懐かしいくらし、お祭りなど

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子どもの頃の暮らしと「仕事」

 父が「給料取り」(公務員)だったので母は近所では珍しい専業主婦。近所の人からは「奥さん」と呼ばれていた。周りは大きな農家が多く、私の家だけ(比較の問題だが)小さい普通の住宅で「勉強部屋」と呼んでいた本棚付きの子どものための洋室があった。
家での「お手伝い」は、毎夕方の廊下・台所の雑巾がけ。あとは秋の落ち葉掃き。家の屋根に重なるような大きな柿の木から毎日大量に落ちてくる葉っぱが恨めしかった!あとの時間は、自由に遊んでいた幸せな子どもだった。

   
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 神社を見たら立ち止まって一礼!

 子どの頃、父と歩いていると突然立ち止まる。理由を尋ねると「八幡様が見える・・」とか言う。遠視で、相当遠くまで見えていた父は、数百メートルぐらい先で、私からはほとんど姿も見えない神社に向ってもかならず直立不動となり深く一礼していた。その時は「何それ?」と思っていたが、大人になってみると自分も父と同じことをしている。

2018.12.24の夜、サンタクローズからのプレゼントのような、あの「お八幡様」の写真を見つけた!

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 子どもの頃の楽しみは・・

 やっぱりお祭り。日本三大熊野神社のひとつ宮内の夏祭りと、秋の菊祭り。夏祭りの前には、毎年母が新しいドレス(ワンピース)を作ってくれた。黄色いワンピース、ピンクのワンピース。忘れられない。暑いので、めったには入れない町の「食堂」でイチゴのかき氷を食べ、人ごみをかき分けて沿道に並ぶ露天のお店を見て歩く時の楽しさ。でも、大きな神輿が繰り出し大勢の大男が迫ってきて押しつぶされるようになると、この世にこんな恐ろしいことがあるのかと心底怖かった!(菊祭りのことはこちら)   

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 サンタさんは「絶対いる!」

 今考えるとフシギだが、小学校の6年生までサンタクロースの存在を信じていた。だって、毎年クリスマスの前の数日間、冬の夜空に向って「サンタクロース~。赤い手袋が欲しい~」とお願いすると、ちゃんとその通りのプレゼントが届いていたから。それに小さいけれど白いクリームがのったケーキも届いた!
プレゼントをお願いして精いっぱい声を張りあげた時の、凍りつくような夜の白い雪の情景が懐かしく思い出される。  

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 懐かしい風景

 あの家は今もお花に囲まれています。誰かは知らないのですが、感謝したい気持ちです。

20181224にも健在

 鬼面石

 村の北の方角、遠い山の中に「恐ろしい岩があるらしい。鬼のような顔だ。そばでそれを見たりしたら恐ろしい目に合うぞ」と言われていた。子どものころ一度だけ傍を通った。恐ろしくて上目づかいにチラッと見ただけだったが、おどろおどろしく黒く大きかった。

2018.12.24にネットで見てみた。

なるほど怖い、今見ても・・・。

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 昔お城があった!

 弟の一家が東京圏に移り住んで1年ほど。どんどん遠くなるふるさと。ネットで偶然、その昔私の故郷が交通の要衝で城が築かれた場所だったことを知った。その中には、父が尊崇の念で見上げていた”ななさこやま”の記述もあった。知らべてもわからなかった漢字が”七瑳古山”だったことも知った。 続きはこちらから・・・(1) (2)

「金山城と色部氏」 

2016.7

 

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 吉野鉱山の歴史

 故郷の情報誌に掲載されていました。2016.8.2

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2014年撮影か?