共の利益を増進し、世の中のためになる仕事をすることが大切です。またいつも日本国の憲法を大事にし、法律や政令をよく守り、もしも我が国に非常の場合が起った時は、勇気を奮い一身をささげて国のために奉仕し、天地と共に限りのない皇位の御盛運をお扶けするのが国民の務(つとめ)であります。
以上のような道徳をよく実行することは、天皇に対して忠良な国民であるばかりでなく、また我らの先祖に対しても立派な子孫となることができるのです。これまでお諭しになった道徳は、明治天皇が新しくお決めになったものではなく、実に天皇の御先祖がお残しになった御教訓であって、皇室の御子孫も、一般国民も共に守るべきものであります。これらの道徳は古(むかし)も今も、いつの時代に行なっても決してあやまりがなく、また日本国内ばかりでなく、世界中のどこの国で行なっても間違いのないものです。明治天皇は、御自身も国民と共にこの御先祖の御教訓をよくお守りになり、それを実行なさって君臣一体となってその徳を完全なものにしようと仰せられました。
JCP 教育勅語ってどんなもの?
〈問い〉 「神の国」発言とあわせ森首相の教育勅語発言が問題になっています。教育勅語とは、どういうものなのですか。(栃木・C子)
〈答え〉 教育勅語は、明治憲法発布の翌年(一八九〇年)に、道徳の根本、教育の基本理念を教え諭すという建前で出された勅語(天皇が直接国民に発する言葉)で、戦前、学校教育などを通じ、国民に植えつけられました。
勅語は、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗(ちんおもうにわがこうそこうそう)」という言葉から始まります。「皇祖皇宗」(天照大神=あまてらすおおみかみ=に始まる天皇の祖先)が建てた国を治めるのは、その子孫の天皇であるとされています。明治憲法が、日本は「万世一系(ばんせいいっけい)」の天皇、つまり永遠につづく天皇が治める(第一条)、天皇は「神聖」だ(第三条)と定めたのと同じ考え方です。一方、国民は天皇に仕える「臣民」(家来)とされました。
勅語には、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ(ふぼにこうにけいていにゆうに)」といった、一見当たり前の道徳項目をのべているような個所があります。しかし、これらはすべて、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(いったんかんきゅうあればぎゆうこうにほうじ)」、つまり戦争になったら天皇のために命をささげ、天皇に「忠義」をつくすことにつながるものとしてあげられているのです。
実際、戦前は「忠を離れて孝なく、父祖に孝ならんと欲すれば、天皇に忠ならざるをえない」(勅語四十周年での文相談話)と教えられました。勅語の道徳項目は、天皇を頂点とする身分序列の社会の道徳で、臣民は天皇に忠義を誓う、臣民の間も、目下は目上に従え式の身分ルールでかためられていました。
勅語には、命の大切さも、人権や平等の大切さものべられていません。“良いところ”など何もないのです。教育勅語は、戦後、新しい憲法のもとで効力を失い、国会では、主権在民に反すること、「神話的」な国家体制の考え方=「国体観」であること、国民の基本的人権を損なうものであることなどを理由に「排除」の決議がされました。(豊)
〔2000.5.25(木)〕
Twitterにあった明治学院大高橋源一郎教授の現代語訳(2017.3.14, 1時間ぐらいでやったとか)
はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。 |
きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。 |
その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。 |
そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。 |
もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。 |
というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。 |
いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。 |
いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。 |