2012年12月2日
12月16日の衆議院議員総選挙は、結果次第では、きっとこれからの日本の行く末を危うくするかもしれないと危惧する。選挙目当ての政党乱立・烏合集散と、その隙間をついての右翼的言論の跋扈がこわい。
去年の、大震災と福島第一原発の過酷な事故のあと、私たち市民が憂い、学び、訴えたことが政治にどれだけ反映されたのだろうか? 反映された・されないの比較も空しいほど、国の機構と国会議員の行動は(ほんの一部の良識ある政治家を除いて)一般の個人の幸福の感じ方・考え方と天と地ほどかけ離れていると感じる。
でも、雑誌や新聞で良識ある見解、腑に落ちる分析・解説に遭遇することはある。
そのひとつが、雑誌『世界』12月号の東郷和彦論文『私たちはどのような日韓関係を残したいのか─「普遍的人権」問題としての慰安婦─』の、「従軍慰安婦」問題に関するアメリカ人の見方を鑑に日本人の考え方の誤りを指摘した分析だった。
私がこの数年ボランティアで関わってきた『アジア女性資料センター』は沖縄や日韓の問題、特にジェンダー不平等の問題で鋭い問題提起をしている。(私はその論調に、少しだけ違和感を感じることがあるが・・・。)
今後、この従軍慰安婦問題が普遍的な人権問題として、また日本人の思考の貧困について国際社会からの批判が高まるだろうと思う。その時、この東郷和彦の議論はきっと良い指標・方法論になると思う。
そんなことを考えていたときに、作家高橋源一郎の11月29日付け朝日新聞「論壇時評」で、東郷和彦の論文を取り上げた記事があった。<下の記事>
高橋源一郎ともあろう論客が、東郷の提起したポイントを”驚くべきこと”と述べたのには、こちらの方がちょっとびっくりしたが、東郷和彦の指摘は、きっと多くの人にインサイトを与えたのだということを確信した。
高橋は、東郷の議論のまとめとして、「過去は常に現在からの審判に向い合わねばならないのだ」(朱線部分)としている。
引用になるが、高橋の論壇時評の中で紹介されている韓国のフェミニスト朴裕河の『reconciliation』の考え方(青の囲み部分)にも説得力があり、面白いと感じた。
【参考資料】 1993年8月4日 (外務省ページより) |
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 |
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2012年12月5日
東京新聞の12/5付けコラム「私流(論説室から)」には、『悲しみは今も消えない』として次のような佐藤直子論説委員のコラムが掲載されている。
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