2013年2月3日
1月27日東京新聞「政地巡礼」に、自由民権運動のころの五日市憲法草案が見つかった「深沢家家屋敷跡」が取り上げられていた。
大学の卒業論文で自由民権運動の1事件である福島事件を取り上げた。福島事件の跡地を訪ね歩く機会はなかったが、20年ほど前、色川大吉さんの案内で自由民権運動の史跡を訪ねる企画があり、大学時代の友人達とあきる野市(当時は五日市市)を訪ねた。1968年、五日市の豪農深沢家の古い土蔵から、明治初頭千葉卓三郎たちによって起草された憲法草案が発見されたのだ。
深沢家屋敷跡を含む村全体のたたずまい、村全体が見渡せる位置にある深沢家、高い日当たりのよいところにあった墓地。千葉卓三郎の面影にも強い印象を持った。
でも、何といっても自分の中に思いがけない感動がわきあがったのは、帰り道での追想。私の勝手な思い込みなのだが、五日市からの帰途、バスで県道を移動しているとき、遠い昔、こころがまっすぐで血気盛んな、若々しい魂の青年たちが、この道をわらじ履きで走り、憲法草案の実現のために都へ、地方へ、文字通り東奔西走したのだ思うと、その足音が聞こえるような、足音が私を追いかけてくるような感じがしたのだ。
☆ 五日市憲法草案(あきる野市HPより)はこちら
★ 五日市憲法草案(第1篇 国帝)の解説はこちら
☆ 「憲法草案が生まれる素地」はこちら
★ 「『五日市憲法草案』とその評価」はこちらから
☆ (参考)五日市憲法について(地元の小学校教師「やまさん」の解説)はこちら