「中国地方の子守歌」
ねんねこ しゃっしゃりませ
寝た子の かわいさ
起きて泣く子の ねんころろ つら憎さ
ねんころろん ねんころろん
ねんねこ しゃっしゃりませ
今日は二十五日さ
明日はこの子の ねんころろ 宮詣り
ねんころろん ねんころろん
宮へ詣ったときゃ
何というて拝むさ
一生この子の ねんころろ まめなように
ねんころろん ねんころろん
歌うと声が胸にひびき
ここちよい眠りにさそわれるのだ
歌のちから 声のちから
心のちから 思いのちから
★☆
この頃好きなこの人の声、
沖縄出身の21歳、新垣結衣さん。
彼女の声はまっすぐでひたむき、
それでいて力強い。
本質は、若く美しいsweet voice
そしてその中に硬質のきらめきがある。
そう。
いとしいものは抱きしめればいい。
全部まとめてこの手で、この手に。
そしたら世界は、もっと広く豊かに、
誰の前にも平等に広がるはずだ。
「中国地方の子守歌」
ねんねこ しゃっしゃりませ
寝た子の かわいさ
起きて泣く子の ねんころろ つら憎さ
ねんころろん ねんころろん
ねんねこ しゃっしゃりませ
今日は二十五日さ
明日はこの子の ねんころろ 宮詣り
ねんころろん ねんころろん
宮へ詣ったときゃ
何というて拝むさ
一生この子の ねんころろ まめなように
ねんころろん ねんころろん
歌うと声が胸にひびき
ここちよい眠りにさそわれるのだ
歌のちから 声のちから
心のちから 思いのちから
★☆
速い、見やすい、デザインが美しい。
見とれてしまう。
それに重さもあまり気にならない。
iPod、iTune、mac.MobileMe が
このiphoneで快適に走る!
PCであちこちのサイトを開いてチェックしている自分のメールが、
超カンタン、超ハイスピードで、PCなしで!すべて閲覧できる。
YouTube,世界地図、 天気予報に株価だって出てくる。
時計、カレンダー、写真帳、動画付きカメラ
計算機、コンパスまでの重装備。
どれもデザイン性に優れる逸品ぞろい。
これで57,000円、分割で2年間月2,400円
高いか安いか、
これからの使用メリットにかかっている。
NHK「わたしが子どもだったころ」スペシャル。熊坂出製作の気品あふれる傑作映像。指揮者小澤征爾の北京でのこどものころを再現した作品。青味を強調した土色の、独特の映像がすばらしく美しい。 教会で覚えた讃美歌を、音程をはずしても、楽しそうに心をこめてうたう母。 キタキマユの飾らない名演技と、 小澤征悦のはにかんだ表情。13歳の征爾くんを演じた少年の、まっすぐな表情に魅せられ、何度もビデオを見てしまう。 そして、 2024/2/17 動画があった!タイトルが「わたしが子どもだったころ 小澤征爾」だった。’24 2/6の征爾氏死亡のあと、アップされたようだ。<最後の部分の音楽はBeethoven 交響曲第7番より>
さりげない野の花に足を止め、「きれいね」というやさしい母。
“こどものころの思い出”とは、懐かしい母を思うことだと、今更ながら気づかされる。
Michael Jackson has gone.
So sad.
He has gone too soon, he was only 50.
Some might say he was old enough to stop living, because
it seemed he did not want to live longer.
People say he was strange and was almost broken in a sense.
Even so, we still love his voice, his songs and his stage performances.
When we think about his pure, lonely soul,
Everybody can’t help loving him.
He was fragile and beautiful in soul.
He will remain forever in our hearts.
山内昌之著「ラディカル・ヒストリー」:ロシアと中央アジアの歴史の複雑な経緯、イスラムの世界からみたロシア・ロシア民族についての論点などに新鮮な視点を得た。
柴宣弘著「南スラヴ」を意味するユーゴスラヴィア。オスマン帝国、ハプスブルク帝国時代からの歴史と第一次世界大戦後のユーゴスラヴィアの歴史、冷戦後の民族意識の高揚と混乱を多面的に論じている。
海洋研究開発機構の職場の昼食時は、
選択肢が非常に少ない。
カフェ風の(それしかない)食堂へ行くか、
サンドイッチかおにぎりを買うか、
お弁当を持っていくかしかない。
定食を選ぶ時はいつも“半ライス”にしている。
なので今日も、
「ご飯、半分でお願いします」
もし、顔見知りの人が厨房の内側なら、言う前に
カウンターから黙って“半ライス”が出てくる。
でも、きょう厨房の内側にいたまだ不慣れにみえる若い人は、
何と(!)ご飯茶わんの片側にその半分の量を盛りつけようと、
一生懸命だったのだ。
わっ!なんという発想、
ユニーク?
いいえ、それはごく普通の家庭生活や、いろいろな形の
コミュニケーションがなかったことによる生活感覚の欠如?
それとも、私の知らない新しい文化 or 現象!?
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